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沖縄からのメッセージ(下) 【記者の視点】「小指の痛み」わが事に=報道部・田中大樹

社会 神奈川新聞  2014年09月29日 10:00

国道から県道に入り、ひたすら北上すると、見覚えのある集落が視界に飛び込んできた。カーナビが目的地に到着したことを告げる。地名はうろ覚えだったものの、風景は記憶に残るその集落こそが、国策に翻弄(ほんろう)される渦中の目的地だった。予期せぬ形での再訪にうろたえ、自身の不明を恥じた。

沖縄本島北部の東村高江。那覇市から車で3時間弱、自然豊かなやんばるの森に抱かれた約150人の小さな集落だ。この夏、11年ぶりに足を運んだ。

初めて訪れたのは2003年の春だった。人里離れた集落にバスが開通することになった。朝靄(あさもや)の中、ライトを照らした始発バスが近づいてくる。当時の区長は「陸の孤島から解放された。夜が開けた」と涙した。共働きの両親に毎朝夕、最寄りのバス停まで送迎してもらっていた男子高校生は「通学が楽になる」と声を弾ませ、両親への感謝の言葉を重ねた。

のどかな集落が国策の矢面に立たされている。米軍北部訓練場(国頭、東村)に隣接し、集落をぐるりと取り囲むように六つのヘリコプター離着陸帯の建設工事が進む。低空で飛び交う米軍ヘリの騒音と事故の危険にさらされる中、さらに欠陥機といわれる新型輸送機オスプレイが飛来することになる。

住民たちは建設反対の座り込みを続けてきたが、政府は「通行妨害」と提訴。反対運動の萎縮が目的だと批判を浴びた。禁止を求めた仮処分申し立ての対象には女児も含まれた。

雨上がりの午後、集落に人影はない。時間が止まったような錯覚を覚える中、ようやく見掛けたお年寄りの男性に声を掛けると、こうつぶやいた。

「バスは求め続けて、ようやく来るようになった。でも、ヘリは望みもしないのにやって来る。有無を言わせずに」

■悲哀

高江から南に約1時間。名護市辺野古の中心に辺野古交番がたたずむ。変わらぬ雰囲気を前に、かつて辺野古で取材した際、ある女性が語ってくれたエピソードを思い起こした。

交番にはかつて、地元の女性たちが息子や孫のように目をかける若い警察官が出入りしていた。異動で辺野古を訪れることはなくなったが、思いがけない形で彼と再会した。

1996年、米軍キャンプ・シュワブがある辺野古沿岸部で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の返還に伴う代替施設建設計画が浮上。女性たちが反対の声を上げていると、警戒する警察官の中に彼を見つけた。

「○○さーん」。懐かしさとともに名前を叫ぶと、彼はうつむき、やがて同僚らの後方に姿を消した。「(辺野古や私たちへの)愛着と仕事の間で葛藤していたんでしょう。苦悩でゆがんだ彼の顔が忘れられない」。そう気遣う女性の顔もまた、悲しげにゆがんでいた。

数多(あまた)の悲哀とともに、辺野古の海で新たな基地が建設されようとしている。

エメラルドグリーンの海には海上保安庁の巡視船が居並び、白い船体が基地建設に反対する人々を威圧する。エンジン付きのゴムボートが抗議活動を続ける反対派のカヌーを取り囲み、人々をボートに引きずり込む。強制的に排除するさまは、力でねじ伏せて基地建設を強行しようとする国家の意志を可視化している。

基地に隣接する漁港脇の砂浜を歩いていると、海保のボートが急接近してきた。じっとこちらの様子をうかがい、その場を離れるまで、警戒を続けていた。

陸でも同様だ。交番から数百メートル。基地のゲート前には政府に雇われた本土の民間警備員が立ちはだかり、その後ろに沖縄県警の警察官が控える。米兵が姿を見せるのは、ごくまれだ。

