1. ホーム
  2. 社会
  3. 新聞週間に問う(上) 問題提起避ける報道 NYT東京支局長

新聞週間に問う(上) 問題提起避ける報道 NYT東京支局長

社会 神奈川新聞  2014年10月15日 11:34

言論機関として在り方が問われる中、新聞週間が15日から始まる。従軍慰安婦と原発事故の記事を取り消した朝日新聞の問題に1カ月後に迫る特定秘密保護法の施行-。いま新聞に欠けていて、求められているものは何か。内外、新旧メディア人に聞いた。

手にしたiPhoneの画面は英文の記事を映し出していた。

「Ex-sex slaves in their 80’s recount ordeals with Japanese soldiers」

直訳すれば「80代の元性奴隷が日本兵士に受けたつらい体験を語る」という意味だ。

記事の配信元は日本の通信社。米国の有力紙「ニューヨーク・タイムズ」東京支局長のマーティン・ファクラーさんは驚いたという。「日本のメディアがここまで強い意味の文言を使った記事は見たことがない」。「慰安婦」の訳語「comfort women」ではなく、性奴隷を意味する「sex slaves」をタイトルで用い、文中では元慰安婦女性を「被害者」と明記していた。

ほどなく合点がいった。

通信社は国内メディア向けに日本語の記事も配信していた。タイトルは「語り続ける『戦場の性』」で、「性奴隷」「被害者」の表記は見当たらなかった。

「同じ記事なのに英語版とは全く異なる。はっきりとした物言いを避けている。元慰安婦の証言に疑問を投げ掛けているような印象さえ受ける」

萎縮と自主規制-。内外で使い分ける二枚舌に、日本の報道機関がよって立つ足元の脆弱(ぜいじゃく)さを再確認する思いだった。

慰安婦を強制連行したとする「吉田証言」の記事を取り消した朝日新聞をめぐっては保守系メディアが同紙への批判を展開し、雑誌や夕刊紙では「売国奴」「非国民」という見出しが躍る。

「本来ならば日本のメディアは今こそ慰安婦の問題について根拠のある事実を取材し、正しい情報を国民に届けなければならない」

慰安婦問題の本質は戦時下に性的な行為を強要させられた女性がいたという点にある。それは国際的な共通認識だと強調する。だが扇情的な報道があふれ、その本質は遠くに追いやられるばかりだ。「朝日が記事を撤回したからといって世界の認識は揺るがない。海外では吉田証言は重要視されていないからだ」。もどかしそうに続けた。「正確な情報を伝えないメディアの無責任さは、国際社会からの信頼の低下を引き起こす」

■義 憤

胸に刻む言葉がある。

「A good journalist needs a sense of moral outrage」(良いジャーナリストには正義感が必要だ)

駆け出し時代に先輩が教えてくれた言葉だ。ピュリツァー賞国際報道部門の最終候補に残った、東京電力福島第1原発事故の報道で自身を突き動かしたのも「a sense of moral outrage」(悪への人間的な怒り)だった。

放射性物質の拡散を予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の試算結果が事故後ただちに公表されず、住民の避難に生かされなかった。著書「『本当のこと』を伝えない日本の新聞」につづった。

「SPEEDIデータ隠蔽(いんぺい)の事実に気がついたとき、私の胸のなかに悪への怒りが燃え盛った。その怒りが、一連の調査報道に結びついた」

福島県南相馬市に向かうと地震、津波、原発事故で救援物資が届かない中、2万5千人の市民が孤立していた。窮状を伝えるべき日本のメディアは退避し、一人の記者も残っていなかった。それなのに放射性物質による健康被害を否定する政府や東電の発表をそのまま垂れ流していた。

「自ら避難しておいて、なぜ安全と言えるのか。政府が安全と言っても、自らが危険と思うものは絶対に安全と書いてはいけない。国民を裏切ったメディアはメディアではない。ただのうそつきだ」

米国ではジャーナリズムは「権力の監視者」という認識が根付いている。だから義憤は権力を持つ側へと向かい、権力が隠そうとする情報を調査報道で明るみにする記事にこそ価値が置かれる。「日本ではスクープが重要視されるが、そのためには特ダネを提供してくれる人間、つまり当局と仲良くする必要がある。批判精神はそがれ、権力と一体化していく」

■責 任

日本の記者たちの振る舞いに強いエリート意識を感じてきた。「権力を監視する立場にあるはずの記者たちが、むしろ権力側と似たような価値観を共有している」

背景に官僚とジャーナリストが同じパターンで生み出されている「体制」があると指摘する。「官僚も記者も東大や早稲田、慶応といった難関大学の出身者が多い」。大学で机を並べ、同じような感覚を持ち合わせ、それぞれが互いの世界で出世していく。「官僚は貴重な情報源であるのと同時に同志意識を抱く存在なのではないか。結果、記者は国民より官僚側に立つ。『官尊民卑』の思想が心の奥深くに根を張っているように思えてならない」

新聞にとって最も重要な財産は権力とのなれ合いとは対極にあると考える。「読者の信頼だ。読者は新聞社の情報に価値を見いだし、信頼して記事にお金を払う」

今でも迷ったときには、自身に問い掛ける。

「僕の両親は、何を知りたいだろうか。僕の友達は、どんな情報を必要としているのだろうか」

市民の視点に立ち、判断材料としての情報を提供する報道機関が機能してこそ健全な民主主義は成り立つとの信念がある。

朝日新聞の記事撤回、それに対するバッシングにあらためて思う。「日本のメディア、さらには国自体が戦争責任という問題から目を背け、議論を避けてきた」。慰安婦問題はその一つにすぎない。「先の戦争の責任は果たしてどこに、誰にあったのか。メディアはそういった問題提起を社会に対して投げ掛け、議論を起こさなければならない。だが、それをメディア自身が避けてきた」

それは原発事故報道も同じだった。萎縮するメディアに自覚はあるのかと問い掛ける。「メディアが責任を果たさなければ日本の民主主義は崩れる。正確な情報を得られない国民はベストな判断ができない。結果、健全な民主主義が機能しない。一番の被害者は日本の民主主義そのものであり、主権者である国民だ」

マーティン・ファクラー 1966年米国アイオワ州生まれ。2003年に経済紙ウォール・ストリート・ジャーナルの記者として来日。09年からニューヨーク・タイムズ東京支局長。著書に「『本当のこと』を伝えない日本の新聞」(双葉社)。47歳。

【神奈川新聞】


シェアする