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津波そのとき〈4〉模型 現実の姿、実演に重ね

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神奈川新聞  2004年06月06日公開  

津波模型を見ながら当時を振り返る芳賀さん(右端)ら宮古工業高校の2年生=同校
津波模型を見ながら当時を振り返る芳賀さん(右端)ら宮古工業高校の2年生=同校

 「正直、震災の記憶は薄れてきていた。でも、今は教訓を語り継ぐことが僕の責任だと思っている」

 岩手県宮古市在住の県立宮古工業高校2年、芳賀瑛希さん(16)が、この1年の心境の変化を明かした。

 そのきっかけとなった180センチ四方の大きな模型。緑に塗られた山の高低、灰色で示された建物の数々、海へと注ぐ川の流れ。表現されているのは、今とは違う宮古の街並みだ。

 模型の上には、紫に着色された水で満たされた水槽が設置されている。手元のボタンを押すと、この「造波装置」から勢いよく水が流れ落ち、海を、そして街を紫に染めていく。

 同校が東日本大震災以前の2005年度から、授業の一環で製作を続けてきた津波模型。市内の沿岸全域、あるいは特定の湾や港を中心としたものまで11種ある。芳賀さんの先輩たちはこの模型を持参して小中学校へ出前授業に出向き、津波の怖さ、高台に逃げる大切さを伝えてきた。

■意識
 その実演のような光景が現実となった4年前、芳賀さんは宮古湾から約1・5キロ離れた市立宮古第一中学校の1年生だった。

 下校途中で大きな揺れを感じたが、特に気にも留めず友人と遊びに出掛けた。肝を冷やしたのは、商店街を歩いている時だった。「津波だ」。慌てて目の前のすし屋に逃げ込み、2階の窓から街を見渡す。

 「車も家も、何もかもが簡単に流されていた」。ぼうぜんと眺めていると、津波にさらわれまいと何かにしがみついている女性が視界に入った。居合わせた避難者と協力してタオルを何本か結び付けてロープ代わりにし、女性を何とか助け出す。

 一命を取り留めたものの、ひどく震えている目の前の女性。「そのとき初めて恐怖心がこみ上げてきた」

 がれきの山と逃げ遅れた人々の遺体。根こそぎにされた街で、あらゆるものを奪い去る津波の恐ろしさも目の当たりにした。それでも歳月を重ねていくうちに爪痕は少なくなり、人々の意識も薄れていった。

 だから今、自分の役割を見つめ直す。「震災前は津波がどんなものかイメージできなかった。体験したからこそ、実感を込めて伝えられる」

■継続
 宮古工業高で出前授業に取り組むのは、課題研究の授業で選択した「津波模型班」の3年生だ。芳賀さんら7人の2年生が加わっているのは、担当の山野目弘教諭(62)が取り組みの継続をにらんでいち早く声を掛けたからだ。

 震災後、1年半の中断を経て再開した出前授業の合計回数は114回に上る。震災以前に授業を受けた地元の小中学校10校では、在校していた児童、生徒に犠牲者はなかったという。

 芳賀さんとともに模型班の活動に参加してきた宮古工業高2年の佐々木大さん(17)は思いを共有する。「先輩から受け継いだ伝統がある。一人でも多くの人に教訓を語っていきたい」

 自分たちが伝えていくべき現実が目の前にある。4年前の津波到達点を示す赤い線が新たに引かれた模型に、そう教えられた。

 (「津波そのとき」取材班)

【神奈川新聞】


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