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実教出版採択問題(下)
時代の正体〈28〉教科書はいま

時代の正体 神奈川新聞  2014年09月22日 10:00

自ら執筆した教科書を手にする加藤公明さん
自ら執筆した教科書を手にする加藤公明さん

国旗掲揚と国歌斉唱について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と記述した実教出版の高校日本史教科書。県教育委員会が「県の考えと相いれない」と名指しで批判し、この教科書を使う県立高はなくなった。教科書の代表執筆者で、元東京学芸大特任教授の加藤公明さん(64)は憤る。「事実を正確に書き、検定も通っている。『自分たちと意見が異なる』ことを理由に採択されず、排除される。これは教育のあるべき姿ではない」

問題とされたのは、教科書の後半、欄外の注にある記述だ。

1999年に日の丸を国旗、君が代を国歌として定めた国旗国歌法の説明に用いたわずか155文字。加藤さんは諭すような口調で言う。

「政府は、国会審議で国旗や国歌を国民に強制することはないと明言している。一部の自治体では入学式、卒業式などで教職員に対して斉唱が強制されている。いずれも事実だ」

確かに国旗国歌法の国会審議で当時の小渕恵三首相は答弁していた。

「国旗の掲揚などに関し義務付けを行うことは考えておらず、従って、国民の生活に何らの影響や変化が生ずることとはならない」

当時の政府委員の答弁もある。

「(教育現場で)起立しなかった、あるいは歌わなかったといったようなことのみをもって、何らかの不利益をこうむるようなことが学校内で行われたり、あるいは児童生徒に心理的な強制力が働くような方法でその後の指導が行われるということはあってはならない」

では「強制はしない」と答えていた通りになっているか。

県教委は入学式や卒業式で国歌斉唱の際に起立するよう児童・生徒を指導し、起立しない教員の名前を記録した上で情報を収集している。都教委は卒業式でやはり起立しなかった教員を懲戒処分にしている。

こうした動きが「強制」なのか。一部の自治体とはどこを指すのか。加藤さんは答えてくれない。

「教科書はあくまで教材、考えるきっかけになればいい」

それが一貫したスタンスだ。

■誰が選ぶべきか

加藤さんらが執筆した「高校日本史A」は2011年度の教科書検定に提出された。県教委、都教委が問題とみなす「しかし、一部の自治体で公務員への強制の動きがある」という記述は当初、「しかし、現実はそうなっていない」と記されていた。

文部科学省から「説明不足で誤解するおそれのある表現」との検定意見があり、修正の指示があった。執筆者で何度も話し合い、現行の表現となった。文科省の求めを受けて誤解のないよう修正し、検定を通るというお墨付きまで得た記載を「県の考え方と相いれない」「誤解を生む」とする県教委-。

「この教科書は、歴史研究の成果や事実をもとに現場教師の要望を受けて記述を工夫し、改善に努力してきた。教育委員会の介入で、教科書が高校生のもとに届かないのは耐えがたいことだ」

にわかに語気が強まった。

加藤さんは千葉県の公立高校で37年間、日本史を教えた。30代から教科書執筆に携わっていたため、教科書選定に携わることはなかったが、「教科書は教師自身が選ぶべきだ」と強く感じてきた。

学校は一つとして同じではない。普通科があり、商業科があり、工業科がある。都市部にあり、山村にあり、漁村にある。子どもたちの歴史への意識、興味関心の置きどころも異なる。つまり学校ごとにふさわしい教科書は違う。

学校現場を知らない教育委員会が、教科書選定に介入することを家造りに例える。

「大工さんが家を建てる時、いい家を造ろうと思うだろう。そこへ、現場を知らない人がやって来て、のこぎりはこれ、とんかちはこれ、材木はこれ、と指示するようなものだ。北からの風が強いから、この木材がふさわしいと思っても、駄目だ、となる。生徒のことを一番よく分かっているのは学校の先生。教科書の選定は教育委員会ではなく、学校の先生に任せてほしい」

■「尊重」育むには

加藤さんはさまざまな授業プランを挙げる。その一つはこうだ。

「国旗や国歌についてどう思うか生徒に問えば、議論ができる。『強制はない形でいこう』と考える生徒もいるだろう。国民として一定のまとまりを持ち、その象徴としての歌と旗が必要なら、ある程度の強制が必要だと主張する生徒もいるだろう。日本国籍ではない生徒もいるかもしれない。そうして国家の在り方を考えるようになる」

学習指導要領には「国旗と国歌の意義を理解させ、尊重する態度を育てる」と記載されている。「尊重する思いを持つには、事実を示した上で生徒たちに議論をさせ、考えを深めることが必要ではないか」

加藤さんは長年、生徒自らが歴史を考える授業づくりに取り組んできた。それは「加藤実践」と呼ばれる。

貝塚から完全な形で出てきた犬の骨を生徒に示す。他の動物のものはバラバラな状態だが、犬だけが丁寧に埋葬されていた。

なぜかを問い掛ける。

「ペットだった」「猟犬だから」「犬神様だから」

生徒からはさまざまな意見が出される。グループごとに根拠を示して議論するが、正解はない。

「複数の人間がいれば、意見が違うのは当たり前。違う意見の人たちとどう話し合いをしていくか。排除するのではなく、相手を尊重し、議論する。事実に基づき、自分の頭で経験や知識を活用、思考して意見の違う人を説得する」

そうした経験は現実の社会でも役立つ。議論を通じて考えを深め、違う意見を目の前から遠ざけない。それが加藤実践の真骨頂だ。

「それは教科書でも同じこと。考え方が違うから、誤解を生むからという理由で特定の教科書を排除するのは、あるべき教育ではない」

【他自治体での実教出版採択問題】

東京都教育委員会は国歌斉唱の記述を問題視し、「起立による国歌斉唱は教員の責務とする都教委の考え方と異なる」として昨年6月に実教出版の教科書の使用を不適切とする見解を議決、同8月の教科書採択で希望する学校はなかった。今年も同じ見解を維持することを確認し、8月の採択では実教出版を希望する高校は昨年に続きゼロだった。

川崎市教委は今年8月、橘高校(全日制)と高津高校(定時制)が希望した実教出版の教科書「高校日本史A」について「最も適した教科書には当たらない」という理由から不採択とし、両校に再考を求めた。その結果、両校は別の教科書を選び直し、採択された。

2012年には、横浜市立高校4校が実教出版の日本史教科書の使用を希望したが、市教科書取扱審議会は希望を覆し、別の教科書を答申。横浜市教委は答申通り、他社の教科書を採択した。

【実教出版の国旗、国歌をめぐる記述】

国旗・国歌法をめぐっては、日の丸・君が代がアジアに対する侵略戦争ではたした役割とともに、思想・良心の自由、とりわけ内心の自由をどう保障するかが議論となった。政府は、この法律によって国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではないことを国会審議で明らかにした。しかし、一部の自治体で公務員への強制の動きがある。

【神奈川新聞】


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