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時代の正体〈95〉見えにくい被害実態

時代の正体 神奈川新聞  2015年05月14日 11:56

被害実態調査の分析を解説する金教授=10日、下北沢タウンホール
被害実態調査の分析を解説する金教授=10日、下北沢タウンホール

 特定の民族を差別し、憎悪をあおるヘイトスピーチがやまない。法規制の議論は進まず、路上やインターネット上で野放しのままだ。標的となっている在日コリアンから落胆が漏れる。ひどい差別が放置されているのは、多数者たる日本人に少数者が受けている被害の深刻さが見えていないからだ-。

 市民団体「反レイシズム情報センター」(ARIC)が都内で開いた設立記念シンポジウム。関西学院大の金(キム)明秀(ミョンス)教授は指摘した。

 「差別の被害は二重に見えづらい。第一に多くは被害を訴えることを諦めざるを得ないため、声を上げられない。次にヘイトスピーチの効力が多数者と少数者とでは違っているため、被害の深刻さが多数者たる日本人には見えにくくなっている」

 在日コリアンの親睦団体やNPO法人が実施した四つの被害実態調査を分析したところ、浮かび上がったのは幾重にもなった不可視の壁だった。

泣き寝入り

 在日韓国青年会の調査では、インターネット上の差別的な記述や動画にどの程度嫌な思いをしているか聞いたところ、「とても」「少し」という回答が66%、「まったく気にならない」は12%だった。

 どんな人が嫌な思いをしているのか分析したところ、年長者から在日の歴史を聞かされたり、民族団体の勉強会や成人式といった催しに参加したり、広い意味で民族教育を受けている人ほど嫌悪感を抱く傾向があった。「逆に、そうした差別を見抜く目がなければ、差別を受けても当事者が自覚できない」

 在日コリアン青年連合の調査では、ネットのヘイトに接して「ショックを受けた」とした回答が78%に上り、どう対応したかを聞いたところ、「とくに何もしなかった」も81%だった。

 「差別を自覚しても問題化する手段がなく、何を言っても無駄だと泣き寝入りしている。仕方がないことだ、何でもないことなのだと自分に言い聞かせ、しかし、無自覚なうちに自尊心に傷を受け続けているという構図が見て取れる」

暗黙の承認

 NPO法人ヒューマンライツ・ナウの聞き取り調査の対象は街中でヘイトスピーチ・デモを目にした人が多い。強く訴えられているのが「恐怖」だと金教授はいう。「不愉快、グロテスクといった日本人が抱く印象にとどまっていない。脅迫に近い効力を受けている」

 同じ「朝鮮人をたたき出せ」という言葉を聞き、日本人は不快に思うだけでも、在日の当事者は生存にかかわる危機感を覚える。旧植民地出身者として歴史的、構造的に劣位に置かれていることからこそ言葉のナイフは胸をえぐり、自己の存在を否定させ、社会への絶望を抱かせる。

 「親であれば子どもの健全育成への脅威を抱く。出自を否定的に捉え、外出を嫌がるようになる。こうした非対称性を理解していないと、ヘイトスピーチの問題を軽視し、矮小(わいしょう)化することにつながりかねない」

許容の恐怖

 では、恐怖とはどのようなものであるのか。

 多文化共生人権教育センターの調査は、大阪市生野区の在日にヘイトデモを見聞きした体験を紙に書いて回答してもらったものだ。

 「朝鮮人を殺せ」と叫ぶデモの一団を警察が止めない。主婦や若い女性、年齢もさまざまな人が参加している。差別デモの動画に応援のコメントが寄せられている-。

 「直接襲われるという恐怖だけでなく、そうした差別が許されていることに対する恐怖。つまり、いつか隣人が自分を襲うかもしれないという恐怖を覚えている」

 法的にも社会的にも罰せられていないということは、差別が暗黙の社会的承認に支えられているということではないのか。「そうした思いが恐怖心を増幅させている」

 日本で生まれ育った在日3世である金教授は調査の分析を踏まえ、言う。

 「こんな差別が許されていることへの衝撃がある。差別を許さない社会だと信頼していたのに裏切られた無力感がある。そうして日常が壊されることへの悔しさがある。差別を訴えると反日的だと逆に非難を浴びるこの社会への心配がある。怒り、同時に悲しい。これが差別の被害者としての在日の心象風景だ」

在日3世「差別の見える化を」


ARIC設立の趣旨を説明する梁さん
ARIC設立の趣旨を説明する梁さん

 一橋大大学院で学ぶ梁(リャン)英聖(ヨンソン)さん(32)は言う。「ヘイトスピーチがここまでひどくなってしまったことを含め、民族差別の実態を『見える化』していきたい」。若手研究者や学者ら約20人と立ち上げた「反レイシズム情報センター」(ARIC)。設立の背景には見えない差別の現実がある。

 在日3世。1世は植民地支配の辛苦を味わい、2世は根強く残る差別に苦しんだ。「おまえたちの世代は差別がなくなって良かったと言われながら育ってきた。だが、その後の世代もインターネットで差別を日常的に経験していると感じていた」

 そしてネット空間を出て路上で姿を現したヘイトスピーチ。在日コリアン青年連合のメンバーだった2013、14年に取り組んだ実態調査のアンケートも深刻な現状を裏付けた。ネット上の差別的な書き込みを週1回以上目にする人が48%いて、そのうち「毎日、目にする」は15%だった。一方、ネットで差別に遭遇し、「知人・友人に相談した」が3%、「プロバイダーや公的機関に相談・通報した」は2%。

 泣き寝入りという言葉は使いたくない。「差別を受けてもどうしていいか分からない。訴えたところで解決の手段が見えない。差別が差別として認められなければ、訴えの声を上げることなどできない」

 政府は「正当な言論を不当に萎縮させる危険を冒してまで処罰・立法を検討しなければならないほど、現在の日本で人種差別の扇動が行われているとはいえない」との見解を繰り返す。差別の一形態であるヘイトスピーチをなくそうというなら、おおもとの差別をなくす政策が必要になるはずだが、前提となる差別の実態を調べたことが政府にはない。

 そうして在日を標的に頻発するようになったヘイトスピーチ。もっとも、差別をなくす政策が存在しないのも当然かもしれないと考える。「そもそも在日は存在自体が認められていない透明人間のようなもの。在日コリアンの定義を政府は持っていない。基礎的な調査も統計もない。存在を把握できていないで政策などできない。政策なき差別政策ではないか」

 ARICでは差別の実態調査に取り組む。現状の民族差別の深刻さを政府に認めさせ、公式の調査に取り組ませる。法規制の議論に道筋をつけるだけでなく、それが在日が在日として生きる一歩になると信じている。


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