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中越地震から10年 復興の途上で〈5〉「農村型」復興 教訓は

社会 神奈川新聞  2014年10月27日 13:00

水没した家々の状況を見学できる旧山古志村の木籠集落。「中越メモリアル回廊」の1カ所で、教訓を学べる場として訪れる人が絶えない
水没した家々の状況を見学できる旧山古志村の木籠集落。「中越メモリアル回廊」の1カ所で、教訓を学べる場として訪れる人が絶えない

過疎高齢化が急速に進む中山間地の集落再生という意味合いが強かった新潟県中越地震の復興。その模索と足跡は、今後さらに本格化する人口減社会への処方箋を見つける試みだったとも言える。発生直後から地元の専門家らと復興の道を探ってきた日本災害復興学会会長の中林一樹・明治大大学院特任教授に10年間の成果と課題、そして生かすべき教訓を聞いた。

-中越地震の復興は「都市型」でなく「農村型」と言われる。

「『神戸より、台湾に学べ』だ。中越地震の状況を見てすぐにそう思い、提案もしてきた。1999年の内陸地震で大きな被害が出た台湾の中山間地も中越と同じような人口減少地域だったが、復興に際し、豊かな生態系に着目したグリーンツーリズムで村おこしを図った」

「休耕田を池に戻し、カエルやトンボを養う。これらを資源に農家民宿を営み、昔ながらの料理でもてなす。ガイドは村人から養成する。そうした試みが軌道に乗り、人を呼び寄せている。その経験に学ぼうと中越の関係者が台湾を視察し、交流しながら復興を進めてきた」

-10年間の実践を基に、今後の自然災害からの復興を進める上でヒントとなる「新潟モデル」が提唱されている。

「新潟モデルの大きな特徴は自由度の高い復興基金と地域復興支援員だ。基金は国の制度に基づいた施策ではカバーできない隙間を埋めるもので、3千億円を原資に、その運用益を充てた。ひも付きの補助金などと違って使い勝手がよく、自治体はそれぞれの地域の事情に応じた事業に活用できた。村々に入り、祭りの復活などを提案して村おこしに力を注いだ復興支援員も基金を活用した取り組みだ」

「復興支援員は、それまでに被災地の支援に関わり集落の状況も分かる外部の人材、具体的にはボランティアや学生らがその経験を生かして担った。地元の人を雇うと交代制になりかねず、町内会長や民生委員などとの役割の違いが分かりにくい。支援員の活動に刺激を受けた集落は村の自立が進んだのではないか」

-過疎高齢化の進行など厳しい現実もあるが、復興は進んだように映る。

「行政にとって復興の終わりは『復興』の名が付く施策が終了したとき。個人としては、再建した家のローンが30年残っていたら、まだ復興の過程ということになる。理念的にいつかと言えば、村の人たちが自立して生活を始めたときだろう。復興支援員ではなく村の仲間として一緒に住もう、ということになり、支援員制度が解消したときにそう言えるかもしれない。そういう意味ではまだもう少しアフターケアが必要だ」

「例えば旧山古志村(現長岡市)の人口は千人余りに半減したが、雪のない時期は月の平均で人口の3倍ぐらいの観光客が訪れている。居住人口が減っても、地震前と比べて経済人口は確実に増えた。楽しく自立して暮らしていくことができれば、それは復興がつくり出した新しい村の姿と言えるだろう」

-被害の現場を一部保存するとともに、展示施設を組み合わせた「中越メモリアル回廊」を整備し、教訓の伝承や地域の活性化に役立てている。

「震災遺構は人を呼び寄せるシンボルであり、訪ねてきた人が教訓を学ぶ場として重要だ。山古志では、地滑りによってせき止められた川に水没した木籠(こごも)集落を含め、地震の傷痕を今も見ることができる。被災地といえば山古志というイメージもあって訪れる人が増え、村の活力につながっている」

「東日本大震災の被災地も可能なら残すべきだが、津波の犠牲者が多かっただけに遺族の複雑な思いもあるだろう。でも、例えば原爆ドームがなかったら、広島を訪れる人があんなにいるだろうか。遺構をなくすことは、亡くなった方々を記憶から消すことにつながりかねない。慰霊のため、子や孫に津波の恐ろしさを伝えるために、その場所が残っているということは大切だと思う」

-首都直下地震が予想される都市部に中越の経験を生かすことは可能か。

「新潟モデルは農村型なので、人口が多く、コミュニティーがあるのかどうかすら分からない都市部でそのまま生かすのは無理だろう。逆に言えば、被災前にコミュニティーをつくっておくことが、このモデルを生かせるかどうかの鍵を握る。地域のまとまりがないところに復興支援員が行っても何もできない。まとまっていて初めて応援の力が生きる。日ごろから地域のまちづくりをしっかりやっておかなければ、復興まちづくりなどできない」

「災害は地域のトレンドを加速させる。人口が減っていた地域では人口減が、高齢化なら高齢化がさらに進む。災害が起きた後、自分たちの地域をどのようにしたいのかをあらかじめ考えておくべきだ。よく行われる防災訓練は避難所に行って終わりだが、避難所は復興の始まりではない。仮設住宅に入居してようやく復興の第一歩が始まり、その先は長い。定着させるべく、東京で実践しているのは『復興まちづくり訓練』。被害想定が現実になったと想定し、まちをどうするかを皆で考える。欠かせないのは『事前復興』の視点だ」

(おわり)

●中林一樹氏

1947年生まれ。復興支援や体験の継承、地域再生などに向け、新潟県や長岡市、地元大学、NPO法人などが設立した公益社団法人「中越防災安全推進機構」の理事長を今年6月から務める。専門は復興学、都市防災学。

【神奈川新聞】


水没家屋のそばに立つ交流施設「郷見庵(さとみあん)」。集落の人々がお茶を振る舞いながら当時の様子を語り、地場産品も販売する
水没家屋のそばに立つ交流施設「郷見庵(さとみあん)」。集落の人々がお茶を振る舞いながら当時の様子を語り、地場産品も販売する

中林一樹氏
中林一樹氏

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