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凍土を穿つ シベリア抑留の記憶<13>戦友を裏切る「修羅」

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神奈川新聞  2005年11月27日公開  

 シベリアには冬が9カ月あるという。夏は猛暑にもなるが、氷が解けだしたと思う間もなく、9月には再び雪が降り始める。

 そのシベリアに捕虜として収容され、3度の冬を送った関谷義一(87)=長野県長和町=は「あまり、こういうことは言いたくないけれど」と前置きして、飢えや寒さで息絶えた戦友のことを語り始めた。

 「大地が凍っていますから」。埋葬、といっても遺体を埋める穴など掘れはしない。「薄い布をかぶせて置いてくるだけです、雪の山に」。そこへ雪が降り積もる。亡きがらは、春になって動物や鳥が食べる。

 収容所に着く前に力尽きた仲間も数知れない。武装したソ連兵に監視されて雪道を歩く間、バタバタと倒れる姿を関谷は見た。そういう人たちは雪中に葬ることすらできなかった。そのまま、その場に置いていくよりほかなかった。

 「とことんまでいくと、人間は動物以下に、鬼畜になってしまいますね。これが修羅、地獄かと…」

 1945年末、朝鮮の興南から乗せられた船には、千人ほどの捕虜がいたはずだった。が、大半は最初の冬を越せなかった。関谷は70年前の記憶をたぐりながら、小さくつぶやいた。「生き残ったのは、50人ぐらいでなかったかな」

 修羅。関谷にとってそれは、多くの死だけを意味するのではなかった。

 「裏切りだね」。例えば、早く帰国したいがためにソ連兵に取り入る。誰それは革命思想に反動的である、ファシストである、と密告し仲間を売る-。

 収容所には、遺体の着衣をはぎ取り防寒の足しにした話も伝わるが、裏切りに比べれば「人間的」だと関谷は言う。「かえって戦友への功徳になるかもしれない。でも、裏切りは許せないね。一番の罪悪です」

 帰りたい、という誰もが抱く渇望を手玉に取る卑劣さ。それが、関谷の目に映った「修羅」だった。

 =敬称略

◇“民主化”めぐる亀裂
 冷戦を背景にソ連は日本軍捕虜の洗脳、赤化に力を入れた。その主力になったのが、共産主義・スターリン礼賛の日本語新聞「日本新聞」。それを読み、学習する集会の中から「アクティブ」と呼ばれる積極的な活動家が生まれた。

 それら“民主化運動”の広がりには、さまざまな要素が考えられる。捕虜たちは少なからず、旧軍にはびこった暴力と不条理に恨みを抱いていた。そういう元兵士が洗脳によって厭戦(えんせん)、反軍に共鳴し、さらには反天皇制、共産主義に向かった可能性は十分考えられる。

 捕虜の反応は、さまざまだった。共産主義に目覚めて心服する者、あるいは面従腹背。いずれにしても、「アクティブ」たちはソ連側と結んで収容所内で権力を握るようになった。

 新たな支配者たちは“民主化”に否定的とみられる人物の密告を奨励した。そして、つるし上げ。疑心暗鬼が、捕虜の間に深い亀裂を生んだ。シベリア抑留は極寒、飢餓、重労働の三重苦だけではなかった。

 ダモイ(帰国)の段階で様相が変わる。引き揚げ船内では、つるし上げた側が今度は仕返しにおびえることになった。

【神奈川新聞】


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