
桜のつぼみが膨らみ始めた3月下旬、藤沢市本鵠沼の「ラウンド カフェ」は磯の香りに包まれていた。
瀬戸内海に浮かぶ山口県祝島(いわいしま)で採れたばかりのヒジキがテーブルに並ぶ。素材の良さを味わえる釜揚げと、オリーブオイルに塩こしょう、ぎゅっと絞ったレモンで味付けしたサラダの2皿。口に運ぶとふっくらとした食感の後、さわやかな香りと奥行きのある滋味が広がった。
「島民が命懸けで守ってきた『奇跡の海』の恵みをぜひ味わってもらいたかった」
イベントを呼び掛けた藤沢市在住のフリーライター、山秋真さん(44)はテーブルに分かれて座った参加者46人にそう語り掛けた。
奇跡の海で採れた奇跡のヒジキ、豊かな自然の恵みを守った人たち-。それは誰もが自明と思っていたことが、そうではなかったという「奇跡の物語」でもあるはずだった。
50基以上を数える国内の原発も、必要があって当たり前に存在しているわけではなかった。
問題は、どうしたら耳を傾けてもらえるかだった。
祝島に山秋さんが向かうようになったのは2010年9月からだった。知り合いになった映画監督に誘われた。目にしたのは「戦場」のような光景だった。
「基地の移設問題で揺れるいまの沖縄・辺野古の海のよう。埋め立て工事を阻止しようと20隻以上の船が出て、大混乱が続いていた。でも全国ニュースにはなっていなかった」
3・5キロ先の対岸、上関町で原発建設の準備のための埋め立てが始まっていた。ブイが設置されると反対運動は激しさを増した。島民の9割が建設反対派。人口約400人の小さな島は「原発に抗(あらが)い続ける島」だった。抵抗は中国電力が1982年に原発建設計画を発表してから30年以上続いていた。
「週刊金曜日」に「戦場ルポをやります」と企画を売り込み、原稿を送った。そして東日本大震災が起きた。東京電力福島第1原発事故を目の当たりにし「社会のあり方や価値観、未来の生き方とすべてが根本から覆された感覚。もうこれまでのような生き方は通用しないと確信した」。
しかし-。中国電力は建設予定地での作業を一時中断したが、電力の安定供給などを理由に計画を取り下げてはいない。安倍晋三政権も原発再稼働にかじを切った。
「あれほどの事故が起きたにもかかわらず、事故自体がなかったかのよう」。原発問題を風化させたくないと思うと同時にそもそも、どれだけの人が正確な知識を持っているだろうかという疑問がよぎった。
「原発反対」の4文字を口にした途端、浮かぶけげんな顔、ふさがれる耳。一方、3・11後に地域で出会った若いお母さんたちがいた。キーワードは「食の安全」だった。原発から拡散した放射性物質に不安を抱いていた。
人は楽しいもの、ポジティブな響きに引きつけられる。山秋さんの頭に浮かんだのが祝島で口にしたヒジキだった。
イベントが始まり約1時間、おなかも満たされ参加者が一人また一人と口を開いてゆく。
足柄の山すそで農業をしている女性は「草取りをしていると捨てる場所が必要になる。原発事故の影響で汚染された木や草、土、水は最終的にどこに持っていくだろうと考える」と話した。事故で汚染されたものだけでなく、使用済み核燃料の処分方法がないまま再び原発を動かしていいのだろうか。
元原子力プラント設計技師として東京電力柏崎刈羽原発、中部電力浜岡原発の設計に携わった後藤政志さん(65)=茅ケ崎市=は言った。
「以前は『原発は危険なのではないか』という疑問があっても確信が持てなかった。いまは人類と原発は共存できないという結論に至った」
子育て中の女性は「震災後、食の安全について真剣に考えるようになった。でもママ友たちの間では『勉強会があっても難しそう』『何も知らないのに行くのははばかられる』という話になり、なかなか一歩が踏み出せなかった」と打ち明けた。
この日は開き直って参加してみたといい、「話を聞き、美しい海の画像を見て、ヒジキを味わい、だからおいしいのかと身をもって納得できた。分からなければ、これから学べばいい。いろいろな勉強会に参加していきたい」と笑顔で宣言した。
小田急江ノ島線沿いにある無人販売所「かしの木荘」で無農薬野菜や肥料を販売する河辺千佳さん(30)も祝島のヒジキに魅せられた一人だった。知人からこのヒジキにまつわる物語を伝え聞き、販売所の商品に加えることにした。
「政治や経済といった難しい話は敬遠されがちでも、おいしいものに興味を持つ人は少なくないはず。食のことを考えることが、社会のこと、次の世代のことを考えるきっかけになればいい」
まずは知ること。知ることで変わる一歩は踏み出される。
それは山秋さんの歩みでもあった。
原発に興味を持ったのは大学生時代、留学先の米国でのことだった。「せっかくだからめったに行けないところへ行こう」とスリーマイル島へ向かった。学んでいた舞台芸術への関心はしぼんでいった。
参加者でいっぱいになったカフェを見回し、山秋さんは感慨を込める。
「震災前、祝島に関心を向ける人がどれだけいたか。その意味では大きな変化は起きている。一度変わったものは、もう元には戻らない」
友人の女性が隣でうなずく。
「昔の友達とはもう話題が合わない。『まだ政府の言っていることをうのみにしているのか』と距離を感じて疎遠になった友達もいる」
きっとそれでいいのよ、と山秋さんは前を向いた。
「新しい出会いが育っていく可能性を探して、いろいろな機会をつくっていきたい」
知った者の務めとして-。
