1. ホーム
  2. 時代の正体
  3. 時代の正体〈12〉明治憲法と「相同性」

慶大教授・片山杜秀さん
時代の正体〈12〉明治憲法と「相同性」

時代の正体 神奈川新聞  2014年08月08日 12:00

明治憲法と日本国憲法に「相同性」を見いだす片山杜秀さん =横浜市港北区の慶大日吉キャンパス
明治憲法と日本国憲法に「相同性」を見いだす片山杜秀さん =横浜市港北区の慶大日吉キャンパス

 憲法9条の解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認を決めた安倍内閣の臨時閣議から1カ月余り。政治思想史が専門の片山杜秀・慶大教授は、今回の「解釈改憲」を、明治から大正、そして先の大戦へと至る明治憲法の場当たり的な「解釈」の変遷に重ね合わせる。「戦後、米国と防衛を分担していく中で、なし崩し的に拡大解釈されてきたのが平和という概念だった」。今年も巡ってきた「8・15」を前に、「平和憲法」の背景を考える。

成り行き任せの国


 大日本帝国憲法(明治憲法)と日本国憲法(現憲法)は「相同的な運命」をたどっている。キーワードは、明治憲法が定める「天皇」と、現憲法のいう「平和」だ。

 明治憲法では、改憲は天皇しか発議できません。そのあとの手続きも難しい、事実上、改憲できないと言ってもよい。

 そこで、たとえば「萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(1条)の意味を、必要に応じていかようにも解釈するのが伝統になりました。その内容は、天皇の統治とは国民の意思を権威付ける儀礼的な行為だという民主的なものから、天皇が自らの意思で実際に政治を行うのが筋だというものまで、さまざま。

 その中で天皇自身も政府も軍部も、天皇がどう振る舞うべきか分からなくなっていった。意思決定の主体や責任の所在が曖昧になり、四分五裂するまま、ついに1945年の敗戦を迎えることになります。

 政治意思が不在の、いわば成り行き任せの政治。その背後で強く作用していたのは、右翼思想だった。著書「近代日本の右翼思想」(2007年)では、大正から昭和にかけての右翼思想の系譜を次のように跡付けた。「世の中を変えようとする、だがうまくゆかない/どうせうまく変えられないならば、自分で変えようとは思わないようにする/変えることを諦めれば、現在のあるがままを受け入れたくなってくる/すべてを受け入れて頭で考えることがなくなれば、からだだけが残る」

 右翼の中には、二・二六事件(1936年)で刑死した北一輝のように、国の仕組みを激しく変えようとした「革命右翼」もいました。でも、最後に力を持ったのは「護憲右翼」です。天皇が「現人神」なら、日本は神国として形式的に完成しているのだから、明治憲法体制を一切いじるべきでない。

 たとえば近衛文麿は、従来の曖昧な政治の仕組みでは非常時に対応できないと、大政翼賛会をつくって強大な政治力を持たせようとしましたが、「護憲右翼」の猛反対に遭いました。憲法の保障する天皇大権を干犯するから不敬だというのです。近衛の腰は砕け、翼賛会は骨抜きになりました。

 結果、誰も強い指導力を持たず、限られた職域で働けば、おのずと答えは出るという「職域奉公論」だけが残ります。国の存亡のかかるポツダム宣言の諾否を、内閣と軍部が決められない。そんな国でした。

「差し引き」の戦後


 戦後憲法の、平和、戦争放棄という言葉をめぐっても、明治憲法の天皇と似たようなことが起きてきたのではないでしょうか。
 
 軍備を持たない「絶対平和主義」としての日本は、米ソ冷戦体制下、とりわけ朝鮮戦争(50~53年)を機に「共産主義への防波堤」へと変容していく。50年に自衛隊の前身・警察予備隊が設立、翌51年には日米安保条約が締結。

 終戦直後の絶対平和主義は、異常な軍国主義国という烙印(らくいん)を押された日本が、国際社会の信用を取り戻すための「本気」のものでした。しかし、冷戦によって「絶対」はあっけなく崩れます。「必要最小限の自衛力」は持てるということになった。では、最小限の基準とは何か。米軍だけでは賄いきれない分でしょう。

 差し引きして、米国の不足分だけを補う。そういう「相対的な平和」が、60年以上にわたり続いてきた。それでも長い間、日本は絶対平和の夢を見ていられた。米国が強かったからだ。

 圧倒的な米軍が日本を守ってくれる。だから日本の「必要最小限」は本当に少なめで済みました。専守防衛論と平和憲法をギリギリ両立させることもできました。

 ところが、米国が弱ってくる。2001年の9・11テロや08年のリーマン・ショックが大きい。

 今や日本は、米国に守ってもらうよりも、逆に米国を積極的に助ける役割すら期待されるようになりました。日本の「必要最小限」の防衛力や自衛隊の活動範囲も膨らまざるをえない。集団的自衛権の容認もそうした文脈から捉えられるでしょう。

刹那主義の危うさ


 米国の弱体化に「なし崩しの平和」の淵源(えんげん)を見いだす。明治憲法の「天皇」も、現憲法の「平和」も、それぞれの憲法にとって基幹となる概念だ。それなのになぜ、こうまで軽んじられるのか。

 憲法の肝になる言葉が、自由や平等ならまだ分かりやすい。ところが天皇と平和ですから。

 天皇は歴史的には文化的、権威的な存在にとどまる時代が長かったでしょう。権力はたとえば江戸時代なら幕府が手にしていました。明治政府の目指した天皇中心の国家とは、伝統的なようでいて、かなり実験的な「フィクション」だったのです。

 「神聖ニシテ侵スヘカラス」(明治憲法3条)の定義の一方、ではその天皇が実際に何をするのかについては解釈が分裂し、政治のかたちが分からなくなっていった…。

 明治憲法の「天皇」と現憲法の「平和」の相同性は、ここにある。

 平和という言葉も難しい。絶対に非戦・不戦の平和主義も、自国の安全を守るために相手を先制攻撃する平和主義もある。

 現憲法の掲げる平和も、概念の混乱の中で有名無実化のピンチに立たされているように見えます。米国の丈に合わせて平和概念も変えてきたけれど、ついに限界に達し、平和憲法との整合性が取れなくなってきた。それが現今の情勢でしょうか。

 タカ派的といわれる安倍晋三首相。だが、国家主義的な姿勢が強調されるのも、グローバル化などにつれ、「国民である」という人々の意識が希薄化しつつあることの裏返しかもしれない。

 資本主義国家は、弱肉強食だけでは国民のまとまりを保てませんから、福祉国家化の歴史をたどってきました。その前提は福祉の際限なき実現のために右肩上がりの税収が続くことで、それはつまり永遠の経済成長です。

 しかし、このモデルは先進国では行き詰まりつつある。福祉国家が保てなくなると資本主義は先祖返りするしかない。弱肉強食に戻って、寡占的な大資本の生き残りに懸ける。国民は心配になる。そのときナショナリスティックなポーズで「日本は強い、大丈夫」という印象を与え、安心させる。その場しのぎの刹那主義でしょう。

 でもそのポーズは新たな国際的緊張や経済負担を生むでしょう。引くも地獄、進むも地獄という状態だと思います。

かたやま・もりひで 1963年生まれ。著書に「近代日本の右翼思想」「ゴジラと日の丸」「未完のファシズム」など。音楽評論家としても幅広く活躍し「音盤考現学」などの論考がある。


シェアする