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綱島温泉幕また一つ 「東京園」が19日を最後に無期限休業

話題 神奈川新聞  2015年05月16日 11:45

午前11時の営業開始前、利用客の列ができる
午前11時の営業開始前、利用客の列ができる

 戦前に栄えた綱島温泉の名残を伝える横浜市港北区の温泉施設「東京園」が無期限休業することが15日、分かった。敷地の一部が、東急東横線に乗り入れる相鉄線の新駅建設工事に使われるため。創業69年、4代目社長の中村ゆう子さんは「お風呂だけでも残せないものか」と話し、営業継続の道を模索している。

 19日の営業を最後に休業に入る。敷地は工事の事業者に賃貸し、新駅を造るための建設資材置き場などに利用される。東京園の建屋は大広間部分など一部が解体されるという。

 工期は2019年までで敷地はその後返還されるが、中村さんは、温浴施設部分だけでも営業を続けられないか事業者らと話し合いを続けるとしている。

 敷地使用の打診を受けたのは2年ほど前。新駅は地下35メートルに造られ、東京園の敷地に接する直下を通る設計だった。温泉に使う地下水への影響など営業への支障を懸念した利用者が工事に反対する署名を1万1千人分集めたが、計画は変わらなかった。中村さんは「駅ができれば街が活性化するという声もあり、仕方がなかった」と苦渋の中で敷地提供の決断を下した。

 東京園が開業したのは1946年。戦前に温泉街としてにぎわった綱島街道沿いで、残り数軒となった温泉施設の一つとして営業を続けてきた。中村さんの兄で専務の司郎さん(72)は「工事ヤードとして使うのは敷地の半分余り。存続を願うお客さんも多く、何とか営業を続ける方策がないか探っていきたい」と話している。

惜しむ利用客、思い寄せ


 横浜の歴史がまた一つ幕を下ろす。戦後の混乱期に創業し、真っ黒なラジウム泉と憩いの空間が地域に愛されてきた東京園。壁に一つ、また一つと増えていく寄せ書きに惜別の思いがにじむ。

 東急東横線綱島駅から歩いて3分、都会のオアシスに昭和の香りが漂う。平日の昼下がり。昴(すばる)に天城越え、カラオケの歌声が大広間に響き、傍らでは初老の男性が缶酎ハイをうまそうに傾けていた。

 湯上がりの顔をほてらせ94歳、井山かつ子さんが目を細める。「若いころは母親に連れられ、女湯の真ん中にある丸い浴槽に一緒に入ったものなの」。港北区の自宅から息子に車で送ってもらって週に1、2度、湯につかる。持病の腰痛に効くというだけじゃない。「思い出が詰まっている。ここがなくなったら、他には行くところがない」

 都内から月に1、2度足を運ぶ笹森由紀子さん(67)も「常連客同士で『最近見なかったけど、元気だったの?』と声を掛け合う。近頃珍しい雰囲気が見守りの場のようで心地よかった」と惜しむ。

 

街の歴史の「生き証人」でもあった。

 戦前、駅周辺は綱島温泉の名で知られ、「東京の奥座敷」として70~80軒の温泉宿、休憩所がひしめく活況を呈していた。多くは戦時下に休業を迫られ、終戦直後に利用されずに残っていた温泉施設を買い取って開業したのが東京園だった。

 やがて観光地としての人気は箱根や伊豆に移り、東京園は地域の憩いの場になっていく。

 休憩室は無料で利用でき、お菓子や弁当、ビールを持ち込み、カラオケのマイクを握り、気の知れた仲間と囲碁を楽しむ。結婚式会場として借りたり、ライブイベントが催されたり、最近は客層も広がってきた。

 営業は19日までと最終的に決まった13日夜、大広間を出た先の壁に寄せ書きが始まった。

 〈東京園での思い出は宝ものです〉
 〈独身の時は一人で、最近は親子で長年楽しませていただきました。たくさんの思い出をありがとう〉

 一つ一つを眺めながら社長の中村ゆう子さんは「仮店舗でお風呂だけでもやりたいが、どうなるか分からない。うちがなくても皆さん、元気でいてね、また会いましょうと言いたい」。

 兄で専務の司郎さんも「みんなに支えられ長い間やってこられた」と感謝を口にし、「喜んでくれる人がいる限り、応えたい」と営業再開への思いをにじませた。


黒いラジウム泉が特徴の東京園の浴室。おけが床に当たる音が高い天井に響き渡る =横浜市港北区綱島東
黒いラジウム泉が特徴の東京園の浴室。おけが床に当たる音が高い天井に響き渡る =横浜市港北区綱島東

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