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中越地震から10年 復興の途上で〈1〉「山古志でしか生きられない」

社会 神奈川新聞  2014年10月23日 12:30

2人で切り盛りする理髪店で被災後の10年間を振り返る星野さん夫婦=長岡市山古志竹沢
2人で切り盛りする理髪店で被災後の10年間を振り返る星野さん夫婦=長岡市山古志竹沢

望郷の念を募らせるだけでは、果たせなかった。雪深い仮設住宅での厳しい冬を耐え忍び、ふるさとを取り戻す努力を重ねた。その思いに行政や復旧に携わった人々が寄り添い、苦労を分かち合ったボランティアも心を一つにした。

帰ろう、山古志へ-。

雪解けの水をたたえ、日本の原風景とも称された棚田が連なる山へ。牛がわらをはみ、点在する池で色鮮やかなニシキゴイが悠然と泳いでいた山へ。

新潟県中越地方の中山間地、伝統文化の「牛の角突き」で知られる旧山古志村(現長岡市)。恵みをもたらす大地が無残に引き裂かれたのは、10年前の2004年10月23日だった。

午後5時56分、コイの品評会に向かおうとしていた理髪店経営、星野吟二(66)は震度6強の激しい揺れに襲われた。「いきなり下からドン。50センチぐらい突き上げられたかなぁ」

慌てふためきながら「池の水と一緒に次々と外へ飛び出したコイをつかまえては、池に戻し続けた」。本震並みの強い余震はやまず、傍らで妻サツ子(65)が叫んだ。「家が倒れるーっ」

改築したばかりだった自宅兼店舗は基礎にひびが入って傾き、「半壊」と判定された。幸い、妻や同居する長男夫婦、孫2人にけがはなかったが、そこから3年余りも村外での避難生活を余儀なくされるとは思いもよらなかった。

■避難 地滑りが329カ所で発生し、村外に通じる道路が寸断されて村全体が孤立した山古志。崩落した土砂が川をせき止め、決壊すれば下流の集落を壊滅させる恐れもある中、当時の村長、長島忠美(63)が大きな決断を下すのに時間はかからなかった。

「全村避難」。2日後の10月25日、自衛隊や消防のヘリコプターで、翌05年4月に合併することが決まっていた隣の長岡市へ。命をつなぐためとはいえ、村民約2千人が丸ごと村外へ逃れるという異例の対応だった。

慣れない土地の避難所で身を寄せ合い、毎日のようにボランティアで散髪を続けた星野は、集落ごとに入居した仮設住宅で4畳半の一間を改装。夫婦で仮設の理髪店を営み始める。

県に掛け合い、前例のない試みを認めてもらったのは、自らの生活再建のためだけではない。「なじみの床屋と違う店に行くのって、勇気いるじゃない」。常連客の、ひいては集落の人々を結び続ける仕掛けでもあった。仮設の軒先に、赤、青、白に色分けされた「理容室」ののぼりを掲げた。

■過疎 避難指示が解除され、すべての村民が仮設を退去した07年12月、山古志へ戻ったのは、地震当時に暮らしていた690世帯の7割、508世帯。当初は9割が帰村を希望したが、少なくない住民が山を下りた。

地震から10年がすぎた今は454世帯。人口はほぼ半減の1100人余りとなり、かねて進行していた過疎高齢化が否応なく加速する。

元の場所で再開した星野の理髪店の客も「半分以下に減った」。でも、意に介さない。コイの養殖に宅配の代行、地元・竹沢集落の区長にボランティアの観光ガイドも務め、山での暮らしに充実感を漂わせる。サツ子も直売所の運営に携わり、訪れる客とのやりとりを楽しんでいる。

それでも、思うに任せないものがある。

地震による土砂崩れで崩壊した近くの国道と、現場にそのまま残された軽トラックの保存・公開だ。「地震が起きると、こんなに大変なことになる。でも、それを乗り越えてきたことを知ってもらいたい」

原形復旧が困難なほど傷んだ国道は新たなルートで整備され、被害の現場は廃道となった。一帯を「震災の谷」と名付け、仲間とつるはしやシャベルを手に現場へ通じる道を整備。草刈りも行ったが、危険なため今は立ち入り禁止になっている。

「地震の被害状況が手付かずのまま残っているのはあそこだけ。だからこそ、きちんと見学できるようにしたいんだけどね」。星野はなおも、あきらめてはいない。

■覚悟 歳月を重ねて変わったのは、村民の数や爪痕の減った景観だけではなない。星野の長男家族は「地震が怖い」と山を下りた。

夫婦での暮らしが続くものの、「2人ともずっと山古志だから、ここでしか生きられない。よそへ移ろうなんて考えたことはない」。山古志の過疎高齢化を象徴する「13年度は出生数ゼロ」のニュースも駆け巡ったが、サツ子は言う。「だったら、どうなの」

そして、こう言葉を継ぐ。「今、山古志に住んでいるのは、覚悟を持って戻ってきた人ばかり。過疎や高齢化が進むことなんて、もともと分かっている。うちの長男も出て行ったのに、高齢化で大変だなんて言える立場じゃないし、元気に働いて安心して年を取れれば、それでいい」

傍らのサツ子の言葉をかみしめながら、星野はあらためて思う。

生きよう、山古志で-。

=敬称略

最大震度7の激震が中山間地を襲い、68人が死亡した新潟県中越地震から10年。復興のため、ふるさとに根を張り、あるいは思いを寄せる人々を追う。

【神奈川新聞】


路面がえぐられた「震災の谷」付近の旧国道。奥に見える橋が復旧後の新ルート
路面がえぐられた「震災の谷」付近の旧国道。奥に見える橋が復旧後の新ルート

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