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かながわ定食紀行特別編
横浜発祥「ナポリタン」大いに語る 評論家ら4人の座談会

話題 神奈川新聞  2016年12月23日 12:00

 トマトケチャップが絡みオレンジ色に染まったスパゲティ。さっきまでフライパンの上でパチパチとはぜていたさまが見えるようです。「かながわ定食紀行」の年末恒例座談会、本年のお題はナポリタン。横浜が発祥とされる「洋食」だとは近年、よく知られるようになりました。京急線南太田駅前の名店「ぱあらー泉」に陣取り、ご主人の八亀淳也さん、日本ナポリタン学会会長の田中健介さん、大衆食愛好家の刈部山本さんのお三方をお迎えしました。席亭はもちろん、本連載を執筆してはや10年、今柊二さんです。パチパチパチ。 


盛り上がった「ナポリタン」座談会
盛り上がった「ナポリタン」座談会

1 由来は「シポラタ」



 今年たまたま田中さんとの出会いがあったのと、僕の中でナポリタンが盛り上がって。それに山本さんにお会いして喫茶店文化の素晴らしさもあって。だったら「ぱあらー泉」しかない、と伺った次第です。まずこの店の歴史を。
 1967年創業で、もうじき半世紀です。
 なんと私と同い年だ! もともとお父さんが始めたんですよね。
 そうです。元は別の喫茶店で、そこが店をやめると聞いて。うちの実家はすぐそこの「丸亀食堂」で「じゃあやろうか」と。
 はー、なるほど。
 もともと、ドンドン商店街にあったんですよ。
 ほら、新たな事実が判明した(一同笑い)。ドンドン商店街は、近くに横浜国大の清水ケ丘キャンパスがあって栄えていたの。
 元の店の名前が「泉」だったのでそのまま。
 屋号を使ったと。「パーラー丸亀」にはならなかったと。やー、初めて知った。その時のメニューはどんな感じだったんですか。
 僕の記憶では、カレーとかスパゲティとかコーヒーとか。
 飲み物とか軽食は当時から?
 はい。サンドイッチとかピラフはありました。
 なるほど。電車を降りた人がここで食べて…中継地点だったんですね。
 以前は目の前が改札口だったんですよ。ぎりぎりまでいて、電車に間に合うくらいの近さで。
 京急沿線ってそういう店多いですよね。で、いよいよ核心に迫るんですけれど、「ポラタ」はいつ頃からあるんですか?
 昔からあったと思います。
 最大のテーマ、なんで「ポラタ」っていう名前なんですか?
 デミグラスソースの中にウインナーが入った「シポラタソース」というのがあるんです。うちはウインナーとベーコン入れているので「シポラタ」。だから「ポラタ」にしたという。


<strong>八亀淳也</strong>(やかめじゅんや)さん 「ぱあらー泉」などの運営会社「Lecker」代表取締役 1970年生まれ。大学卒業後サラリーマンを経て97年に家業に入り「ぱあらー泉」南太田本店、六ツ川店、ドイツパンの「カッセルカフェ」を経営する。日本ナポリタン学会の店舗会員。
八亀淳也(やかめじゅんや)さん
 「ぱあらー泉」などの運営会社「Lecker」代表取締役 1970年生まれ。大学卒業後サラリーマンを経て97年に家業に入り「ぱあらー泉」南太田本店、六ツ川店、ドイツパンの「カッセルカフェ」を経営する。日本ナポリタン学会の店舗会員。

 そうなんだー。
 実は僕も人づてに聞いたんです。常連のお客さんが知っていて。
 あー、お客が記憶装置だったんですね。
 聞かれてすぐ答えられるようになりました。
 あともう一つ、ここは喫茶店では珍しく、お子様ランチがありますね。
 20年くらい前でしたか、私が大学生の頃にできたと思います。
 珍しいですね。どちらかといえばお客はシニア層が中心じゃないですか。
 それが、おばあちゃんがお孫さんを連れて来ることもありまして。
 大人は注文できないんですよね。
 基本的に小学生までにしています。
 あと、人気ナンバー2がクリームあんみつ。
 昔からあります。
 この辺の喫茶店には、私の好きだった長者町の喫茶店「たぬき」(今はない)とか、八幡町の「カメヤ」とか。あんみつ系が必ずあるんですけど、じゃあ、あれも昔からニーズがあったから?
 そうですね。
 喫茶店でありつつ…。
 甘味どころでありつつ。
 お子様ランチもあるという。はあ、これで聞きたいことはだいたい聞いた。用事が済んだ(笑)。

2 弟子たちが広めた



 田中さんは、もともと麺類がお好きだったんですよね。
 はい、そうです。
 その中でナポリタンに注目したというのは。
 横浜っていうと中華街とかサンマーメン、タンメン、洋麺ではナポリタンも発祥の地といわれていて、独特の麺文化だなと。僕、汁麺よりも焼きそば的なものが好きでして。
 あー、私もそうだわ。
 ナポリタンには焼きそばの要素がありますよね。以前、伊勢佐木町の洋食「コトブキ」が24時間営業で、酒を飲んだ後の「締めのナポリタン」が20代の頃からのマイブームで…。
 横浜日劇のそばにあった頃でしょ。
 そうそう。
 で、学会を設立したのは?
 地域SNS(会員制交流サイト)に食いついてきた人たちと「やらない?」となって。


