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思想家・内田樹さん 
時代の正体〈60〉わたしたちの国はいま(4)「辺境」から始まる変換

時代の正体 神奈川新聞  2015年02月02日 11:11

「経済成長が国家目標だなんて、おかしい。国家の目標は成長することじゃなくて、存続することでしょう」と私が言うと、今の日本では変人扱いされます。でも、遠からず誰もが「そんなの当たり前じゃないか」と口をそろえる日が来ると思っています。現に、若い人たちの中でも賢い人たちは「もう経済成長なんてしない」ということを知っている。20代ではそう思う方が多数派でしょう。

国家とその社会制度はすべて株式会社をモデルにして組織改編されるべきだと本気で思っているのは40代から上の世代だけです。たぶん高度経済成長期やバブル期に「いい思い」をしたことが成功体験としてしみついていて、それ以外の解を探す気がないのでしょう。

でも、世代が下になると、株式会社があらゆる社会組織の究極の形だというようなことを信じる人はもうあまりいない。学生時代にアルバイトで収奪され、就活で苦労した揚げ句にブラック企業で心身をぼろぼろにされたという経験を持つ若者たちが「すべての社会制度が株式会社化すれば、世の中は住みやすくなる」と考えることはあり得ない。

20代の若者たちは、グローバル企業が空前の収益を上げたせいで、「個人的にたいへん愉快な思いをした」という経験がない。だから、なんで「そんなこと」を官民挙げて追求しなければいけないのか、その理由が分からないでしょう。

いまのところはまだ「経済成長こそが国家目標」と信じている人たちがわが国の指導層を占めており、政策決定権を握っている。政治家も官僚もジャーナリストも学者も、「経済成長なくして日本の未来はない」と信じている人が99パーセントです。本当は「どうかな」と思っていても、代案を思いつかないので成長神話しか信じるものがないのです。

そんなことをいつまでも信じているのは「老人たち」だけです。若い人たちはもうそんな時代ではないことに気づいています。そして、別の選択肢を求めて動きだしている。ただし、若者たちはまだ発言権を持っていない。政策決定に関与できるポジションにはいないし、企業で経営方針を決める立場にもない。でも、世代交代は1秒、1分、1時間ごとに確実に進みます。黙っていても、老人たちは社会の第一線から消えます。それまでに戦争をして負けるとか、原発事故をもう一度起こして国土が住めなくなるとかいうことさえなければ、いずれ若者たちの時代になります。

■地方回帰と帰農

潮目はすでに変わりつつあります。最も際立った傾向は若者たちの地方回帰です。毎日新聞と明治大地域ガバナンス論研究室の共同調査によると、地方自治体の移住支援策を利用するなどして地方に移住した人は2013年度で8千人を超えました。4年間で3倍に増えた。ただそれもあくまで行政の支援を利用した人の数であり、自力で移住した人たちについては統計がない。おそらく年間数万人という規模で都市部から地方への移住が起きている。

地方回帰者の多くは農業に就業しています。TPP(環太平洋連携協定)によって国内農業は厳しい状況になるといわれる中、これから農業をやろうというのはビジネス的にはありえない選択肢です。でも、実際に限界集落や耕作放棄地に若い人たちがどんどん入っている。この現象は政府が掲げる「地方創生」とはまるで無関係ですし、「強い農業」とも無縁です。

地方回帰と帰農は3・11を機に急増しました。福島の原発事故について政府と東京電力が「本当のことを開示していない」と直感した人たちが「もう行政には頼らない、自分たちの暮らしは自分たちで立てる、自分たちの食べ物は自分たちで作る」という、ある意味きわめてシンプルな解を提示したのです。

生きるために必要なものとは何か。安心して水が飲め、農産物や肉や魚が食べられ、放射性物質のことを心配せずに子どもを育てられる環境を確保すること。行政がそれを保証してくれない以上、個人の力でそのような環境を確保するしかない。そう考えた人たちが地方回帰を先導しました。

