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なお消えぬ自責の念 特攻の護衛任務語る

社会 神奈川新聞  2014年08月14日 03:00

太平洋戦争時の特攻について語る北島令司さん=県立湘南高校
太平洋戦争時の特攻について語る北島令司さん=県立湘南高校

「飛び立って2時間後、必ず死ぬ。それが特攻なんです」-。太平洋戦争末期、そんな極限状態を旧陸軍の戦闘機乗りとして間近で眺めてきた男性が12日夜、藤沢市の県立湘南高校で体験談を語った。「みんな死んだ。何で私だけ生きているのだろう」。今なお消えぬ自責の念を吐露し、戦争の愚かさを訴えた。

講演したのは、鵠沼地区社会福祉協議会会長の北島令司さん(91)。1945年1月、旧陸軍特攻隊の出撃基地となった鹿児島県・知覧に配属され、敵艦を目指して飛行する特攻機の護衛任務に就いた。

出くわした敵機から特攻機を守ることを役目とする北島さんが、敵艦に体当たりすることはない。だが「終戦があと3カ月遅れていたら、私も特攻機に乗り込むことになっていただろう」と振り返る。

ある日、出撃を見送る女性が「あなた! あなた!」と大声で叫ぶ姿を目にした。出撃した6機のうち1機がエンジン不調で戻ってきた。その搭乗員には1週間後、再び出撃命令が下ったが、またエンジン不調で帰還。4日後に3度目の出撃となり、帰らぬ人となった。叫んだ女性が搭乗員の妻だったことを、北島さんは後に知った。

心情はもちろん分かるが、当時の北島さんには「何と女々しいやつだ」とも映ったという。立派に死ぬことが美徳とされた時代。「『死んで祖国の土になれ、そうすれば親兄弟は幸せになれる』と朝から晩まで聞かされていた。本当に教育とは恐ろしい」

終戦後は特攻で散った仲間の遺品集めに奔走し、知覧特攻平和会館の設立にも尽力。だが訪ね歩いた遺族から「息子は死んだのになぜあなたは生きて帰ってきたんだ」と責められたこともあった。自責の念から、会社を定年するまで体験は誰にも語ってこなかった。

「彼らが生きていれば、今の日本はもっと良くなっていた。心底そう思っている」。世の人々のため、生き残った自分ができることとして選んだのが、福祉の仕事だった。

「鵠沼を藤沢で一番の福祉のまちにしたい。そういう小さな幸せをつくり上げることが、本当に大切なことだと思っている」。講演の最後には「戦争は絶対にやってはいけない」と訴えた北島さん。背筋をぴんと伸ばし、来場者に深く一礼して講演を締めくくった。

【神奈川新聞】


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