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「誰もが危険」平和訴え 二宮駅機銃掃射の体験語る

社会 神奈川新聞  2015年08月06日 03:00

二宮駅を襲った米軍機による機銃掃射についての体験に参加者が耳を傾けた講演会
二宮駅を襲った米軍機による機銃掃射についての体験に参加者が耳を傾けた講演会

 1945年8月5日に二宮駅で起きた米軍機の機銃掃射をめぐり、当時の二宮駅長の五女、高木(旧姓樫尾)恒子さん(82)=横浜市泉区在住=が体験を語る講演会が5日、駅北口の駅前町民会館で開かれた。機銃掃射による死者には、当時駅長室を訪ねていた児童文学のロングセラー「ガラスのうさぎ」の著者の父親も含まれていた。高木さんは「もしかしたら私が父を亡くす立場だったかもしれない。どの人も危険にさらされていた」と、住民ら約30人に平和を訴えた。

 女学校1年生だった高木さんは当日、荷物を疎開させるために借りていた海側の家に、母と六女と一緒にいた。駅のすぐ近くにあった駅長官舎では次女、三女が昼食をつくっていた。

 空襲警報などはなかったという。「あれっと思ったら、飛行機が頭上にいた。バリバリという(銃撃の)音が先だった」。高木さんら3人は銃撃の音におびえながら、机の下にもぐって震えていた。

 その後周囲は静かになったが、「駅がやられた」という声を聞いて、飛んでいった。

 昼食のために父と次女が官舎に入った途端、米軍機に襲われた。三女は家の中で座布団をかぶった。3人とも庭の防空壕に逃げ、九死に一生を得た。

 米軍機が去った後、高木さんの見た官舎は「家いっぱいに弾が撃ち込まれて、姉がかぶっていた座布団にも当たり、綿がはじけ出ていた」。家族の宝物だったオルガンや楽譜なども被弾した。夜になると「星がたくさん見えるほど、屋根に穴が空いていました」。

 友人だった「ガラスのうさぎ」著者、高木敏子さんの父親のことも、母から聞いた。「江井(高木敏子さんの旧姓)さんのお父さんが駅長室に訪ねていらしていた。血だらけになっていて倒れていた」と言われたという。

 友達の家族と来ていた平塚の小学6年生の女児(12)は「同じくらいの年の子が戦争で大変な思いをしたんだなと分かった」と話していた。

 講演は、親子で平和を考えてもらおうと、神奈川土建組合平塚支部主婦の会が主催した。


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