1. ホーム
  2. スポーツ
  3. 「幸せな時間だった」 マリノス、MMから移転

「幸せな時間だった」 マリノス、MMから移転

スポーツ 神奈川新聞  2015年05月22日 03:00

練習する横浜Mイレブン=横浜市西区のマリノスタウン
練習する横浜Mイレブン=横浜市西区のマリノスタウン

 J1横浜Mは21日、横浜市のみなとみらい21(MM21)地区にある拠点「マリノスタウン」の土地の定期借地権契約が2016年5月に満了することを受け、来年1月からトップチームの練習場をホームの日産スタジアム(同市港北区)に隣接する日産フィールド小机などに移すと発表した。クラブ事務所も新横浜駅近くになる予定。

 ユース、ジュニアユースなどの育成組織とスクール事業は、来年3月いっぱいまでマリノスタウンで継続。育成組織は来年4月以降、日産スタジアムに隣接する人工芝コートの「しんよこフットボールパーク」を練習拠点とするほか、横浜市内にもう1カ所のグラウンドを確保する。スクール事業については現在グラウンド確保の交渉中という。

 マリノスタウンは2007年1月に全面オープン。日産自動車サッカー部から続く名門クラブの象徴としてリーグ屈指の施設を誇ったが、年間5億円とみられる維持費が経営を圧迫していた。嘉悦朗社長(59)は「横浜という都市部で無理なく活動するための最適解だ」と説明した。

 ビッグクラブの象徴だったマリノスタウン。クラブをリーグ2連覇に導いた元監督の岡田氏らの考えも反映されていた練習拠点移転の発表を受け、選手たちは「幸せな時間だった」「時代の流れ」と感傷的になる一方で「何かが変わるわけじゃない」と冷静に受け止めた。

 元日本代表のDF中沢は「この施設があるから37、38歳でも元気にやれている」と感謝する。残留か移籍かで心が揺れた2008年、金額では下回っていた横浜Mに残ることを選択した理由の一つには、Jクラブ屈指の施設の存在があったという。「このクラブハウスがあることはポイントだった」と語る。

 育成組織から横浜Mひと筋のDF栗原の表情に影が帯びる。「クラブを象徴する施設だった。長くいた家から引っ越すような感覚。寂しい」と語った。

 利便性の高い立地、計4面のグラウンド、流水プール-。嘉悦社長が言う「無形価値」がここにはあった。

 ただ、DF小林は「この施設がこの場所にある必要はないと思う。練習場所は田舎でもいいんじゃないか」と言う。J2愛媛に1年間の期限付き移籍し、厳しい環境で自らを律したMF斎藤は「(選手自身も)ちょっとした苦労はした方がいい。やるべきことはおのおのがやれば、環境なんてどうにでもなる」と語る。

 中沢は「全てがそろった施設は難しい。何がベストか探していく。トレーニングの幅も広がるかもしれない」と前向きに捉えた。

嘉悦社長に聞く「持続可能な成長のため」


マリノスタウン移転の経緯を説明する横浜M・嘉悦社長=横浜市西区のマリノスタウン
マリノスタウン移転の経緯を説明する横浜M・嘉悦社長=横浜市西区のマリノスタウン

 横浜Mの嘉悦社長は21日、報道陣に練習拠点の移転の経緯や概要などを説明。決断がビッグクラブとしての「後退」ではなく「前進」であることを強調した。

 -移転を決めた経緯、理由は。

 「2013年に、クラブは実質過去最高の売り上げを遂げ、長い歴史の中で初めて地力で黒字になった。優勝争いをし、過去最多となる観客を動員し、スポンサー収入も賞金も過去最高。だが、全てがそろっても、900万円の黒字がうちの収益体質。持続可能な体質ではなかった」

 「われわれを取り巻く経済環境、経営環境は決して良くない。そんな中でクラブライセンス制度ができ、中でも一番深刻なのが財務基準だった。大変重たい課題で、全てのクラブが苦しんでいると思う。人件費に手をつける気はなく、もの(マリノスタウン)に手をつけざるを得なかった」

 -なぜ新横浜か。

 「いろいろな選択肢の中からやはり新横浜の近く、主戦場である日産スタジアムの周辺に機能を集約していく考えになった。あそこをサッカーの聖地に、マリノスの聖地にしていけたら。施設に必要な土地、コスト、効率性など、全てに置いて最もバランスの取れた場所だと判断した」

 -今後の方針は。

 「近年、2013年を除けば5億前後の赤字が出ていた。施設にかかるコストは大幅に抑制される。ただ、大事なのはそこで生み出した余力を、チームの強化や地域貢献活動に配分しなくてはいけない。マリノスタウンは撤退するのではなく、持続可能な成長のために新横浜に行くんだというポジティブな考えだ」


トップチームが練習する天然芝2面のグラウンド
トップチームが練習する天然芝2面のグラウンド

クラブハウス
クラブハウス

シェアする