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結成25周年を迎えたLUNA SEAのギタリスト〈4〉
SUGIZO「広がる宇宙」

カルチャー 神奈川新聞  2014年07月07日 00:46

人生初ライブを行った高校時代。※初公開の写真です=SUGIZO提供
人生初ライブを行った高校時代。※初公開の写真です=SUGIZO提供

 幼少期・中学・高校時代へと話は進んでいく。手にしていたシルバーのアタッシュケースから、パソコンを取り出すと、「これは中学時代だね」、「これは高校時代。一緒に写っているのは親友なの。亡くなってしまったのだけど…」と写真をながめながら、過去の自分に語りかけるようにつぶやく。YMOの姿に衝撃を受け、手にしたアコースティックギター、子どものころ長い時間をともにした本や、図鑑などはいまも大事に持っているという。

 筆者は、手放すことができないものに取材のノートがある。雨に濡れにじんだ文字や、走り書きした文字を見ると、そのときに受けた熱が戻ってくるからだ。大人になって図鑑をめくるときは、子ども時代に、新しく知った世界に高揚した時間を思い出すだろうか。痛みにもがいた時期をともにしたものは、痛かった自分を思い出させ苦しくなることもあるが、他者の気持ちを想像して行動する優しさにつながると思う。

 優しさは感じるもの。筆者が感じたSUGIZOの優しさは、その当時、スキャンダラスな報道をされたアーティストがコンサートを行ったあとの楽屋で、SUGIZOの姿を見かけたとき。千秋楽でもないこの場にどうしているのかたずねると、「心配だったから」と返ってきた一言で強く感じたことがあった。「人を寄せ付けないオーラがある」という本人の分析通り、会話をする前はタトゥーなど見た目で「怖い人かな」と不安なこともあったが、普通の感覚を持っていることが、“伝わる”音楽を生み出すことができる力になっていると、いまは感じる。

 間もなく来る7月8日。SUGIZOは45歳の誕生日を迎える。秦野で暮らしていた子どものころは、4日から開かれている「湘南ひらつか七夕まつり」に行くことが楽しみだったそう。そして44年間の中で、最も印象的だったのは20歳の誕生日。

 LUNA SEAが、LUNACYと名乗り町田で活動していた1989年。この七夕に、当時、加入したばかりのボーカル・RAYLA(後に改名し、RYUICHIとなる河村隆一)らメンバー全員で、東京・目黒へと繰り出した。目的は目黒駅前にのびる、権之助坂の中腹にあるライブハウス「目黒鹿鳴館」。X JAPAN(当時はX)など後に、メジャーデビューした多くのバンドがステージを行う場所に立つことが成功への登竜門と、“視察”に行き、メンバー5人で飲み明かした夜だという。

 終電を逃し地元まで帰ることができなくなった5人は、隣の渋谷区にある代々木公園まで歩き、園内で野宿をすることに。「20歳までにファーストアルバムを出さなければ!」と息巻いていたSUGIZOは、「あぁ、間に合わなかったな。誕生日なのに野宿か…」と落胆したのだという。45歳の誕生日は、「仲間と飲んで過ごしたい」と笑顔を見せた。

第4回 ―広がる宇宙―



 伊勢原高校進学後、SUGIZOはギター、バンドメンバーなど、いまの人生につながる大きな出会いを経験する。「取った行動でいまの自分が決まっていく」。人生は選択・決断の連続だが、決めたことには、脇目もふらずにまい進する。行動が自分を奮い立たせ、未来の自分を作っていくからだ。

1年生のとき、先輩に誘われバンドを始めた。当時、手にしていたのはギターではなく、ベース。ファッションにも興味を持ち始め、原宿に出向きパンク・ファッションを買い求め、デビッド・ボウイを真似ようと、化粧品を使い、通学電車の中で仲間とまぶたを彩った。チェッカーズが流行れば、ボーカルの藤井フミヤが当時していたように、前髪をのばし目にかけたり、多方向に自分を表現するようになる。