<strong>田中健介</strong>(たなかけんすけ)さん 日本ナポリタン学会会長 1976年横浜市戸塚区生まれ、南、中区育ち、南区在住。発祥の地・横浜の魅力を伝えるべく2009年に市民有志で同学会を結成。14年に「第4回地域再生大賞」優秀賞。著書に「麺食力(めんくいりょく)」。
田中健介(たなかけんすけ)さん
 日本ナポリタン学会会長 1976年横浜市戸塚区生まれ、南、中区育ち、南区在住。発祥の地・横浜の魅力を伝えるべく2009年に市民有志で同学会を結成。14年に「第4回地域再生大賞」優秀賞。著書に「麺食力(めんくいりょく)」。

 ナポリタンの発祥はホテルニューグランドといわれていますよね。
 戦後、1952年の接収解除の後に入江茂忠氏(第2代総料理長)が考案してメニューに取り入れたと…。でも野毛(花咲町)の「センターグリル」が46年のオープン当時からナポリタン出していたと、店主の石橋秀樹さん(2008年の本座談会に登場)がおっしゃっていたんです。
 伊勢佐木町の「桃山」にも古くからナポリタン的な物があったんですよね。
 そうなんです。はっきり分かりませんがエビが入ったナポリタンで。
 オリンピックだ、戦前の名前。その頃から確か、あったはずだ。
 東京では戦前の三越の食堂にお子様ランチがあって、ナポリタンらしきものが出されていたそうです。国産初のトマトケチャップは横浜の「清水屋」が明治期に、スパゲティの量産は「センターグリル」の麺を作っている「ボルカノ」(富山県)が昭和初期に。ですから戦前にスパゲティとトマトケチャップの組み合わせは何かしらあったと思います。
 そして、始まりも大事なんだけど、広がったことも重要なんですよね。昭和20年代にナポリタン的な物が広まったのはまず間違いない?
 そうですね。ニューグランドの初代総料理長、サリー・ワイル氏が何人ものお弟子さんに伝え、そこからまた多くの料理人が広めたという。福富町仲通の「タマガワ」とか、長者町の「すいれん」だとか。
 いろんな店で修業して、いろんな店の味が混じっているんですね。

3 街場の店を再発見 


  
 ナポリタンってご飯にも合いますよね。
 磯子の「センターグリル」。あそこは本家の野毛とは少し感じが違って、ご飯が進むんですよ。
 みそ汁まであるでしょ。みそ汁を出せって注文が多かったんだって。
 うちもたまに言われますよ。みそ汁ないのって。
 山本さんが造詣の深い浅草では、結構「洋食にみそ汁」多いでしょ。
 ええ、街の洋食屋さんでは当たり前のように。
 僕は昨年から“横浜都民”になりまして、東京でどんなナポリタンが主流なのか、よく食べに行くように心がけています。先日は押上の喫茶店「シロウマ」へ行きましたが、やはりみそ汁が付いてましたね。


<strong>今柊二</strong>(こんとうじ)さん 定食と喫茶店の評論家 1967年、愛媛県生まれ、現在は町田市在住。横浜国大卒。著書に「立ちそば春夏秋冬」(竹書房)「定食バンザイ!」(ちくま文庫)など。本紙連載をまとめた「かながわ定食紀行 第5巻」(神奈川新聞社)も発売中。
今柊二(こんとうじ)さん
 定食と喫茶店の評論家 1967年、愛媛県生まれ、現在は町田市在住。横浜国大卒。著書に「立ちそば春夏秋冬」(竹書房)「定食バンザイ!」(ちくま文庫)など。本紙連載をまとめた「かながわ定食紀行 第5巻」(神奈川新聞社)も発売中。

 組み合わせでいえば、新橋の「ポンヌフ」分かります? ここ素晴らしい。
 素晴らしいです。あのナポリタンハンバーグ。
 食べ方いろいろ。パンの中に挟むとか…メロメロになるパンの運用力の高さだからなあ。あそこのナポリタンは「白」があるでしょ。ケチャップを入れないの。あれは神奈川ではほとんどないですよね。
 神奈川ではあんまりないですよね。
 ナポリタンとイタリアンという名前については論究されたことありますか?
 西日本に行くと、イタリアンという傾向が強い。
〈ポラタ登場!〉


