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時代の正体〈23〉関東大震災朝鮮人虐殺(下)忖度が招いた隠蔽

時代の正体 神奈川新聞  2014年09月10日 12:16

後藤さんらが主催したフィールドワークで訪ねた殉難朝鮮人慰霊之碑=1日、横浜市西区の久保山墓地
後藤さんらが主催したフィールドワークで訪ねた殉難朝鮮人慰霊之碑=1日、横浜市西区の久保山墓地

 関東大震災における朝鮮人虐殺について、横浜市の中学生向け社会科副読本「わかるヨコハマ」が改訂されたのは2013年度版でのことだった。

 12年度版までは虐殺の主体は「軍隊や警察、自警団」と記されていた。そこから「軍隊や警察」が削除された。「虐殺」も「殺害」に書き換えられた。

 殉難朝鮮人慰霊之碑の写真と説明文もなくなっていた。

 説明文には、こうあった。

 〈朝鮮人虐殺に対する謝罪と反省のために日本人が久保山墓地に建てた。裏面には『昭和四十九年九月一日、少年の日に目撃した一市民建之』と記されている〉

 虐殺の研究を続ける市立中学元社会科教師、後藤周(あまね)(65)は言う。

 「歴史の事実とともに二度と繰り返してはいけないという反省まで消されようとしている」

 軍と警官が虐殺を行ったことは中学生の歴史教科書にも記述されてきた。碑はそして、小学2年生で虐殺を目にした石橋大司が贖罪(しょくざい)の思いを抱き続け、市に慰霊碑建立を働き掛けたがかなわず、震災50年後に私財を投じて建てたものだった。

 後藤は歴史から学ぶという営み、その意義自体が足元から突き崩されるのを感じた。

次元


 市教育委員会の対応に後藤は懸念を深めていく。

 12年7月、市会子ども青少年・教育委員会での自民党市議、横山正人の質問が発端だった。「あたかも軍や警察が自警団とともに朝鮮人を虐殺した、こういう表現になっています」と疑問視し、「わが国の歴史認識や外交問題に大きな影響を及ぼしかねない」と懸念を示した。

 当時の教育長、山田巧は改訂と12年度版を回収する考えをその場で表明した。

 後藤は首をかしげる。「軍や官憲の関与を示す史料や証言はある。『虐殺』という言葉も中学生の歴史教科書でも使われてきた。意見はあってよい。だが、少なくとも執筆者などで議論した上で決定すべきではなかったか」

 書き換えはこれが初めてではなかった。副読本で虐殺が詳しく記述されるのは1990年度版からで、主体を「軍隊、警察、自警団」としていたが、2002年度版から「軍隊」が、09年度版から「警察」が削除された。

 後藤は執筆者に手紙を出した。やりとりするうち、削除は史料を読み違えていたためと分かった。

 「陸軍の神奈川警備隊司令官の自伝から、朝鮮人の暴動をデマと認識していたことが分かったという。だが、隊が横浜に到着するのは9月4日のこと。それまでは軍も警察もデマを信じ、鎮圧のために出動し、行動していたことを示す史料があると伝えた」

 結果、12年度版から再び「軍隊と警察」の記述は戻った。

 後藤はいま嘆く。「あの時までは歴史をどう読み、どう書くべきかという議論が成り立っていた。今は通じない。別の次元の問題、つまり政治の問題になっているからだ」

過ち


 政治の問題-。後藤は、政治家の意向をうかがう行政マンの忖度(そんたく)をたとえば慰霊碑の写真の削除にみる。「誰も求めていなかったのだから」

 削除の理由について現教育長、岡田優子の回答が「個人が建立したもの」だから、としたことに一層、暗然となる。

 「教育的な歴史資料としてどうかと検討されたわけではなかった。理由にならない理由。教育行政としての責任も確信もない」

 やはり誰に求められるでもなく、回収された12年度版はすべて「溶解処分」とされた。「まるで焚書(ふんしょ)だ」

 教育者の口調に戻り、後藤が続ける。

 「人は誰しも自分を守ろうとし、力の強い者の考えをおもんぱかって行動する。だが、それだけでは力のない者や少数者がひどい目に遭ってしまう。だから自覚的に弱い立場の側を見ていかなければならない。その視点は教育の中で育んでいくしかない」