 表現の幅を広げた一方、目立つ容姿は他校生などに目をつけられ、教室に押しかけてこられたこともあった。「目つきが生意気だ」など因縁をつけられては、ケンカの場に呼び出された。ボクシングの素養があったことから、「攻撃が最大の防御と思い戦っていた」というが、いつ後ろから殴られるだろうかとおびえていた。

 不良友達の“裏番長”として出会ったのが、後にLUNA SEAのドラマーとなる真矢だった。高校生なのにパンチパーマだった真矢を一目見たとき、「絶対友だちにはなりたくない(笑)」と感じたそうだが、運命に導かれたのか、ふたりはすぐに打ち解け、絆が生まれた。見た目は振り切っていたが、能楽師の父を持つ真矢が、幼いころから邦楽や太鼓の英才教育を受けていたと聞き、その経験が幼少期の自分と重なった。似た境遇は閉じていた心を開き、探求していた宇宙は他者と触れることで、もっと大きなものになることを知った。

 一生の友と出会う中で、「ロックミュージシャンになりたい」という夢から、遠ざかろうとしていた自分がいた。映画が好きだったことから、ジョージ・ルーカスがアメリカで設立した特殊効果スタジオ「インダストリアル・ライト&マジック」に入社し映画制作者になろうか、それともバイオリン奏者になるべきか、などと思いが変動していく。

 高校1年生の後半には、マイルス・デイヴィスやジャコ・パストリアスや渡辺香津美にハマり、JAZZのとりこに。大きく夢を描きながらも自分でストップをかけ、ぐるぐると同じところを空回りし続けていた自分を、むなしい病にかかっているとさじを投げかけた。

 「でも本当にやりたいことは、心の底ではずっと分かっていたんですよね。答えは自分の中で持っていたから。でも常識的に、あるいは社会的に難しいだろうと、自分の本心をうやむやにし、見て見ぬ振りをしていたんですね。でも自分で決めつけたそのベールを剥いでみたら、『ミュージシャンに、作曲家になりたい』ということが、変わらずに僕の心が決まるのを待っていてくれた。『そうだ!』と開眼したんです。それは高校1年の3学期でした」。

 目標を定めたら動き出すだけ。ベーシスト兼シンガーを目指していた当時、作曲にはギターの方が効率的と判断し、転向した。厚木の楽器店で手に入れたヤマハの黒いエレキギターを手にしたとき、「楽器が身体に吸い付いて来る感じがして。また楽器に引き寄せられる自分がいたんです。16年間それが何か分からなかったけど、足りないと探し求めていた身体のピースが見つかった。これが天職になる」と全身に電気が走った。人生を共にするツールとの出合い。悪い遊びとは決別し、楽器の習得に時間を費やした。「楽器が解れば幅が広がる」と片時も離さず、一緒にベッドに入って気がついたら眠っていたことも数え切れない。

 「ベースからギターへとスイッチした、あのときの感覚を、昨日のことのように覚えている」と続けた。25年間、一線で活躍をし、SUGIZOに影響され、ギターを始めたアーティストも少なくない。大きな影響力を持ついまも、「まだ、もっと」と自分が求める音に向け、手を休めることはない。人生の相棒と出合ったときの衝撃は、いまも変わらず胸にあり、その思いは自らを鼓舞する。ギター小僧であり続ける、その熱は、放つ音の中に、にじみ、目には見えない、けれど感じられる“気”が、人の心をとらえるのだ。

 音楽とまっすぐに向き合い始めたとき出会ったのが、INORANとJ。LUNACYと名乗り活動するふたりは、すでに地元・秦野では目立った存在だった。「オレが16歳。ふたりは15歳。オレはリーゼントパーマだったけど、ふたりは肩にかかるぐらいの長髪で、『こいつら本気だ!』と圧倒された。ふたりとは別の高校だったけど、すぐ意気投合して、お互いの学校の学園祭で演奏したり、行動範囲が広がって行ったんです」。共振する仲間との出会い。SUGIZOの宇宙はここからさらに広がり、その勢いは加速していく。


高校時代のSUGIZO。親友とともに=SUGIZO提供
高校時代のSUGIZO。親友とともに=SUGIZO提供

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