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時代の正体〈132〉対立の島から(下)わが身向けられた問い 

時代の正体 神奈川新聞  2015年07月05日 11:59

三浦市三崎に不時着したヘリコプターを調べる米軍関係者(中央)と県警関係者ら(右)=2013年12月16日
三浦市三崎に不時着したヘリコプターを調べる米軍関係者(中央)と県警関係者ら(右)=2013年12月16日

 率直な物言いは、沖縄の現状を端的に言い表しているだけでなく、その現状をまったく問題視していない、疑問視していないからこそ言えるのだと思うと、胴震いを覚えずにはいられなかった。

 日本記者クラブ沖縄取材団の一員として足を踏み入れた米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)、司令官のピーター・リー大佐に私は尋ねた。

 「事故を防ぐために米軍としてどんな対策をしているのか」

 大佐は答えた。

 「車を運転していても、航空機を飛行していても、私たちは絶対に完全に安全ということは言えない。事故のリスクをゼロにすることはできない」

 事故はまた起きると宣言しているように聞こえた。飛行場が住宅密集地のど真ん中にあり、その上空を戦闘機やヘリが飛ぶ限り、危険性の除去などできるはずもない。分かってはいたが、事故の当事者から直接聞き、当事者意識の欠如、あるいは危険を放置していられる感覚を目の当たりにし、私は頭がくらくらする思いだった。

 質問はとりたてて意味があるものではなかったといえるし、沖縄は米国にとって配慮に値する存在ではないということが再確認できた、という意味では無意味ではなかったといえるのかもしれなかった。

追認

 沖縄県宜野湾市の沖縄国際大の敷地に米軍ヘリが墜落、炎上したのは2004年8月13日のことだった。キャンパスから約200メートル、目と鼻の先にある米軍普天間飛行場を飛び立ったヘリだった。

 機体は大学本館の外壁に激突し、機体の部品や外壁のコンクリート片が飛び散り、近隣の民家や車を傷つけた。人的被害が出なかったのは不幸中の幸いで、奇跡的ですらあった。

 地元紙、琉球新報の記者は「そもそも」と言う。

 「墜落したヘリの部品は80メートル先まで飛び散ったと聞いた。だが、正確な数字は『基地の運用に関わること』として教えてもらえなかった」

 米軍は沖縄県警や地元消防当局に現場検証させることなく事故機を回収し、撤去した。琉球新報の記者は「外務省は『必ずしも日米地位協定に違反するわけではない』という言い方で米軍のやり方を追認した。日本の主権はどこにあるんだろう、と思った」と悔しさ交じりに語った。

 私は今年1月に抱いた違和感を思い出していた。

 米軍や自衛隊の事件・事故で関係機関がどう連携するかについて話し合う「航空事故等連絡協議会」を取材したときのことだ。

 2013年12月、三浦市三崎の埋め立て地に在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)所属のヘリが墜落した。県警の発表は「不時着」だったが、機体が横転し、破損した様子は「墜落」にほかならなかった。

 協議会は事故後初の開催だった。米軍や自衛隊、関連自治体の関係者が集まったにもかかわらず、その中身は「初動対応や日米間の連携強化の重要性をあらためて確認する」という通り一遍のものだった。

 事故をめぐっては初動対応や情報伝達の遅さが指摘されていたはずだった。日本側の窓口となる防衛省南関東防衛局は県警からの連絡で事故の約10分後には把握していたが、米軍から確認できたのは約50分後だった。

 事故から1年を経て開催された協議会の危機感のなさもさることながら、同局は「協議会の目的は確認事項にある」と説明した。言葉通り、協議会では、同局の長谷川邦之管理部長が「初動対応が極めて重要。迅速かつ的確な情報の提供に、積極的に努めてもらいたい」という決まり文句を繰り返すだけだった。

 事故現場となった三浦市は「協議会のメンバーではない」という理由で参加していなかった。同局は協議会開催の案内も出していなかった。「問い合わせもなかった」と同局は言う。

教訓

 協議会は1977年9月に横浜市緑区(現青葉区)に米軍機が墜落し、巻き添えになった母子3人が死亡したのを機に発足した。悲劇を2度と繰り返さぬよう、国として自治体として何ができるのかを話し合うという目的で始まったはずだった。

 1月の協議会では墜落事故が再び起きたにもかかわらず、危機感は感じられなかった。

 「何も変わっていない」。墜落事故の犠牲となった土志田和枝さん=当時(31)=の兄隆さんを今年1月訪ねると、ただ静かにつぶやいた。

 「私が声を上げていくことも一つなのかもしれないが、行き着くところ、政治的な話になってしまう」

 多くを語らなかったが、言葉の端々に変わらぬ不条理な現実への憤りが伝わってきた。

 私の手元には、県基地対策課から取り寄せたデータがあった。

 〈1952年から2014年末までに県内で起きた墜落や落下物などの米軍機事故は225件。死者11人、負傷者28人〉
 11人の命が奪われ、11家族が愛する者を失った。たまたま、米軍機が上空にいたという理由だけで。

 普天間飛行場の司令官は「航空機が空を飛ぶ限り、事故は防げない」といった。安全保障上、米軍が必要であるという意見がある。では、米軍の事故で犠牲になる人は守るべき日本人の一人に入っていないのか。米軍基地を多く抱える神奈川にも向けられているといえる、重大かつ根本的な問いに向き合ってこなかった自分に気付き、私はいま立ち尽くす。


米海兵隊ヘリが墜落した沖縄国際大の現場では、高さ3メートルほどでへし折られたアカギの木が事故の衝撃を伝える=6月10日、沖縄県宜野湾市
米海兵隊ヘリが墜落した沖縄国際大の現場では、高さ3メートルほどでへし折られたアカギの木が事故の衝撃を伝える=6月10日、沖縄県宜野湾市

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