都市を離れると、確かに現金収入はなくなります。でも、地方には金では買えないものが豊かに残っているのです。それは山河です。温帯モンスーンの豊穣(ほうじょう)な土壌、潤沢な水資源、深い森。日本は農業に適した土地なので、昨日まで東京で会社勤めしていた素人でも農業に従事することができる。

「明日から農業をやる」という決断ができる国はどこにでもあるわけではありません。米国でも中国でもそう簡単にはいかない。でも、日本ならできる。そんなことができる希有(けう)な国なのです。そのアドバンテージを利用して地方回帰・農業回帰する若者たちが日本全土にいる。これは必ず大きな流れになると私は感じています。

現象的には脱都市運動ですが、それは同時に脱市場、脱貨幣の動きであり、広く言えば、脱資本主義の流れであると言うこともできる。

地方移住者たちの優先的な問題は「どうすれば金がもうかるか」ではなく、「どうすれば人間らしく生きていけるか」です。移住者たちは、金さえあれば必要なものはすべて市場で調達できるとは考えていません。本当に必要なものは金では買えない、日本はもう経済成長しない、資本主義システムそのものが制度疲労を起こして末期を迎えようとしている、と直感している。でも、誰も「成長しない社会」で人はどう生きればいいのかを教えてくれない。誰もそんなことを考えたことがないのだから当然です。自力で考えるしかない。

分かっていることは「国破れて山河あり」ということです。統治システムが瓦解(がかい)しようと、経済恐慌が来ようと、通貨が暴落しようと、戦争に負けようとも、山河さえ残っていれば、私たちは国を再興することができます。

山河とは、森林や河川のような自然環境だけではありません。日本の言語、学術、宗教、文学、芸能、生活文化といったものが含まれます。文化資源と制度資本の全体を含めて、私は「山河」と呼んでいます。外形的なものが崩れ去っても山河さえ残れば、国は生き延びることができるのです。

■政治も地方から

ですから、これからは政治も地方から変わると思っています。霞が関も永田町も「経済成長以外に生きる道はない」と信じている人たちが牛耳っている。でも、地方は違ってきている。滋賀でも沖縄でも佐賀でも、国政の動きとは立場を異にする人たちが選挙に勝ち、知事選を制しました。

滋賀では昨年7月、前知事に続いて「卒原発」を公約した元民主党議員が与党の推薦候補を破って当選しました。沖縄では、普天間基地の辺野古への移設反対を訴える知事が誕生した。佐賀では今月、新自由主義の理論を持ち込み、図書館にスターバックスとTSUTAYAを入れた現職の与党推薦候補に、県民からノーが突き付けられた。

株式会社的な政治システムに対する違和感が地方にはまだ残っている。ですから、今春の統一地方選は安倍政権の進めてきた政治の大きな転換点になると思っています。

国政選挙と地方選挙では、有権者の投票行動は違います。アベノミクスのような幻想的なスローガンではなく、沖縄の普天間基地問題のような具体的な争点がある。そういう選挙では、有権者の健康が配慮されているのか、こんなことを続けていて市民生活は立ちゆくのか、という具体的な問いが争点になる可能性があります。国政選挙のようにどこの政党に入れるかではなく、具体的に顔を知っているどの候補者に入れるかに軸足が置かれる。

政治はおそらく地方から変わってゆくことでしょう。「辺境」から新しい時代は始まる。私はそう感じています。社会が大きく変わるときは、思いがけないところの、思いがけない人が、思いがけないことを始める。誰かが示し合わせたわけでもないのに、それが全土で同時多発的に起きる。

地方回帰は同時多発的に起こりました。これはおそらく末期を迎えた資本主義がまったく新しい社会制度に変換する兆候だと私は思っています。それがどんな形態をとることになるのか、私には予測ができません。でも、このあと地殻変動的な変化は必ず起こります。=おわり

【神奈川新聞】


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