 人は過ちを犯す。デマに流され、市井の人々が凶行に走った朝鮮人虐殺の教えでもある。

 「実社会に出れば、強い者になびかざるを得ないことがあるかもしれない。それでもなお、それをよしとしない、ひきょうだと教えるのが教育だ。教育行政がその志を忘れ、自らおびえ、権限が与えられているにもかかわらず責任を放棄し、どうして子どもたちに教えることができるだろうか」

責任


 いま、「朝鮮人暴動は流言ではなく、実際にあった」とする言説がインターネット上に流布する。その多くが根拠として引用する「ネタ本」を後藤は読んでみた。

 「流言を伝えたと思われる談話を目撃談として扱ったり、引用が不十分で、銃声を聞いたことが実際に暴動を見たと読めてしまったり、アンフェア。朝鮮人虐殺を正当化したい、日本はそんなひどいことをする国ではないと思いたい人々には喜ばれるかもしれないが」

 見たいと望む歴史-。

 「軍と警察」「虐殺」に疑義を唱えた横山は市会の質問の中で、「虐殺という表現が妥当する例が多かった」とした政府の中央防災会議の報告書に触れ、「当時の官憲はどういう行動をとったかというと、むしろ暴動の中で、殺害される朝鮮人を保護していたという記載がある」とも指摘していた。

 後藤は400人の朝鮮人をかくまったことで知られる鶴見警察署長、大川常吉の研究も続けてきた。

 朝鮮人が毒を入れたと自警団員が主張する瓶入りの水をその場で飲み干し、納得させたとも伝わる。あくまで史料から実相に迫ろうとする後藤はしかし、安きヒロイズムには流されない。

 「その程度で収まりがつく状況ではなかった。町議の回顧録などから、大川署長が町の有力者や町議を粘り強く説得し、その協力を得て、虐殺を防いだことが分かっている」

 そこで大川が訴えたのは「デマを信じるな。彼らは労働者だ。危険な人々ではない」だった。

 正論、道理を貫く。震災半年後に記された「震災美談」に残る大川の言葉に政治、教育行政、そしていまの世情に響く教訓がある。

 〈たとひ一身を犠牲としても、あくまでも彼等を保護するのは、己の職責であり、また人道に忠なる所以である〉 =敬称略

■横浜市教委副読本の朝鮮人虐殺の記述■
〈1990年度版〉
 「政府は戒厳令を発動させ、軍隊を横浜にも派遣した。その軍隊や警察、自警団の中に朝鮮人を見ると理由もなく殺害するという行為に走ったものもあり、横浜市内だけでも多数の犠牲者を出してしまった」
〈2002年度版〉
 「三日、政府は戒厳令を発動し、軍隊を横浜に出動させた。理由は警察、自警団の中に朝鮮人と見ると理由もなく殺害するという行為に走るものがいたからである。横浜市内だけでも多数の犠牲者を出してしまった」
〈09年度版〉
 「3日、政府は戒厳令を発動し、軍隊を横浜に出動させた。理由は自警団の中に朝鮮人を殺害する行為に走るものがいたからである。横浜市内だけでも多数の犠牲者を出してしまった」
〈12年度版〉
 「デマを信じた軍隊や警察、在郷軍人会や青年会を母体として組織されていた自警団などは朝鮮人に対する迫害と虐殺を行い、また中国人をも殺傷した。横浜でも各地で自警団が組織され、異常な緊張状態のもとで、朝鮮人や中国人が虐殺される事件が起きた」
〈13年度版〉
 「こうしたなか、異常な緊張状態のもとで、各地で在郷軍人会や青年会を母体として組織されていた自警団の中に、朝鮮人や中国人を殺害する行為に走るものがいた。横浜市内でも多数の犠牲者を出した」


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