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辺野古をわが事に 葉山のバンド、歌で訴え

カルチャー 神奈川新聞  2015年03月16日 12:00

「the yetis」の(写真左から)田川薫さん、山田さん、安藤誠英さん
「the yetis」の(写真左から)田川薫さん、山田さん、安藤誠英さん

 昨年の市長選、市議選、県知事選、そして衆院選。沖縄県名護市辺野古での米軍新基地建設に対する沖縄の民意は、4度までも「ノー」だった。だが、政府は無視を決め込み、計画を加速させ、既成事実化を図る。12日には、県の中断要請を蹴って海底ボーリング調査を再開。一方、本土に暮らす多くの国民は無関係を装う。果たして民主主義社会の健全な姿だろうか。辺野古に足を運び、わが事として考えてほしい-。そう訴える人たちがいる。

 耳元でささやくように語り掛ける。どこか切なさを感じさせる歌声にはしかし、揺るがぬ思いが込められている。

 ここへきて みてごらん

 ここへきて みてごらん

 ここへきて みてちょうだい

 ここからの あの海を

 辺野古を歌う楽曲「丘」。奏でるのは、葉山町を拠点に活動する3人組のフォークバンド「the yetis」(ザ・イエティーズ)だ。ボーカルの山田里美さん(36)が初めて作詞作曲を手掛けた。

 きっかけは、辺野古などを舞台にした映画の鑑賞だった。2009年春に初めて足を運び、訪問を重ねた。丘から見下ろし、海岸から見渡し、船上から眺めた辺野古の海は、息をのむ美しさだった。見慣れたはずのベテラン船長も「毎日、表情が変わる」とため息を漏らす。シュノーケリングをすると熱帯魚やサンゴに囲まれ、「命にあふれていた」。心が激しく揺さぶられた。

 沖縄を何度も訪れてはいたが、「離島で非日常を楽しむだけ。戦跡を訪ねることも、米軍基地の存在を深く考えることもなかった。無知を恥じました」。現場に立ち、事実を知ることで、沖縄が、辺野古が自分自身の問題になった。

 日本全体のためには沖縄に我慢してもらうしかない、と考える人たちがいる。だが、「あの海を一度でも見れば、立場や主義主張を超えた一人の人間として、埋めようとは思わないはず。愚かな行為です」

 自分に何ができるのか。自問しながら自宅でウクレレ片手に口ずさむうちに「ふと、出てきた」。それが「丘」だった。

▼「過激」という誤解

 昨年夏、久しぶりに辺野古を訪ね、米軍キャンプ・シュワブのゲート前で新基地建設反対の輪に加わった。報道で切り取られた参加者は声高で猛々(たけだけ)しい。当初の緊張はしかし、杞憂(きゆう)だった。

 夏の沖縄は日差しが強い。肌がジリジリと焼けるようだ。抗議活動ではサングラスと帽子、日よけ用の手ぬぐいが欠かせない。ただ、マスクを着けない参加者は多い。「マスクまですれば『過激』な集団だと思われてしまう」。その男性は唇をやけどし、食事を取るにも苦労しながら、ゲート前に立ち続けていた。

 宿泊先が決まっていないと知った女性が、3日ほど自宅に泊めてくれた。容認派も暮らす地元には、しがらみもある。当初はそっと差し入れをして帰るだけだったが、「もう黙ってはいられない」と意を決し、座り込みに参加していた。

 娘や孫を連れたお年寄り、夫婦や恋人同士、夏休み中の大学生…。地元はもちろん、県内、全国から集まる。自分と同じく、本土からの単身女性も少なくない。共通するのは「ひとごとではない」という思いだ。ごく普通の人たちによる静かな怒りを源にした非暴力の抗議活動だが、「本土では誤解されている」と思う。

 辺野古を歌うと知った参加者に背中を押され、ゲート前に立った。拡声器を口元に当ててもらい、借り物のウクレレを弾きながら問い掛けた。

 山をいれて 山をいれて

 山をいれて 青を埋めて

 山をいれて 山をいれて

 飛びたつのは 何のため

 (「丘」より)

▼体裁気にせぬ政府

 辺野古を知り、自分自身が変わったと感じる。以前は無意識のうちに大きなものに流され、何事も言われるままに受け入れていた。「今は、ごまかされないように自分の頭で考えるようになった。物事を俯瞰(ふかん)して、自分にも関係することだと考えるようになりました」

 辺野古で目にするのは、なりふり構わぬ政府の姿だ。例えば、海上保安庁の巡視船。沿岸部には近づけないにもかかわらず、10隻ほどが沖合に居並ぶ。「威圧が目的。向かうべき相手は国民ではないはずなのに。政府はもはや、体裁を取り繕おうともしません」

 強権的な姿勢はいよいよ際立つ。民意を無視して知事との面会さえ応じない一方、暴力的な排除や拘束を続け、12日には中断していた海底ボーリング調査を再開した。夏には埋め立て工事に着手する方針を示す。

 ゲート前に立ち、ふと思う。本当に声を届けたい相手は、目の前にいる沖縄県警の警察官でも、政府の出先機関の現地職員でもない。遠く離れた東京にとどまり、沖縄の人同士の対立をあおり、「自分の手を汚さない人たち」だ。

 政府の力は強く大きい。だからこそ歌い、辺野古に行こうと呼び掛ける。

 「心動かされたものが壊されると思えば、ひとごとではなくなるのが人の自然な心。辺野古は自分の問題。そう思える人が一人でも増えれば、きっと道は開けるはずです」

◇家族や地域 国策分断

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の返還合意から間もなく19年。移設容認か反対か。約1900人が暮らす辺野古の集落は、国策に分断されてきた。

 地元住民でつくる「ヘリ基地建設に反対する辺野古区民の会」代表の西川征夫さん(70)は、かつては「ばりばりの自民党支持者」だった。海を守ろうと移設に反対したことで、容認に回った無二の親友と絶交。政府に翻弄(ほんろう)される暮らしに疑問を抱いた親友と再び言葉を交わせたのは13年後、移設反対を掲げた現名護市長が初当選した2010年のことだ。心労から体調を崩したこともあり、「長く、苦しかった」と振り返る。

 「辺野古の話を聞かせてほしい」。昨年夏、そう言って訪ねて来た子ども連れの女性の目は、何か言いたげだった。聞けば、夫は沖縄県警の警察官。「これ以上、見て見ぬふりはできない。子どもたちに辺野古の実情を学ばせたい」と夫に話すと「夫婦の縁を切る。出て行け」と一喝されたという。「家族を大切にしなさい」。女性を諭し、そのまま帰宅させた。

 分断は地元にとどまらない。「家族が、地域が、沖縄が壊されている」と憤る。

 明るい兆しもある。辺野古移設反対の知事と市長が誕生した。住民向けの活動に集中する中、「辺野古も反対でまとまりつつある」といい、「地元の総意として公の場で決議したい」と話す。「子や孫に禍根を残すわけにはいかない。仲の良かった昔の辺野古に戻りたい」との思いからだ。

 新基地建設阻止に残された時間は、決して多くない。那覇から車で約1時間半。「辺野古に来て、この美しい海を見てほしい。懸命に反対を訴えるおじぃ、おばぁの思いを聞いてほしい」と訴える。

 米軍基地は沖縄だけでなく、日本全体に関わる問題だ。自分が良ければ沖縄を犠牲にしても構わないという考えは許されない。「辺野古で感じたことをそれぞれの古里に持ち帰り、伝えてもらいたい。全国に広がれば、地元の総意とともに政府への圧力になる」

【神奈川新聞】



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