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安保法案 採決を前に
【カナロコ・オピニオン】(1)やはり「主権は米国」か

カナロコ・オピニオン 神奈川新聞  2015年07月14日 03:00

カナロコ・オピニオン
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 安全保障関連法案をめぐる答弁で驚きをもって受け止められた一つが中谷元・防衛相のそれであった。「現行の憲法をいかに(安保関連)法案に適用させていけばよいのかという議論を踏まえて、閣議決定した」。憲法に沿って法律をつくるのではなく、法律を憲法の上位に置く倒錯。その不見識には嘲笑(ちょうしょう)する向きさえあった。

 だが、基地のある街に暮らす私たちなら知っているはずだ。憲法は常に最高法規であるわけでないという現実を。

 昨年5月、厚木基地騒音訴訟で横浜地裁は自衛隊機の夜間飛行差し止めを命じた。全国の基地騒音訴訟で初の差し止め判断という画期的判決もしかし、米軍機の差し止めは認めなかった。騒音の発生源としては何の違いはないのに、だ。

 持ち出されたのは「国の支配が及ばない第三者の行為」という理屈であった。米軍が優位に立つ日米地位協定の存在をあらためて見せつけられる思いだった。

 最高裁が「第三者行為論」を示した1993年以来、同じような訴訟で米軍機の飛行差し止め請求は退けられている。米軍を前にした司法の思考の停止だ。横須賀では米海軍の原子力空母が配備され、原子力潜水艦が寄港しながら、原子力設備について国は自らは何の確認もできずにいる。そこに暮らす県民の人権は侵害されたまま黙認され続けている。

 安倍晋三首相は4月の米国議会演説で安保法案を「この夏までに必ず実現する」と約束した。法案に関する世論調査で国民の半数以上が反対、説明不足と回答していながら、政府与党は週内の強行採決をもくろむ。

 主権者の声の無視はとりもなおさず、この国の主権は国民にあるのではなく、米国にあるのだ、という戦後70年の冷厳な事実を示している。

 (論説委員・桐生勇)


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