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【核と平和・2015】核なき世界を(1) 「非人道性」訴え続けて

社会 神奈川新聞  2015年08月06日 09:57

最前列でデモ行進する中村雄子さん(右)=4月26日、ニューヨーク(共同)
最前列でデモ行進する中村雄子さん(右)=4月26日、ニューヨーク(共同)

 70周年を迎える原爆忌。安全保障論議がひときわ熱を帯びるこの夏、「核なき世界」に向けて、どんな思いをかみしめるのか。県内の被爆者や関係者の声に耳を傾ける。

 訪米先で、現地の中学生から尋ねられた。

 「米国を憎んでいませんか?」

 10年前の渡米で講演した際には「リメンバー・パールハーバー」と言われたのに-。時代の流れを感じながら県原爆被災者の会会長、中村雄子(83)=平塚市=は答えた。

 「報復は考えない。報復は連鎖を生む。米国には謝ってほしいが、皆さんに憎しみはない」

 4月、米ニューヨークで開かれていた核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせた渡米。「ヒバクシャ」の実相を世界に訴える旅は今年も続いた。「12、13歳の子どもたちが、あんな形で死ななければならなかった。再び子どもたちを被爆者にしてはいけない」

 その信念には、自身も13歳だったあの夏の体験が根差す。

 
 
 女学校の2年生だった。学徒動員で、爆心地から2・8キロ離れた航空機部品製造工場で働いていた。

 空襲警報が解除された。友人の「落下傘を落とした」という声を聞いた時、閃光(せんこう)が差し込む。ガラス窓に目をやった途端、爆風で吹き飛ばされた。

 ガラス片が全身に突き刺さった。えぐられた左手の内側が血を噴いた。

 裏山の防空壕(ごう)へ、友人たちと逃げた。しばらく身を隠し、体を染めた血を拭こうと、壕を出て近くの井戸に向かう。その時、黒い雨が降ってきた。

 既に1学年下の生徒223人は命を落としていた。爆心地から約600メートル離れた地で、建物疎開の片付けをしていた最中だったという。

 後輩の一人、森脇瑤子=当時(13)=とは、通学電車が一緒だった。

 彼女がつけていた日記には原爆投下の前日も、いつもと変わらない生活が子どもらしい筆致で表現されていた。叔父が訪ねてきて、家はにぎやかだった。「いつもこんなだったらいいなと思う」。そんな日常が、一発の爆弾で消し飛んだ。

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