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萎縮する「自由」(1)無意識に広がる自主規制

カルチャー 神奈川新聞  2015年08月03日 12:11

天皇家の画像を使った大榎淳の作品(手前)と垂れ幕 =1994年、川崎市市民ミュージアム(提供・大榎淳、撮影・前田敏行)
天皇家の画像を使った大榎淳の作品(手前)と垂れ幕 =1994年、川崎市市民ミュージアム(提供・大榎淳、撮影・前田敏行)

 1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾して敗戦した。その後、思想統制を進めた軍国主義への反省から作られた日本国憲法には「表現の自由」が明記され、だれでも自由な表現を謳歌(おうか)できる国になったはずだった。だが戦後70年の今、日本は果たして「自由」だろうか。さまざまな表現の現場で起きている作品の排除や自主規制。そこに現れる「自由」の萎縮を追った。

 「日本は、草の根まで『表現の自由』がない」。メディアアーティストで東京経済大准教授の大榎淳は、そう断言する。

 「表現の自由」とは、だれでも思想、意見、感情などを自由に表現できるということを意味し、民主主義とは切っても切り離せない権利。この国では、憲法第21条に定められている。

 だが現在の日本社会ではその自由を享受できず、「無意識のうちに自ら規制をかけている人がほとんど」だという。



 1994年9月、川崎市市民ミュージアム(同市中原区)で「ファミリー・オン・ネットワーク」展が開かれた。テーマは「家族」。「家族とは社会的な存在で、日本で家族というと一番に参照されるのが、象徴である天皇家」(大榎)。出品した映像作品には、モチーフとして皇室の肖像を取り上げた。

 ホールには出品者6人を紹介するそれぞれの垂れ幕がつるされた。大榎の垂れ幕に印刷されたのは、作品の一部。当時の天皇、皇后両陛下と皇太子夫妻の顔で、目の部分を黒い線で隠していた。

 だが間もなく、大榎の垂れ幕だけ巻き上げられてしまった。同展の後援企業、富士ゼロックスがクレームをつけ、それに応える形で大榎と話し合いの後、市民ミュージアムが決めた措置だった。

 当時の状況について、ミュージアム側は「目伏せの部分が見る人の誤解を生むのを恐れた」と振り返る。作品そのものは天皇制を批判するものではないと認識し、展示した。だが垂れ幕は「インパクトが強すぎた」という。作品はいいが、垂れ幕はだめ。その矛盾には「展覧会そのもののテーマと垂れ幕、作品が乖離(かいり)してしまい、そのままでは来場者に作家の意図を説明できなかった」と繰り返した。



 そもそも、仮に天皇制を批判した作品であったなら展示はできなかったのか。開催前に担当学芸員に「政治的な作品は避けるように」と言われ違和感があった大榎は、問いかける。「政治的なことって何だ?」

 恣意(しい)的に用いられる「政治的」という言葉は、いまや美術界全体に影を落とす。当時の体験は「『政治的』なことを避ける傾向が公立の美術館にはある」との実感を、大榎にもたらした。「美術館は公共の場だからこそ、さまざまなことを論争してもいい場だと思う。でも公共だからこそ何もするなと」

 そこに、面倒を避けようという行政の意識はなかったか。大榎は「以来、問題を起こしそうに思えるのか公立館の企画展には呼ばれなくなった」と苦笑する。

 日本でアートといえば、美しくて楽しいものにすぎないという見方が大多数を占める。だが海外ではより政治的で、時代を表す作品が多く評価されている。「国際的に活躍するアーティストには、国内外で発表作品のバージョンを変えるといった使い分けを意図的に行っている人もいる」と大榎は指摘する。世界の潮流から置き去りにされていることをやゆして、日本の美術の「ガラパゴス化」を指摘する評論家もいる。



 「政治的」なことは、自分の仕事の領域ではない-。本来、表現の最先端を走るはずの芸術家の多くがタブーを受け入れる日本の現状。大榎は「表現の自由をめぐる日本の状況は、もう危ないところにきている」と危機感をあらわにする。「みんなが同じ方向に流れ、身の回りのちょっと変わったやつを攻撃するのと同じ。無意識の部分が大きくて、表現したいことが全然できなくなっている」

 一方、そうした流れにあらがう芸術家もいる。「今、関わる意味があるものに対して表現したいという思いが起こる」と話すのは横浜にアトリエを持つ現代美術家の開発好明。メッセージ性の高い作品を発信し、今後、検閲される恐れがあると自他共に認めている。

 東日本大震災の翌2012年には、福島第1原発から20キロの地に「政治家の家」を建て、衆参両院の議員に招待状を出して福島の現状を訴えた。「展覧会で作品が阻害されると一般の人には知られない。その前に多くの人に知られれば“表現の不自由”(作品の規制)にはなりにくい。幸い『政治家の家』は、新聞や雑誌で取り上げられた」

 規制の対象は時代の変化に応じて変わっている。現在は皇室はもちろん政治、宗教、原発などタブーが広がっていると開発は感じている。たとえば昨年2月、相模原市在住の彫刻家・中垣克久が、安倍晋三首相らの靖国神社参拝を批判したとして東京都美術館(台東区)から作品の撤去を迫られた。また先月には東京都現代美術館(江東区)が、現代美術家・会田誠の一家による文部科学省批判などを展開した作品の撤去を求めたが、結局、展示が続行される騒動があった。原因はたった1件のクレームだったとされる。

 だが開発はひるむつもりはない。「憲法9条についてだって作ったり言ったりすることはやめてはいけない。ちょっとしたことでも歩みが遅くなるかもしれない。諦めてはいけない」


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