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あす名古屋戦で引退 横浜M・DFドゥトラ

スポーツ 神奈川新聞  2014年07月26日 10:24

インタビューに答えるドゥトラ=2014年7月8日、マリノスタウン
インタビューに答えるドゥトラ=2014年7月8日、マリノスタウン

J1横浜MのDFドゥトラ(40)が27日のリーグ第17節名古屋戦を最後に引退する。クラブの外国人選手として史上最多のJ1通算212試合(9得点)に出場。2000年以降、クラブが獲得した全タイトルに貢献した功労者の胸に去来するものとは。

「サポーターのためここまでやれた」

豊富な運動量と卓越した戦術眼を武器に、名門の左サイドを担ってきた。23日のリーグ第16節神戸戦でも2本のシュートを披露。引退を惜しむ声は少なくないが、自身は数年前から体力的な衰えを実感していたという。

「正直言えば、今年1月の時点で引退を考えていた。リーグ戦は優勝を逃す残念な結果になったが、天皇杯を取れて一つの節目だと思った。ただ、クラブからもう半年間と頼まれた。チームを手助けする。その信念でここまで延ばしたんだ」

イタリア、スコットランドなど海外を渡り歩いた主将中村は「慣れない海外生活で一つのところにとどまって活躍するのは難しい」と実感を込めて言う。横浜Mに計9シーズン在籍した背景には、街やクラブへの深い愛着があった。

「安全で、公共交通機関は時間通り動く。人を尊重する姿勢も素晴らしい。家族も日本が大好き」。3人の子どもを連れ、根岸森林公園や横浜・八景島シーパラダイスに足しげく通った。12年、クラブから再オファーを受けると、迷わず再来日を決断したという。

01年のヤマザキナビスコ・カップ、03、04年のリーグ連覇、そして14年元日の天皇杯。三大タイトルを総なめにした。

「リーグ優勝が決まった03年の磐田戦、04年のチャンピオンシップの浦和戦は忘れられない。もう一つ挙げれば、移籍した最初の年、J2に落ちずに済んだ神戸戦も印象に深く残っている。三つもタイトルが取れたことは大きな思い出」

運動量を求められるポジションで、J1最年長の年齢までプレーできたのは、たゆまぬ鍛錬のたまもの。全体練習後、自主的にダッシュを繰り返す姿を、日本代表に成長したMF斎藤は「本当のプロの姿」と見習っている。

「難しいポジションだからこそ、練習から100パーセントを心掛けてきた。そうすれば最後は自分の中にいる神様が力を与えてくれると信じていた」

その愚直な姿に惹(ひ)きつけられたサポーターは多い。12日の天皇杯2回戦後には、ポルトガル語で「永遠に俺たちの心の中にいる」と大書きした横断幕が掲げられた。

「ブラジルの家には前回の帰国時にサポーターから贈られた横断幕が飾ってある。サポーターは常にびっくりするほど大きな愛情を与えてくれた。彼らのため、ここまでやれた」

名古屋戦後、先に帰国した家族が待つブラジルへ戻る。サポーターに夢を与えた大ベテランは新たな人生を踏み出す。

「来年からは監督になる勉強をしようと思っている。家族に注ぐ愛情のように、サッカーへの情熱をぶつけたい。マリノスには、これからも強いチームをつくり続けてほしい。しっかりやり遂げた後、サポーターの一人として応援していきたい」。誰からも愛された背番号5は、人懐こい笑顔でそう言った。

◆ アントニオ・モンテイロ・ドゥトラ 2001年8月横浜M入団。卓越した戦術眼と献身的なプレーで不動の左サイドバックとして攻守に活躍。01年にヤマザキナビスコ・カップの初制覇に貢献し、03、04年にリーグ連覇を達成した。06年に戦力外通告を受けて退団したが、12年に6年ぶりに復帰。14年1月に天皇杯を制覇し、三大タイトルを手にした。169センチ、70キロ。40歳。ブラジル・マラニョン州出身。

【神奈川新聞】


豊富な運動量と献身的な守備で左サイドを支配したドゥトラ=2004年3月13日、浦和戦から
豊富な運動量と献身的な守備で左サイドを支配したドゥトラ=2004年3月13日、浦和戦から

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