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氷川丸、日本丸を国重文に 老朽化で高まる機運 支援受け“百寿”目指す

社会 神奈川新聞  2015年01月04日 03:00

山下公園前に係留、公開されている日本郵船氷川丸
山下公園前に係留、公開されている日本郵船氷川丸

昭和初期の1930年建造で、横浜で係留、保存公開されている「日本郵船氷川丸」と「帆船日本丸」について、国の重要文化財指定を求める動きが今年から本格化する。戦前から海運国・日本を支え、戦火を生き抜いたが、船体の老朽化が進み、廃船の危機に直面している。国の支援で大規模な修繕を行うことで、そろって2030年の“百寿”を目指す考えだ。

戦前に建造された日本の大型船は、第2次世界大戦で大半が沈没したため、ほとんど現存していない。造船工学に詳しい国土交通省運輸安全委員会委員の庄司邦昭さんは「両船とも日本の海運史を象徴する存在で、保存活用されているのは世界的にも珍しい」と高く評価する。

海事文化遺産の保護は、世界的な潮流だ。海底資源開発や領海問題を中心に海洋への関心が高まる中、海洋教育を重視する国が増えているためだ。7月20日に日本で開催される国際海事機関(IMO)国際会議では海洋教育や訓練がテーマで、海事文化遺産の保護についても話し合う。関係者は、この機会に氷川丸や日本丸の重文指定に向けた機運を盛り上げていく考えだ。

国交省などによると、会議前日に国内外の海事関係者ら約400人を招いて氷川丸で船上レセプションを企画。21日には日本丸などを視察する方向で検討している。同省担当者は「氷川丸や日本丸の長期保存に向けた動きに、できる範囲で協力したい」と話す。

国会議員も氷川丸の重文指定に向けて動き始めた。超党派の「海事振興連盟」(衛藤征士郎会長)は、歴史的価値を踏まえて重文指定を目指す小委員会を設置。文化庁などへの働き掛けを進めている。

文化庁の担当者は、木造の小型船が重文に指定されているほか、陸上に固定されている灯台巡視船「明治丸」は建造物として指定されている例を挙げて、「船舶も調査によっては指定の対象となり得る」との見方を示す。担当者は「氷川丸や日本丸は貴重な文化財として認識している」と関心を寄せている。

氷川丸は03年に横浜市の有形文化財、07年には経済産業省の近代化産業遺産に指定されている。日本丸は市の文化財などに指定されていない。

◆歴史“証人”守れ

「市民の関心 大前提」

山下公園前の日本郵船氷川丸と、みなとみらい21地区の帆船日本丸。ミナト横浜を代表する風景となった2隻は市民ボランティアらの手で維持補修されてきた。船体の劣化が進み廃船の危機が刻々と迫る中、国の重要文化財指定が実現するかが注視されている。

氷川丸、日本丸ともに100歳に当たる2030年まで一般公開を前提に従来通り保存活用する方針だが、いずれも延命化には大規模な修繕工事が不可欠。氷川丸を所有する日本郵船は07年、10億円超を投じて船体の補強や内装などの修繕を実施。さらに13年までにさびを抑える樹脂塗料で外板を保護した。

日本丸は1998年を最後に大規模工事を行っておらず、海水に接している鋼鉄製の外板が本来の厚さの6割にまでなっている部分もある。所有する横浜市は「必要な修繕はやっているが、100歳までもたせるための予算額や具体的な手法などはまだ決まっていない」とする。

そろって保存活用を目指す理由の一つは、第2次世界大戦の“生き証人”だからだ。氷川丸は白色の船体に赤十字を掲げて病院船に、戦後は外地からの引き揚げ船として使われた。日本丸は帆装を外し船体をねずみ色に塗って輸送船として、戦後は南洋をめぐり旧日本兵らの遺骨収集に従事した。

そうした歴史に加え、戦前の造船技術の粋が随所に生かされたことも評価が高い。造船工学に詳しい国土交通省運輸安全委員会委員の庄司邦昭さんが注目するのは、外板のつなぎ目などに採用されたリベット構造。「(溶接技術が確立した)現在では造船でリベットをすることはほとんどない。技術伝承の意味でも重要」と話す。

特に氷川丸は、戦時中に沈没した日本の大型客船の豪華な船内意匠の面影が残り、生糸専用の船倉「シルクルーム」を備えるなど、日本経済の発展に果たした役割を今に伝えている。

それぞれの船体の維持や補修にはボランティアが貢献してきた。日本丸では誘致以来、市民らでつくる「かもめ会」が毎年12回程度、すべての帆を張る「総帆(そうはん)展帆(てんぱん)」などを実施。2014年度の海事関係功労者として国交省関東運輸局表彰を受けた。

氷川丸は日本郵船グループ社員やOBらでつくる「クラブ氷川丸」が、手すりなどの真ちゅう磨きや船内ガイドを行っている。

ただ、係留から氷川丸が54年、日本丸が30年を迎える中、横浜の見慣れた風景として捉えられ、市民の関心が徐々に失われつつあるのが現状だ。

庄司さんは、国の重文指定を受けるとすれば「少なくとも市民の関心と理解が大前提」と指摘。「指定されたらそれで終わりではなく、船を大事に保存する動きが市民に起きることが大切」と話し、横浜らしさの象徴としてさらに市民に親しまれ、愛される存在となることを期待している。

◆日本郵船氷川丸 横浜船渠(三菱重工業横浜製作所の前身)で建造された貨客船。北米シアトル航路に就航し、横浜港からの生糸や茶などの輸出でも活躍。「北太平洋の女王」と呼ばれた。戦時中は病院船として、戦後は引き揚げ船として使われた。1953年にシアトル航路に復帰したが60年に引退。横浜開港100周年記念の一環で、翌年から山下公園前に係留、公開されている。

◆帆船日本丸 日本人船員の養成のため、神戸の川崎造船所で進水した大型練習帆船。その美しい姿から「太平洋の白鳥」と呼ばれた。戦時中は帆装を外して物資輸送、戦後は引き揚げや遺骨収集に携わった。1952年に再び航海訓練に従事し、84年に引退するまでに1万1500人の訓練生を育てた。横浜市が同年に誘致し、85年からみなとみらい21地区で展示、公開されている。

【神奈川新聞】


横浜・みなとみらい21地区で保存公開され「総帆展帆」を披露する帆船日本丸
横浜・みなとみらい21地区で保存公開され「総帆展帆」を披露する帆船日本丸

最後の航海から横浜に戻った氷川丸=1960年10月、神奈川新聞社撮影
最後の航海から横浜に戻った氷川丸=1960年10月、神奈川新聞社撮影

初公開された日本丸に長い行列ができた=1985年4月、神奈川新聞社撮影
初公開された日本丸に長い行列ができた=1985年4月、神奈川新聞社撮影

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