かつて若い警察官が見せたというためらいが、彼らの心の内にも去来しているだろうか。県警関係者が推し量る。「現場の警察官も複雑な思いだろう。沖縄が分断されている」

■神話

辺野古の海の魅力は夜にこそある。かつて取材で通い、そう思った。

高台から見下ろす月夜の海は音のない静寂の世界。漆黒の海面が月明かりに照らされ、白くチラチラと揺れるモノクロームの世界だ。太陽がギラギラと照りつけ、エメラルドグリーンに輝くさまに目を奪われがちだが、初めて見た夜の姿は正反対の美しさをたたえていた。沿岸に生息する希少動物のジュゴンがひょっこりと顔を出す。そんな奇跡さえかないそうな神話の世界だった。

同じ沖縄の海でも、本島南部は趣が異なる。海岸線には切り立った崖が連なり、リーフに沿って白波が立ち、絶え間なく岩場を洗う。沖縄戦末期、戦火に追われた住民や日本兵が次々と身を投げた悲劇の地だ。

断崖絶壁の上には平和祈念公園が広がり、紺碧(こんぺき)の太平洋を見下ろす公園内には「平和の礎(いしじ)」がある。石碑が幾重にも整然と並び、沖縄戦などで亡くなった24万人余の名前が刻まれている。

遺族は故人の名の前で静かに手を合わせ、黙とうする。白字の刻銘をゆっくりと指でなぞり、涙する高齢の男性。そっとほおを寄せ、口づけする外国人女性。敵も味方もない。全ての戦没者に思いをはせ、平和を願う心を具現化している。

■断絶

11年ぶりの沖縄での取材。沖縄が直面する事態の深刻さと本土への失望の深さは、予想をはるかに超えていた。沖縄が抱える問題を意に介さない本土と、孤軍奮闘する沖縄との間に横たわる溝は深い。もはや、「温度差」ではない。「断絶」に思えた。

新基地建設、オスプレイ配備、相次ぐ米軍絡みの事件事故…。報道される沖縄の人たちは拳を振り上げ、反対の声を上げ、抗議の意思を示している。原色で彩られた昼間の海をイメージさせるたけだけしさだ。だが、夜の海を彷彿(ほうふつ)させる穏やかさこそが本来の姿ではないか。敵味方関係なく、全てを受け入れる「平和の礎」が、それを体現している。

もう終わりにすべきだ。日本全体で受け止めるべき基地負担を沖縄に押し付け、その矛盾を振興策で取り繕う姿勢を。普天間飛行場の危険性を「人質」にして、辺野古への移設を迫る手法を。沖縄戦では県民の4人に1人が亡くなるほどの苛烈な犠牲を経験した。戦後は強制的に土地を奪われ、復帰後も過重な基地負担を強いられ続けている。沖縄が歩んできた歴史を考えれば、沖縄にのみ苦悩を強いることはあまりに醜い。

沖縄の人々は特別なことを求めているわけではない。基地問題を自身の問題として捉え、差別的ともいえる現状を改善するよう訴えている。無知や無関心、ましてや見て見ぬふりをして無関係を装うことは、露骨で醜い「アメとムチ」を支持することと変わらない。戦後69年、復帰42年。「小指(沖縄)の痛みは全身の痛み」という沖縄からの訴えに、本土はどれほど向き合ってきただろうか。

那覇の街を一望する豊見城市内の丘陵に、旧日本海軍の司令部壕(ごう)が保存されている。司令官が沖縄戦末期に自決前、この地下壕で海軍次官に宛てた電文は沖縄県民の献身ぶりと被害の甚大さを訴え、こう結んだ。

「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」(沖縄県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮をしてくださいますように)

司令部壕に足を運び、この言葉と向き合うたび、惨状を目の当たりにした司令官の思いと、沖縄が歩んできた「後世」との落差に目まいがする。この夏もそうだった。そして、自らの振る舞いを恥じた。

わが事として考える-。この国の成熟度が問われている。

【神奈川新聞】


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