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64年東京五輪 江の島がヨット会場に選ばれたワケ

スポーツ 神奈川新聞  2014年10月17日 03:00

江の島東岸の海を埋め立てて建設の進む湘南港(藤沢市文書館提供)
江の島東岸の海を埋め立てて建設の進む湘南港(藤沢市文書館提供)

1964年の東京五輪で江の島(藤沢市)がヨット競技の会場に選ばれた裏には、二重の偶然あり-。そんな経緯を分かりやすく解説した企画展「東京オリンピックとふじさわ」が、市文書館で開かれている。当時の文書や写真、記念の品々約70点を展示。五輪を迎え入れる市民のおもてなしの精神や聖火リレーの様子なども伝えている。

東京五輪の開催50周年を機に、文書館が収蔵資料展として企画した。(1)なぜ藤沢に五輪が来たのか(2)どんな態勢を整えたのか(3)本番を迎えた藤沢の様子-の3テーマについて、当時の県や市の文書、新聞記事などをもとにひもといた。

当初、ヨット競技の会場としては、米軍の接収地だった横浜市の富岡海岸が有力地として浮上。しかし、返還が実現せず代替地を探す必要に迫られた。

そこで注目を集めたのが、湘南港築港計画のあった江の島だった。築港計画は江の島対岸の砂浜の浸食対策と、伊豆諸島を結ぶ新規航路開拓が目的だったが、五輪仕様に変更して60年に着工。文書館担当者は「富岡の断念と、もともとあった築港計画という二重の偶然で江の島に転がり込んできた」と指摘する。

開催決定後の市側の受け入れ準備に関しては、市民の発案で本番3カ月前に制定された「藤沢市市民憲章」に言及。あるべき市民の姿を提示した憲章で、制定後は環境美化・防犯・衛生運動に一体的に取り組む「ステキなまちづくり総ぐるみ運動」も推進された。

また、当時中学生だった鈴木恒夫市長も参加した聖火リレーの模様や、漁業者に操業自粛を申し入れ東西10キロ以上の海域に競技会場を設定したこと、選手村の分村が大磯に置かれたことなど、本番の様子も多岐にわたって説明している。

文書館は「東京五輪の成功でヨットというイメージが新たに藤沢に加わり、マリンレジャーの中心地という今日の印象につながっている」と五輪の意義を強調。「藤沢市は2020年東京五輪でも会場誘致を目指しているが、50年前の歴史的意義を見つめ直して誘致の機運を盛り上げていきたい」としている。

展示は11月28日まで(土日祝日休館)。入館無料。今月18、19の両日は開館し午前10時と午後2時に展示解説を行う。

【神奈川新聞】


パトカーの先導で江の島大橋を渡る聖火リレー。右奥に見えるのは当時の灯台(藤沢市文書館提供)
パトカーの先導で江の島大橋を渡る聖火リレー。右奥に見えるのは当時の灯台(藤沢市文書館提供)

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