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芸術の疎開(中)戦後、田舎に吹き込んだ風

カルチャー 神奈川新聞  2015年08月04日 10:28

歌唱指導した青年団員と並んでほほ笑む佐藤美子(前列右、山下勉さん提供)
歌唱指導した青年団員と並んでほほ笑む佐藤美子(前列右、山下勉さん提供)

 終戦間もない1946年秋、与瀬町(現・相模原市緑区)の桂北小学校に米作曲家フォスターの名曲「おおスザンナ」の大合唱が響いた。

 津久井郡(当時)の青年団が集まった演芸会。他町村の青年団が流行の歌謡曲を歌う中、吉野町の青年団が披露したのは異国のハーモニーだった。

 「吉野はレベルが全然違うね」。会場は大きな拍手に包まれ、称賛の言葉が寄せられた。合唱の指揮をした山下勉(90)=相模原市緑区=は、喜びで胸がいっぱいになった。

 称賛された歌声の背景には、後の町村合併で藤野町となる地域に疎開していた1人のオペラ歌手との出会いがあった。美術団体「新制作協会」に所属する画家・佐藤敬の妻、美子(03~82年)だ。

 45年5月、山下は志願して千葉県松戸市の陸軍工兵学校に入り、そのまま終戦を迎えた。軍人として死ぬことしか考えていなかった山下は、これからの人生に目標を失っていた。

 山下は、同10月に藤野地域にある吉野小学校に奉職。ある日、校長から「佐藤美子さんが歌を教えてくれるから、放課後に集まるように」と呼ばれた。

 母親がフランス人で西洋人風の顔立ちをしていた美子から教わった歌は、「おおスザンナ」だった。

 刺激的だった。「死ぬ以外考えられなかった人生が、がらりと変わった」と山下は振り返る。一気に芸術が心の空白を埋め、希望が生まれた。美子の自宅で声楽のレッスンを受け、芸術家の集まる音楽会で歌を披露した。

 ある日、山下は美子からこんな話を聞いた。

 戦前はオペラ「カルメン」で名声を博した美子。戦後、音楽仲間から「どうしてすぐに中央に戻って、自分の力を生かさないの」と問われた。

 美子は地方で音楽の普及活動をしていると答え、こう続けた。

 「私の町では、甲州街道を歩いている子どもたちが『おおスザンナ』を歌うのよ」

 戦後、藤野の風景を描いて過ごしていた水彩画家の中西利雄は津久井郡の教員に絵を教え、山下も教えを受けている。

 山下は2人が藤野を離れた後も芸術活動を続けた。大学の美術コースに編入して、中学校の美術の教員免許を取得。教員の傍ら、藤野で合唱サークルや絵画愛好会をいくつも立ち上げた。薫陶を受けた地元住民は100人を超える。

 卒寿を迎えた今も、芸術に親しむ。「私の成年としての出発は、近代文化を教えてもらったこと。染み込んだものが私を長生きさせた」

 =敬称略


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