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沖縄からのメッセージ(上)辺野古・普天間 届かぬ「ノー」涙も出ず

社会 神奈川新聞  2014年09月27日 12:36

雨上がりの夕方、辺野古の海を警戒する海上保安庁の巡視船=8月14日、沖縄県名護市
雨上がりの夕方、辺野古の海を警戒する海上保安庁の巡視船=8月14日、沖縄県名護市

沖縄が重大な局面を迎えている。沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブの沿岸部で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の返還に伴う新たな基地建設に向けた動きが本格化した。くしくも、「普天間の危険性」を象徴する沖縄国際大学(同市)への米軍ヘリ墜落事故から10年。関係者を訪ねた。

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沖縄戦の時も、こうだったのだろう。辺野古の海に大量動員された海上保安庁の船艇が、かつて海上を埋め尽くしたという米軍の艦船を彷彿(ほうふつ)させる。

「ヘリ基地建設に反対する辺野古区民の会」代表、西川征夫さん(70)は居並ぶ海保の船艇に国家の意志を感じた。政府は強引にでも着手する。建設ありきのなりふり構わぬ政府の姿勢に、そう予感していた。

8月中旬、政府は基地建設に抵抗する反対派を排除し、海上作業に着手した。住宅密集地の真ん中に位置する普天間の危険性を逆手に取り、辺野古に基地建設を強行する姿に、憤りを通り越して言葉もない。「残念。ただ、その一言です」

穏やかな語り口。だが、語気は次第に熱を帯びる。「沖縄県民はこんなにも(新基地建設に)『ノー』と言い続けてきた。それでも何も変わらない。悔しくて悔しくて、何度泣いたことか。今はもう、涙も出ない」

かつては自民党支持者だった。転機は1996年、日米両政府による普天間飛行場の返還合意だ。「同じ沖縄県民。でも、普天間の人たちがこれほどまでに苦しんでいるとは思ってもみなかった。無知でした」

辺野古沖で普天間の代替施設建設計画が浮上すると、事故や騒音による健康被害を懸念し、「生活環境が破壊される」と反対に回った。97年、区民の会の前身となる「命を守る会」を発足し、初代代表に就いた。

今も思い出すのはウミンチュ(漁民)だった父の姿だ。漁に出て、家族を養ってくれた。「辺野古の海に育てられた」。その思いが反対運動の背中を押した。

今年4月、命を守る会から区民の会に衣替えした。「住民の立場から、地元に基地を造らせない」。政治とは一線を引いた住民運動に徹する。

■分断 「基地あるがゆえ、心がすさんだ。住民の間に溝ができ、地域のつながりが壊れてしまった」。西川さんは地元の姿を悲しく、そして切なく思う。

ベトナム戦争時、辺野古の社交街は出征前の不安を紛らわせる米兵であふれ、ドルが飛び交った。その記憶を引きずり、基地の受け入れを踏み絵にした振興策に「バブル」の再来を期待する住民がいる。補償金をあてにする住民も少なくない。

容認か反対か-。約1900人が暮らす集落は、遠く東京の為政者が押し進める国策に翻弄(ほんろう)され、分断を強いられてきた。親友が絶交し、正月やお盆でも親族が酒を酌み交わすことはない。幼少時代からともに年齢を重ねてきたお年寄りが、一緒にゲートボールを楽しむこともない。仕事に影響するからと反対運動から身を引いた若者もいる。自身も極度のストレスから体調を崩し、入退院を繰り返した。

「昔は助け合いの気持ちにあふれていた。台風で家が壊れたら、みんなで修理したりしてね。貧しくはあったが、あの頃が懐かしい」

基地の建設を許せば、容認派の家庭の子どもたちは「おまえの父親やおじいさんが基地を造った」と言われ続けかねない。「こんな小さな集落で、家族がいがみ合い、友人を失う。そのつらさを子や孫の代まで引きずるわけにはいかない」

