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厚木ベース余録(2)日米政府世論に神経

社会 神奈川新聞  2015年07月27日 10:07

住宅街に墜落した米軍機の残骸=1977年9月、横浜市緑区(現青葉区)
住宅街に墜落した米軍機の残骸=1977年9月、横浜市緑区(現青葉区)

 「空母『ミッドウェー』の日本配備について話したい」。1977年11月、米ワシントン郊外の国防総省の幹部を、日本の外務省担当者らが訪ねた。

 73年から始まった米空母の初めての横須賀配備を理論づける助言を、米側に求めた。「横浜で起きた米軍機の墜落事故が、配備と艦載機の訓練問題を再燃させている。空母配備そのものの反対への波及は避けたい」

 77年9月、米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)を離陸した米軍機が住宅地に墜落。母子が犠牲となった惨劇に、世論は沸騰していた。

 空母配備の直前、米当局との協議で日本側は「空母配備への反対は3点に集約される。基地の強化と日本の核武装、厚木の騒音問題だ。だが1番目と3番目は対処できるだろう」。「核の持ち込み」疑惑に比べれば、艦載機の拠点化がもたらす懸念は薄かったように思えるやりとりでもある。

 だが横浜の事故は、空母と不可分の艦載機の周囲で過密化が進むことの危険性を突き付けた形となった。

 □ ■ 
 
 事故から1週間後の10月3日。東京の在日米大使館を、知事の長洲一二と横浜市長の飛鳥田一雄が抗議に訪れた。

 大使のマイク・マンスフィールドは、補償や事故調査への協力を約束した。

 長洲は「神奈川は沖縄に次ぐ第二の基地県。もっと悲惨な事故もあり得た」。飛鳥田は、調査の透明性の確保も求めた。「市民が調査に関与できないと、結果に信頼を置けない」

 だが、飛鳥田の予感は的中する。県警の捜査が続いていたさなかに、事故機のエンジンを米軍が独断で本国へ搬出したことが明るみに出た。

 国会で対応をただされた政府は「パイロットは離日しないよう米軍に申し入れており、厚木にいると承知している」と答弁した。

 その直後に、在日米大使館から本国に公電が飛ぶ。機密扱いだった。

 「実際には飛行士は空母に戻っており、現在はオーストラリアにいる。この事実が公になれば政治的混乱を招く。極秘に再入国させなければならない」


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 87年3月。横浜地裁で、ある判断が示された。

 「は米兵の裁判権の完全免除までは規定していない」。墜落事故の被害者が国や米兵を相手に起こした訴訟で、米兵個人の被告適格を認めた初めての判決だった。

 防衛施設庁は控訴期限の前日、地裁判決を受け入れると発表。「諸般の事情を考慮した」と説明したが、事前に日本政府と話し合っていた米大使館からは、本音を分析した公電が本国に送られている。「(控訴することで)判決をセンセーショナルに報じる機会をメディアに与えたくない願望の表れだ」

 日米地位協定は1960年の発効以後、一度も改定されていない。それでも基地に対する世論には、常に日米当局が神経をとがらせていた事情が、外交文書からはうかがえる。

 原告側弁護団の一員だった飯田伸一(65)は、被告適格を認めた判断の意義を「公務外での不法行為に米軍人の個人責任を認める可能性が出たこと」にみる。「『地元に迷惑をかけてはいけない』と粘り強く訴えることが大切だ」 =肩書は当時、敬称略


 ◆横浜米軍機墜落事故 1977年9月27日午後、厚木基地を離陸した直後の米偵察機RF4Bファントムが横浜市緑区(現青葉区)の住宅街に墜落。母子3人が死亡、6人が重軽傷を負った。乗員の海兵隊員2人は墜落直前に緊急脱出して軽傷だった。事故後の調査で、整備時に部品の装着不備が原因とされた。


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