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J3元年 相模原 YSCC 県勢2クラブの奮闘(上) 新たな可能性開く やりがい

スポーツ 神奈川新聞  2014年12月26日 12:00

クラブの発展にも尽くしたいという相模原の高原=写真右。クラブ、そして自分自身のステップアップも狙っているYSCCの吉田=写真左。
クラブの発展にも尽くしたいという相模原の高原=写真右。クラブ、そして自分自身のステップアップも狙っているYSCCの吉田=写真左。

各都道府県に二つずつ全国に100のJリーグクラブを-。そんな壮大な目標に向けて今シーズン、J1、J2の下部にJ3が創設された。県勢で参入したのは相模原とYSCCの2クラブ。全国最多の計6クラブがひしめく神奈川で経営に苦労しながらも貴重な経験を積んできた。ピッチ内外で奮闘した選手、フロントから見えてきた可能性とは-。

今月9日にあったJリーグの年間表彰式。タキシード姿のYSCC主将、吉田明生(28)はチームを代表して壇上に立っていた。

「本当に華やかだな。みんなで来たかった」。ステージ中央にはJ1を制し、最優秀選手賞を受賞したG大阪の遠藤保仁(34)らがいた。カテゴリーは大きく違う。それでも、小さな頃から夢見ていたプロ選手としての喜びをあらためてかみしめた瞬間だった。

武相高、東海大などを経て、2011年にYSCCに加入。昨年は午前8時半から午後5時まで医療事務の仕事に就き、夜から練習に参加するという日々だった。それがJ3になって3人以上と契約することと定められるプロ選手になり、今季はサッカー一筋だ。

スクールのコーチも手伝うが、手取りの給料は前職とほとんど変わらない。居酒屋やパチンコ店で働くアマ契約の仲間と比べると、ずっと恵まれているとは思う。「端から見ればプロ選手。だけど生活は変わらない」

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地方の一クラブからトップへ成り上がる-。チームの野心に、ハングリーさを再燃させたストライカーもいる。元日本代表FW、相模原の高原直泰(35)。1999年の世界ユースで準優勝を遂げ、「黄金世代」と呼ばれた79年生まれのフットボーラーである。

シーズン途中の3月にJ2東京Vから期限付きで移籍。練習場もクラブハウスも自前では持たない相模原で戦ってきた。

「練習着の洗濯も自分でしないといけないし、今までやってきた環境とは全然違うところはたくさんある」。J1磐田やドイツの強豪を渡り歩いてきたベテランは、こうも続ける。「苦にはならなかった」。再び活躍の場を得た、その表情には充実感が漂う。

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J3初年度、2クラブはともに思うような成績を残せなかった。優勝を掲げていた相模原は6位に終わり、YSCCは力の差を見せつけられ、最下位に沈んだ。

もとより、J2への昇格要件であるライセンスを持つ金沢などの上位4クラブとは力の差は歴然としていた。

相模原の選手は「優勝しても昇格がない。何が何でもという気持ちの部分がなかったから今の順位」と漏らす。YSCCの選手も「勝てないので常に迷いながらプレーしていた。がむしゃらさも足りなかった」と反省を持って述懐する。

J2昇格が至上命令のクラブとは異なり、明確な目標を立てづらかったのが本音だ。

ただ高原はシーズン終了後、このクラブでのやりがいを語った。「まだまだ発展していくチーム。どうやったら見に来てもらえるか、この町の人々から愛されるクラブになることが大事」。図らずもJリーグの理念を口にした高原。21試合で5得点に終わった悔しさを胸に、相模原で来季もプレーすることを希望している。

今季チーム最多の10得点を奪い、得点ランキング6位に食い込んだYSCCの吉田も参入の意義を感じている。「活躍すれば上のカテゴリーや、もっと良い環境のクラブから声が掛かるかもしれない」。経験や成熟したプレーを通じてクラブの発展に寄与したい者、大きなクラブに羽ばたく夢を持っている者…、そんな多くの選手にとってJ3は新たな可能性を開いている。

【神奈川新聞】


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