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特攻隊の「事実知って」 出撃前の手紙を展示

カルチャー 神奈川新聞  2015年03月19日 19:21

田所啓助さん(左)と兄の重幸さん(相模原市立博物館提供)
田所啓助さん(左)と兄の重幸さん(相模原市立博物館提供)

 出撃前の特攻隊員が弟に宛てた手紙が、相模原市立博物館(同市中央区)で開かれている学習資料展「戦争と生活」で展示されている。兄からの手紙を寄贈した同市南区の田所啓助さん(81)は思いを込める。「特攻隊を題材にした映画やドラマが話題になっているけれど、それは物語の話。この手紙は事実。天皇陛下のために、と死んでいった人がいたことを知ってほしい」

 「去る一日面会有(あ)り難(がと)う。お前も大変な苦労をした事であろう。面会禁止の際、少しの間なりとも、幸い面会出来(でき)て、兄も何等(なんら)言葉に尽くせぬ程嬉(うれ)しかった」

 70年前の手紙はそう始まる。差出人は、10歳以上も年の離れた啓助さんをわが子のようにかわいがってくれたという兄重幸さん。長く大切に保管してきたが、15年ほど前に親戚の勧めもあり、市に寄贈した。

 重幸さんは当時、茨城県にあった飛行場にいた。

 1945年1月31日、重幸さんが世話になっていた飛行場近くの農家から電報が届いた。近く特攻に出ることを示唆する内容だった。

 翌朝、小学5年生だった啓助さんは、母と姉の3人で汽車に乗り、茨城に向かった。雨が降る中、汽車は時折、動かなくなった。後ろから押したりして泥まみれになりながら、ようやく着いた頃には、辺りは暗くなっていた。

 「面会はさせない」と門衛に言われたが、母があれこれ口実を作り、1時間ほど説得。憲兵に囲まれながら、短い面会が許された。「死ぬ前に会うってことは、子ども心に気が引き締まる思いだった」。啓助さんは70年たった今でもそのときのやりとりを鮮明に思い出す。

 手紙は後日、郵便で送られてきた。手紙には、こうも記されていた。「一生懸命勉強し、お母様に孝行つくし、兄の分迄(まで)働いてくれ。兄の最後の願いで有(あ)る」

 終戦後、重幸さんが面会の4日後になる同年2月5日に戦死したという通知が届いた。

 手紙は会期の今年4月5日まで展示されている。「70年たって、手紙がみんなに知られるようになった。兄も浮かばれるだろう」と啓助さん。今後も、戦争を知らない世代に伝えるため、他の資料館などでの展示を要望するつもりだ。

 入場無料。問い合わせは、同博物館電話042(750)8030。

【神奈川新聞】


田所啓助さん
田所啓助さん

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