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時代の正体〈124〉英雄は特別じゃない

時代の正体 神奈川新聞  2015年06月27日 10:19

映画の一場面。クリスマス会で子どもたちを喜ばせるため、トナカイの衣装を着る信恵さん(左)
映画の一場面。クリスマス会で子どもたちを喜ばせるため、トナカイの衣装を着る信恵さん(左)

 広島県尾道市のCDショップを舞台に店主とそこに集う人々の日常を描いたドキュメンタリー映画「スーパーローカルヒーロー」の上映が27日、横浜シネマ・ジャック&ベティ(横浜市中区若葉町)で始まる。7月3日まで。「ミュージシャンと子どもたちから愛される、ちょっと変わったおじさん」という店主は東京電力福島第1原発事故後、福島県内の子どもや避難生活の親子を支援する。2011年からカメラを回し続けた田中トシノリ監督(33)は言う。「レンズの向こうに見えてきたのは3・11後をどう生きるかという問い掛けだった」

 映画の中、子連れで尾道市に自主避難中の福島の母親が評す。「月光仮面のような人。困ったときにさっとやって来て、問題を解決し、いつの間にかいなくなっている」。福島第1原発事故で余儀なくされた先の見えない暮らしに差す一筋の光であるのか、その顔に穏やかな笑みが浮かんでいた。

 「スーパーローカルヒーロー」。映画のタイトルはCDショップ店主の信恵勝彦さん(56)のことを指したものだ。

 尾道市に店を開いて30年。CDやレコードだけでなく自家製の無農薬野菜や果物が並ぶ風変わりな店は「ほとんど黒字になったことがない」。よれよれのTシャツに穴の開いたスニーカーを履いた「怪しげなおじさん」はしかし、風体を気にするそぶりもない。

 田中監督が留学先の英国から帰国した11年11月、生まれ育った広島県福山市の隣街に「面白い人がいる」と知人から紹介された。

 手にしたカメラが日常を追う。夜明け前の新聞配達に始まり、アルバイトを掛け持ち。音楽ライブやイベントの準備に出掛けたと思えば、畑で野菜づくりに汗する。

 そうして流れる日々の中で福島の親子を受け入れる。放射線量の高い福島を一時的に離れ、心と体をリフレッシュしてもらおうと空き家を手入れし、滞在してもらう。

 取材の新聞記者が質問する。

 「保養活動の費用はどうするんですか」

 信恵さんが答える。

 「寄付を募ります」

 「集まらなかったら、どうするんですか」と記者。

 「自腹を切る。誰かに借りる。お金なんて後から考えればいい。そんなこと言っていたら子どもを救えない」

 受け答えは力みがない。


母親の生き方とは


 田中監督が振り返る。

 「いつからか信恵さんの姿を追いかけずにはいられなくなった。3・11後をどう生きるのかを模索し続けていた僕は、彼の生き方を追うことで何かが見えてくるような気がした」

 原発事故が起きたとき、田中監督はロンドンにいた。現地の専門学校で映像製作を学び、映画やドラマの製作に携わるようになって1年が過ぎようとしていた。

 英国紙では放射性物質が与える人体への影響や予想される放射性物質の飛散量などが連日事細かに報じられていた。「原発のことなどまったく知らなかった僕でも、原発事故は命を脅かす問題であることが分かった」

 対して日本の政治家やメディアは事故の危険性や内部被ばくの問題について明言を避けているように思えた。

 一緒に住んでいた日本人の友人の家族は放射線量の高い地域に住んでいた。その姉は出産を控えていた。「生まれてくる子どものためにも避難してほしかったが、国は避難勧告を出さなかった」

 事故から9カ月後に帰国すると、福島から広島へ自主避難してきている親子がいることを知った。「子どもを守るため」と夫を残し、家族離れ離れの生活をしている母親は少なくなかった。家族のあり方とは、子どもの幸せとは何なのか。悩み、苦しみ、自問し続けている姿があった。

 信恵さんの言葉にはっとさせられた。「お金も地位も、生まれ育った土地も生活も捨てて、知らない土地に避難してくる。何のためか。子どもの命を守るためだよ。子どもを守るということは命懸けなんだよ。お母さんの生き方に、僕は教えられたことがたくさんある」

 信恵さんの向こう側に母親たちの姿がくっきりと立ちのぼってきた。「何が正しいのか、間違っているのかも分からない。でも、誰かが何かをしてくれるのを待つのではなく、自ら考え、一歩を踏み出し、歩みだす。一人一人がヒーロー、ヒロインのように見えてきた」


自然な気持ち


 ヒーローの概念を壊したかった、と田中監督は言う。「世の中でいうヒーローは特別な存在のように語られる。でも、もっと身近な存在なんだと思いたかった」

 成功者とされる人物が「成功の裏にある逸話」「特別な才能」とともに取り上げられるたび、落胆を覚えてきた。「すごい話を聞かされれば聞かされるほど劣等感を持った。僕自身、音楽家を目指していた時期があるが、成功話を聞くと『どうせ、僕には無理だ』と落ち込み、自分を納得させるための言い訳をたくさんしてきた」

 信恵さんに会い、考えが変わった。「信恵さんがしていることは、お金を稼ごうとか、何か成し遂げて名声を得たいとか、そういうことではない。『困った人がいたら助けたい』『自分に何かできることがあったら手伝いたい』といった自然な気持ちから動いている。自分にできることをするというところが、共感を呼ぶ。そうして『自分にも何かができるかもしれない』と希望を与えてくれる存在こそがヒーローなのだ、と」

 こうも思った。「もう、誰かに何かを任せて生きるのはやめようよ、と。強いリーダーに頼って生きていくのではなく、それぞれが考え、それぞれの道を歩んでいこう、と」

 2014年5月に尾道市で初上映が行われてから、1年がたった。資金不足のため配給会社を持たない中での上映にもかかわらず、評判が広がり、自主上映はすでに全国約80カ所で開催されている。

 田中監督は言う。「僕らが気付いていないだけで3・11後、いろいろな街で新しいヒーロー、ヒロインが生まれているのだと思う」


幸せのつながり


 映画の中に信恵さんが自身のことについて話すシーンはほとんどない。記者があらためて尋ねると、やはり肩の力が抜けた調子で以下のように答えた。

 「なぜ、そんなに人のために一生懸命なんですか」と聞かれることがあるんだけど、僕は「自分たちの幸せのためにやっていること」だと思うんだ。

 福島の原発事故が起きて、避難してきたお母さんたちは子どもの命を守るために、移住してきている。子どもの健康、子どもの幸せを考えて行動している。それは、他の問題に置き換えても同じことだと思う。

 例えば、基地の問題。沖縄で新しい基地建設に反対しているのは平和な暮らし、平和な世界を守りたいからだと思うんだ。それが、自分たちの幸せにつながっているから。

 そういう意味で、問題は異なっていても幸せになりたいという思いは、共通しているし、つながっていると思うんだ。僕は、そのことをお母さんたちに教えてもらった。

 困っている人が近くにいて、自分が動くことで、その人の悩みが少しでも解消されるなら、またそれも幸せなことだよね。


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