■犠牲 「日本政府はアメリカの言いなり。ポチですよ」

普天間の返還合意から18年。政府は「国益」「抑止力」などの抽象的な言葉を重ね、「戦争にならないために基地が必要」と繰り返す。だが、「基地があるからこそ攻撃され、住民が犠牲になる。先の大戦を振り返れば一目瞭然でしょう」。

住民が犠牲になる-。西川さんの思いは集落が共有するつらい記憶と重なる。

海を望む小高い広場に慰霊碑「平和之塔」が立つ。日中戦争から太平洋戦争までの戦没者をまつり、沖縄戦などで亡くなった住民の名を刻む。毎年8月15日には慰霊祭を執り行い、恒久平和を誓う。だが、基地が建設されれば、基地の方向に手を合わせることになりかねない。「故人とどう向き合えばよいのか」。基地建設は将来だけでなく、集落の歴史にもつながる問題だ。

一方で、明るい兆しもある。辺野古では政府への不信感から、容認派だった住民が反対運動に加わるようになった。名護市では反対派の市長が2期目を迎え、市議会も市長与党が多数を占める。11月の県知事選には保守系ながら移設反対を掲げる那覇市長が出馬を表明するなど、沖縄県内に大きなうねりを感じる。

だからこそ、本土の動向が気に掛かる。

基地ある限り、事件や事故はなくならない。心のどこかで不安を抱えた暮らしを強いられる。沖縄にあるのは美しい海ばかりではない。「基地あるがゆえに苦しんでいる人がいることを忘れないでほしい。同じ日本人として、沖縄の声に少しでも耳を傾けてほしい」

■継承 普天間の危険性があらためて浮き彫りとなり、辺野古移設が再燃するきっかけになったのが、2004年8月の沖国大米軍ヘリ墜落事故だ。発生から10年となる8月13日、同大で開かれた集会で、4年生の比嘉麻美さん(23)は県内外に向けた記憶の継承を訴えた。

当時中学1年生。約2キロ離れた浦添市内のスーパーで母親と買い物中だった。「ドン」という爆発音を聞き、軽い振動を感じた。

自宅でテレビをつけると、墜落した米軍ヘリと米兵が映し出された。第一印象は「外国でまた、テロか内戦かな」。だが、どのチャンネルも事故のニュース一色。大人たちは親戚に電話をかけて無事を確認し、隣近所で集まり心配し合う。「ただならぬ雰囲気だった」と振り返る。

事故から10年。大学に入り、基地の問題を学んできた。「沖縄は基地の恩恵を受けている。その対価だから負担は仕方ない」。そんな本土の声に深く傷つく。

最近、本土の経営者と話す機会があった。気になるニュースを聞かれ、「集団的自衛権と普天間の辺野古移設問題」と応じると、「沖縄特有だね」の一言。話題は続かなかった。日本は自国の安全を沖縄に依存している。だが、「米軍基地は沖縄の問題であって、自分たちの問題ではないのか」。人ごとのような言葉に、本土との距離を思い知った。

全てを理解することは難しい。沖縄の中でも関心の度合いは異なる。ただ、「お互いの共通点を見つけることで想像力を働かせ、自身の経験として心の内に落とし込むことで自分たちの問題として捉えることができるのではないか」。

昨年12月、修学旅行で沖縄を訪れた静岡県の高校生に墜落事故の様子を語り、基地の危険性を訴えた。静岡にも基地がある。生徒たちは自らの問題として受け止めてくれたようだった。

普天間に配備された米軍新型輸送機オスプレイが、米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)などでも飛行している。7月には静岡県内にも初めて飛来した。

ふと、思う。生徒たちは、自分たちの街にも米軍機が飛ぶことに関心を持ってくれただろうか。あの日の交流を思い出し、沖縄にも思いを向けてくれただろうか。「自分たちの問題でもある。そう思ってくれていれば、うれしいですね」

【神奈川新聞】


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