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津波そのとき〈5〉 復興を「わがこと」

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神奈川新聞  2004年06月06日公開  

聞き取りの成果をまとめた冊子を手に、復興への思いを語る山田さん(右)と沢里さん=久慈市立宇部中学校
聞き取りの成果をまとめた冊子を手に、復興への思いを語る山田さん(右)と沢里さん=久慈市立宇部中学校

 「将来は行政に携わり、地元の復興に貢献したい」

 岩手県久慈市の市立宇部中学校3年、山田裕希さん(15)は、14日の巣立ちの日を前に進むべき道を定めた。中学校の3年間は災後の日々に重なるが、東日本大震災に向き合い続けたわけではなかった。 

 人々の運命と街の姿を大きく分かつことになった津波の到達地点。野田湾から4キロほど離れた高台にある宇部中や山田さんの住む地域は巨大津波にのまれなかった。だから、犠牲者が2万人を超えた震災の地元で暮らしていても、災禍を「わがこと」として受け止められなかった。 

 転機は2年時に訪れる。震災時に勤務していた市内の別の中学校で避難所運営に追われ、翌2012年春に宇部中に赴任した佐々木慶信校長(55)の抱いた感慨がきっかけだった。「生徒に当時のことを聞いても、全然覚えていなかった。被災地の住民として、それではいけない」 

 ■共感 

 その1年後から、総合学習の時間を使った「復興教育」が始まった。全校でも38人という小規模な宇部中の生徒たちはグループに分かれ沿岸部に赴き、佐々木校長の出身地でもある山田町で被災者への聞き取りを進めた。 

 基礎だけとなった住宅の跡地、海面とほぼ同じ高さに沈下した港の岸壁。至る所に残る震災の爪痕を自分の目で確かめた。 

 聞き取りに応じてくれた11人のうち、山田さんが訪ねたのは旅館の女性経営者だった。笑顔で応じてはくれたが、時折浮かべる不安げな表情に被災者の苦悩を知った。土地のかさ上げがなかなか進まず、復興が遅れていることに不満を募らせているようだった。 

 「それでも前向きに生きようとする姿」が山田さんの印象に強く残った。女性は友人を亡くしていたが、「『友達の分まで元気に明るく生きていく』という言葉が心に響いた」。自分たちが日々送っている普通の暮らしは「当たり前にできることではないと気付かされた」という。 

■自問

 2年目の復興教育は、さらに分け入った。 

 より深く被災者に向き合えるようにと、教員たちが思いを巡らせて企画した交流イベント。町立山田中学校の校庭に建設された仮設住宅で郷土料理のまめぶ汁を振る舞い、聞き取りの成果も発表した。 

 聞きながら時に涙を見せる仮設の人々との触れ合いを通じ、思いは変わった。「震災をどこか遠くで起きたことのように受け止めてはいけない。今も被災者は不安を抱えているんだ」 

 被害を免れたからこそ、知り合えた人がいる。出会いがあったからこそ、自分に何ができるかを考えるようになった。2年の沢里皓輝さん(14)も、被災した地元の中学生たちが郷土芸能の「虎舞」を披露する姿に「生まれ育った地元の役に立ちたい」と心を動かされた。 

 まなざしが変わっていく生徒たちの姿を間近で見てきた担当の柏木槙子教諭(31)は言う。「生徒にとって震災はもう人ごとではない」。向き合った町職員から、復興が思うに任せない現状への悩みを明かされた山田さん。その経験がこう言わしめる。「僕たちが復興を担うんだ」 

 =おわり

【神奈川新聞】


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