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戦争体験伝える紙芝居 横浜の元校長が作成、小学校で披露へ

社会 神奈川新聞  2015年08月04日 03:00

戦争体験を伝える紙芝居を作成した柏村さん=横浜市青葉区
戦争体験を伝える紙芝居を作成した柏村さん=横浜市青葉区

 横浜市青葉区市ケ尾町の元小学校長、柏村茂さん(82)が自身の戦争体験を伝える紙芝居を作成した。戦後70年の節目に「多くの子どもたちに戦争の悲惨さを伝えたい」と、夏休み明けから市立小などで披露していく予定だ。

 柏村さんは6人きょうだいの長男として、東京都新宿区で少年時代を過ごした。小学2年で太平洋戦争が始まり、戦況が厳しくなった小学5年のときに、2歳下の弟と茨城県へ疎開。さらに群馬県富岡市に移り、小学6年で終戦を迎えた。記憶をたどり、自筆の文と水彩画で紙芝居を作成した。

 小学校の屋上すれすれを米軍の爆撃機が飛び、灯火管制のため自宅の窓ガラスに障子紙などを張って過ごした。小麦粉や油の入手が困難な時代だったのに、疎開前日だからと母が小さなドーナツを揚げてくれたこともあった。画用紙に戦時中の思い出を一つ一つ表現した。

 疎開先では空腹に悩まされた。毎日つけていた食事日記を基に紙芝居を作成したが、1944年10月28日の朝食と夕食は芋ご飯、大根おろし、おみおつけ。昼食は芋ご飯にサツマイモとカボチャの煮付け。別の日の夕食は蒸しパン2個だけ。空腹をまぎらわすために、友人同士で互いの身にわいたシラミをつまんで集め、死骸を火にくべて「焼きイカのようなにおい」を味わったり、チューブの絵の具までなめたりしたエピソードにも触れる。

 実家へ送るはがきは教師が検閲してから郵送するため、両親を心配させるような内容は書けなかった。「元気で毎日頑張っていますから安心して」と書きながら、文末に「×」を付けて窮状を訴えたことも書き添えた。

 疎開中、実家を東京大空襲の焼夷(しょうい)弾が直撃、爆風で防空壕に吹き飛ばされた祖母が大腿(だいたい)骨を折る重傷を負った。戦争が終わっても帰る家はなく、父親が働く山梨の工場近くに身を寄せた。

 柏村さんはその後、横浜市立小学校で教壇に立った。港南台第一小校長を最後に退職し、2003年からは国際交流団体の会長を務める。数年前にイベントで戦争体験を語る機会があり、その際に紙芝居を作成したという。

 「この紙芝居は戦争体験のほんの端っこ」-。柏村さんは紙芝居の冒頭でそう断りを入れる。大勢の人が戦争に巻き込まれ、家族や友人を失い、言い尽くせない苦難を味わった。自分の苦労など大したことではないという気持ちがある。そのため積極的に紙芝居や体験談を披露してこなかったが、戦争体験者が減っていることに危機感を抱いた。小学校などに呼び掛けて、紙芝居を通じて戦争体験を語っていく予定だ。

 柏村さんは「戦争を知らない世代ばかりになった。体験者として一人でも多くの人にこの悲惨さを伝えていきたい」と話している。


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