これが「ポラタ」だ! 付け合わせもおいしそう。麺の下にはソーセージが…
これが「ポラタ」だ! 付け合わせもおいしそう。麺の下にはソーセージが…

 あ、やっぱりうまいなこれ。焼きそば的だね。
 そうですね、鉄のフライパンで炒めている感じ。
〈食べながら〉
 山本さんはどうして喫茶店を?
 もともと好きだったのですが、食べ歩きをしていた1990年代に自家焙煎(ばいせん)ブームがあったんです。ドトールのようなチェーン店が増えて喫茶店が少なくなりつつあった時期に、それとは逆の流れで自家焙煎の店が出てきて。普段使いのチェーン店とは別に出先でそういう店を回り始めて、そのうち自分でやってみたいな、という感じで。
 ははあ。
 どっちかなんですよね。焙煎や豆にこだわる方向か、カフェのようなスタイルにこだわる方向か。「喫茶店」と「コーヒー専門店」は2000年頃に明確に分かれてきた。需要が違うんですよね。
 分かります。ナポリタンがある店か、純粋にコーヒーを楽しむ店か、何となく雰囲気で分かりますね。
 最近、純喫茶が再注目されていますよね。一度は細分化されたけれど、また昭和の街場の喫茶店が「再発見」されたように思います。「喫茶メシ」という形でナポリタンも若い人に再評価されて。
 山本さんの店のコーヒーって、とてもおいしい。よく言う例えは、3千円のすしと1万円のすしとでは7千円の差があるけれど、おいしさの違いは2割ぐらい。その2割に7千円出せるかってことで。
一同 なるほどお。
 あと、山本さんの店は私語禁止なんです。
 もともと古本喫茶みたいな感じで、本を読む人、勉強する人が来る。自然にそうなりました。
 おもしろいですね。
 静かにする喫茶店もあれば、話し声がさざめきになって心地よい店もある。ここ「ぱあらー泉」って、ソファの感じも好き。あとは借景。特に1階の角の席が最高で、窓越しに京浜急行が走っていく…。私、黄色い喫茶店が好きなんですよ。
 あ、はは。
 ここ、結構黄色いでしょ(と壁にある金色の照明器具を指さす)。金色ですね、金が入っているとまたその店行こうかなって。
 優雅な感じ。
 椅子の色もそうだし、この生地ね!
 ベロア、昔のアメ車みたいな。
 関内の「コーヒーの大学院」もそうですね。 

4 なぜか南区の話に



〈クリームあんみつ登場〉
 これはもう正月が来たみたいだね!
 あんが「清水製(せい)餡(あん)所」という、南区中村町にある業者で。寒天は伊勢佐木町の「銚子屋」。もう、近所で完結しているんです。
 この辺みんな、つながってるもんね。「浜志まん」(伊勢佐木町の洋菓子店)のご主人に、そこの角を曲がった所のそば屋さんで食べなさいと言われた。「すゞ家」(若葉町)。
 僕の一押しは曙町の「守茂」の天丼ですね。
 「岩井の胡麻(ごま)油」で揚げてる。
 「守茂」、私ずうっと気になってたんですよ!
 僕は子どもの頃から天丼です。
 じゃあ行かなきゃ。
 岩井の社長さんが、そこで食べろって。かき揚げそば食べてくれって。
 ラーメンは伊勢佐木町の「玉泉亭」。あとは「浜志まん」のボストンクリームパイ。
 あれは最高。
 僕は、あれ一人でワンホール食べちゃいます。
 分かる!
 あそこすごいんだ。平日なのにみんな買って帰るんだ。面白い話で、元は和菓子屋さんだったんですよ。戦後、横浜港-北米航路の客船のパティシエを迎えて、ボストンクリームパイのレシピにアレンジを加えて作ったら大人気に。
〈ひょんなことから出身校の話になって…〉
 僕、関東学院に行ってました、小中高と。
 やっぱり南区の商店街の子の王道だ!
 商売人の子はだいたい関東に行くんですよ。
 うちの亡きばあさんが今はもうない有馬病院で婦長をやってて、関東の子がけがすると必ず来てた。
 佐藤病院もあるよね、お三の宮の近くに。その佐藤病院、意外な事実が判明したの。大佛次郎の日記を読んでたら「吉野町三丁目の佐藤病院の栄七院長」と伊勢佐木町の不二家に行った話が出てくるの。この栄七院長というのは佐藤病院の先代で、大佛次郎の友達だったみたいで…。
--ナポリタンじゃなく南区の話になってますが…。
 いいんだよ! 南区には神奈川新聞の読者が多いんだから!
--でも伝わりにくいことばっかりですよ。
 そうね(笑)。


<strong>刈部山本</strong>(かりべやまもと)さん お一人様珈琲店「結構人ミルクホール」店主 1975年生まれ、東京都板橋区在住。町歩き&大衆食ミニコミ誌発行人。「町中華しっとり炒飯」を提唱。ギャンブル場めし、駄菓子屋もんじゃ等、地域と食のありようを掘り下げる。
刈部山本(かりべやまもと)さん
 お一人様珈琲店「結構人ミルクホール」店主 1975年生まれ、東京都板橋区在住。町歩き&大衆食ミニコミ誌発行人。「町中華しっとり炒飯」を提唱。ギャンブル場めし、駄菓子屋もんじゃ等、地域と食のありようを掘り下げる。

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