1. ホーム
  2. 社会
  3. 戦後70年 過去から未来へ:横須賀で反戦、平和訴え25年 服部翠さん「自分の頭で考えて」

戦後70年 過去から未来へ:横須賀で反戦、平和訴え25年 服部翠さん「自分の頭で考えて」

社会 神奈川新聞  2015年01月05日 13:21

「言いたいことを言い、やりたいことをやって一生を終えたい」と語る服部さん
「言いたいことを言い、やりたいことをやって一生を終えたい」と語る服部さん

衆院選の大勝を受けて安倍晋三首相は早くも、集団的自衛権行使容認を含めた安全保障関連法案の成立や憲法改正に取り組む姿勢を鮮明にした。「基地の街」横須賀市では今秋までに米原子力空母の交代が予定され、米イージス艦の追加配備も控える。敗戦から70年。防衛の最前線に立つ横須賀で25年間、反核、反戦を訴え続ける服部翠さん(78)は現状を憂う。

原点は明快だ。1945年8月、小学3年生だった服部さんは旧満州(現中国東北部)の大連に家族といた。南満州鉄道(満鉄)が経営する専門学校の教師だった父=当時(40)=は敗戦直前に召集され、戦後に進軍してきた旧ソ連軍の捕虜としてシベリアへ連行される道中で餓死した。「赤紙が来てそのまま帰ってこなかったのだから、国に殺されたようなもの。でも、私たちも中国への侵略者の一員だった」と振り返る。

最初の夫が若くして病死した後に物理学者と再婚。77年に横須賀市へ越してきた。子どもを育て上げ、仕事もこなす傍ら、平和活動に携わった。

89年には、在日米軍基地は米国の国家環境政策法(NEPA)に違反していると指摘した「NEPAの会」発足に尽力。米政府は、騒音被害や基地の危険性などに対し環境影響評価を実施していないとして、米連邦地裁に提訴した。敗訴したものの、基地に対する世界初のNEPA訴訟は、各国の反基地運動にも多大な影響を与えた。

服部さんは「私は人前に出るのがあまり好きじゃないのよ」と笑って首を振る。だがユーモアとウイットに富む歯に衣(きぬ)着せぬ主張と行動力で「非核市民宣言運動・ヨコスカ」「原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会」「いらない!原子力空母」など複数の市民団体で存在感を発揮する。

原子力空母ジョージ・ワシントン配備前の2006年と08年、横須賀市に空母配備の是非を問う住民投票条例の制定を求める直接請求署名運動(市議会で否決)にも携わった。

当時は市民の熱気もあったというが、後継艦に原子力空母ロナルド・レーガンが決まった今回は関心が薄いと感じる。「前回署名をしてくれた人は今、どういう気持ちなのか。福島の原発事故もあり、世界は変わり続けているのに、いつまでも横須賀は変わらない」と歯がゆい思いだ。

集団的自衛権の行使容認については、「北朝鮮が攻めてきたら困るから自衛隊も強くならないといけないと思っているのだろうか。米国は自分たちの国を守るために日本にいるのであって(有事に)守ってくれなどしない」とみる。

喜寿を過ぎた今も、日比谷でデモがあればはせ参じる。チラシ配りにも毎週のように参加する。「いらない!原子力空母」の岸牧子さんは「翠さんは何でも『やってみましょう』と言ってくれる。揺るがない意志のある憧れの人」と話す。

「言いたいことを言って、一生を終える。活動は生きている証し」という服部さんは次世代にも言葉を贈る。「若い人もいろいろだけど、『自分の頭で考えなさい』ということ。子どもがいるなら、その子の将来を考えてごらんって。そうしたら、黙ってはいられないんじゃないの」

【神奈川新聞】


シェアする