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集団的自衛権を考える(18)「死体を見慣れてしまった」広島での学徒動員振り返る

政治行政 神奈川新聞  2014年06月27日 15:00

広島での戦中体験を語る梵さん=相模原市南区
広島での戦中体験を語る梵さん=相模原市南区

私は軍用機を造っていた-。相模原市南区の梵(そよぎ)千代子さん(84)は広島の女学校で学徒動員されていた過去を静かに振り返る。「当時は疑問を持たなかった。持たないようにさせられてきた」。安倍政権は近く憲法解釈を見直し、集団的自衛権の行使容認に踏み切る。戦争ができる国へと大きくかじを切ろうとしている今、そのまぶたにかつて広島で目の当たりにした地獄がよみがえる。

麻酔はなかった。しかし、放っておけば壊死が進み、やがて死に至る。

少年はひじから先を大工用のノコギリで切り落とされた-。

昨年8月、相模原市主催の「平和を考える市民の集い」。マイクを手に時折目をつむり、記憶を呼び起こしながら梵さんは証言を続けた。

「治療としてできたのは皮膚がはがれるのを防ぐため、小麦粉やかたくり粉を溶いた油を塗るくらいだった」

1945年8月6日、原爆が落とされた広島に梵さんはいた。当時15歳。爆心地から北東に約60キロ離れた女学校に通っていた。急ごしらえで設けられた救護所に駆り出され、看護師役として治療に立ち会った。

熱線に焼かれ、皮膚が真っ黒にただれた人が次々担ぎ込まれた。裂いた浴衣を包帯の代わりにしたが、ウジはすぐにわき、はしでつまんでは捨てた。息絶えた人々が日々積み上げられ、小山のようになっていった。

あれから69年。腕を切り落とされた同じ年頃の少年の悲鳴が耳奥から消えない。

「見ていられず目をそむけたけど、金切り声が聞こえて体が震えた。腕は『犬にたべられませんように』『大切に埋めてあげよう』と思いながら砂をかけて、埋めたの」

少女の胸に刻まれた地獄-。

「でも、本当の地獄とは死んでいく人を見ても何も感じなくなる状態なのだと思う。かわいそうだと感じないほど死体を見慣れてしまった。ただの物体だと思わないとやってられなかった」

そして当時は、なぜこんな目に遭わなければならないのか、ということに思いは至らなかった。

■疑問よぎらず

梵さんは軍用機を造っていた。戦争末期、母校の体育館は軍需工場に転用された。

尾翼部品の仕上げ工程を任された。木の骨組みにベニヤ板を貼り、やすりがけし、表面に麻布を貼る。戦闘機か輸送機かは分からなかったが、名古屋にある組立て工場に運ばれ、完成をみるのだと聞いた。

学校と部品置き場を往復する道すがら、級友と口ずさんだ歌があった。

〈かわい工具にほおすり寄せて/花の命も姿もいらぬ/早く翼が送りたい/ああ愛国の陽は燃える/われら乙女の挺身隊〉

「輝く黒髪 女子挺身隊の歌」。普通に勉強がしたいとは思ったが、自分が造った軍用機が戦地でどのように使われ、どれだけの人を殺しているのか、頭をよぎることはなかった。

「善悪を考える余地などなかった。『国のため』であれば、自分が死んでもいいし、殺してもいいと思っていた。言われたことを正確にやればいい。それが命を果たすということだと植え付けられていた」

朝礼では教育勅語に続けて軍人勅諭を聞かされた。

〈一、軍人は忠節を尽すを本分とすへし。一、軍人は礼儀を正しくすへし。一、軍事は武勇を尚(とうと)ぶへし。一、軍人は信義を重んすへし。一、軍人は質素を旨とすへし〉

「皆のため、国のため、民族のためと言われると抗う気持ちは起こりもしなかった」。疑問を感じた瞬間、国賊になるという強迫観念。疑問どころか、戦争に積極的に加担しようとしていた自分がいた。「自分たちも目の前で人が殺されていくわけだから、悪いことだとは思わなかった。こちらも相手と同じことをしているのだ、という気持ちになっていた」

加害と被害の応酬の果て、8月6日の破局はめぐってきた。

■争いを避ける

自国を守るためという大義を掲げ、他国の戦争に加わろうという集団的自衛権の行使が認められようとしている。梵さんはその議論の在りようから憂える。

「安倍晋三首相は『国民の命と暮らしを守るため』と言う。だが、戦争は勝っても負けても、する側もされる側も、必ずどこかで誰かが傷つく。平和のためにしていい戦争なんてない」

安倍首相は、北朝鮮や中国を念頭に危機は差し迫っていると訴える。憲法改正の手続きを踏むことなく、憲法解釈の変更という手法はそこで正当化される。「脅威の存在は確かにそうかもしれないが、国のためとか、国民を守るためとか、聞こえいい言葉を前に理性や歯止めはすぐに消える」。梵さんの言葉に確信がこもる。

今、相模原市内の公営住宅で独居生活を送る。「もう戦争で被害者にも、加害者にもなりたくないと思い続けてきた」。爆心地近くで救護の手伝いをしたことで残留放射線を浴び、被爆者となった。結婚のハードルは高かった。「相模原市原爆被災者の会」に加わり、声高に平和を叫ぶわけではないが、年に数回の会合には欠かさず顔を出す。

集団的自衛権を認めようという人もきっと平和を願っていると思う。抑止力が高まり、衝突は回避されるという考えは以前からある。

でも、とやはり梵さんは立ち止まる。「人間にはいろんな欲がある。争いはきっとなくならない。でも、例えば近所に嫌な人がいたとしても、普通は我慢する。もめるのは嫌だから、争いをしないよう頭を使う」。その歯止めが外れようとしている。戦争という選択肢ができれば、回避のための努力は尽くされなくなる。「嫌な思い、怖い思いをさせられても、誰も殺さない道を選んだ方が後悔しないんじゃないか」。また力を込めた。

【神奈川新聞】


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