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文書が示す慰安婦実態 河野談話検証姿勢に反論-関東学院大・林博史教授

社会 神奈川新聞  2014年06月17日 10:30

林博史教授
林博史教授

旧日本軍の従軍慰安婦制度で軍の関与と強制性を認めた河野洋平官房長官談話をめぐり、政府は近く談話の作成過程の検証結果を国会に報告する。内容は見直さないが経緯は調べ直す-。政府の姿勢は、慰安婦の調査研究を続ける林博史・関東学院大学教授の目にこう映る。「『談話には根拠がない』との印象を植え付けようとしている」。その先に過去の歴史を正当化したい本音を見て、掘り起こしてきた公文書を手に反論する。

■強制とは何か

談話見直しに意欲を示していたのは安倍晋三首相だ。2012年9月の自民党総裁選で「談話の核心をなす強制連行を事実上証明する資料はなかった。新たな談話を出すべきではないか」と主張。今年3月の国会で「安倍内閣で見直す考えはない」と軌道修正したものの、主張自体は撤回していない。

林教授は首をひねる。「どう連れてきたかが、なぜ『核心』になるのか」

例えば、北朝鮮による拉致事件。神戸市の飲食店従業員は甘言で海外へ誘い出された後、拉致被害に遭ったと政府に認定された。

林教授は「無理やり連れていったわけではないから拉致ではないとはならない。だまして連れていくのも問題だし、監禁したり、逃げられなくしたりすれば、それは強制だ。問題の本質は連れてくる際にあるのではなく、その先でどう扱われたかにある」と強調する。

では、連れていかれた先での状況はどうだったのか。林教授は元慰安婦の女性が起こした裁判の資料を指し示す。

〈原告がいやになって逃げようとすると(中略)捕まえられて連れ戻され、殴るけるなどの制裁を加えられた〉(1999年10月、東京地裁判決)

〈解放の時まで約8年間、毎日朝9時から、平日は8、9人、日曜日は17、18人の軍人が、小屋の中で同女を強姦(ごうかん)し続けた〉(98年4月、山口地裁下関支部判決)

林教授は「軍の管理規則からも慰安所の生活が強制的だったと説明できる。外出の自由がない。制限されている。多くが、そうした中で性行為を強要されていた」と断言する。

■軍の深い関与

資料は談話発表後も見つかっている=一部を別掲。軍の深い関与を示すのが「野戦酒保規程改正」(1937年、防衛省所蔵)だ。陸軍の後方支援業務として日用品や飲食物の販売について記述し、こう続く。

〈野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得〉

「軍の中央が慰安所を造らせ、各部隊が管理規定を設けていたのは分かっていた。軍中央自身が規定を設けていたことを示すこの資料により、軍全体としての公式施設だったことが明確に裏付けられた」と林教授。

女性集めは慰安所の運営業者が担っていたことをもって軍の責任を否定する声もあるが、「軍の施設として造り、軍が管理運営を委託している。業者がやったことなので関係ないという言い訳は通用しない。軍の資料を基に業者が人集めをしていたことを示す公文書も残されている」。

林教授は「大前提として」と続け、「たとえ自らの意思であったとしても、女性に兵士の性の相手をさせる施設を国家組織が造ること自体が許されない」と指摘する。

当時でも20を超える県議会で公娼(こうしょう)制度を廃止する決議がなされ、女性をだまして上海の海軍指定慰安所に連れていこうとして国外移送誘拐罪、国外移送罪が適用されたケースもあった。

■人権意識欠如

安倍首相に代表されるように、女性が連れてこられた場面に焦点が当てられるのはなぜか。

林教授は「違法である以上、女性を無理やり連れてきたという文書は残りにくい。慰安婦を正当化したい人は、それを好都合だと思っているのではないか」と指摘する。

もっとも、強制連行を示す文書はインドネシアでの「スマラン事件」の裁判記録などに残り、証言も数多い。

連合国によるBC級戦犯裁判でのバリ島の慰安所管理者の尋問調書は記す。

〈強制されて女性たちが慰安所に連れて来られました。(中略)彼女たちはAによって1人ずつ車から引きずり出されたので、服は引き裂かれていたほどでした〉

被害者自身による証言を検証してきた林教授は「細部に思い違いがあるかもしれないが、無理やり連れてこられたという核心の体験は信用できる。複数の同様の証言に資料や当時の社会状況を照らし合わせ、事実と考える。文書がなくとも裁判で犯罪が立証されるのと同じで、当たり前の事実認定の仕方。そもそも慰安婦であったことを名乗り出ること自体、勇気のいることだ」と話す。

それでもなお、「慰安婦などではなく、売春婦による商行為だった」という声は絶えない。

林教授は問う。「お金をもらっていれば、犯罪が犯罪でなくなるのか」。そこに浮かび上がる人権意識の欠如とゆがんだ国家観。「買春や人身売買への認識の甘さ、日本国家は間違っていないという考えへの固執から、被害者の痛みに心を寄せず、うそつきと呼び、セカンド・レイプ、サード・レイプを繰り返している。決して終わった問題ではない」

河野談話はこう結ぶ。

〈われわれは歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという決意を改めて表明する〉

談話発表から20年余、「慰安婦」の記述が教科書から消え、メディアが正面から取り上げることが減り、久しい。その精神はすでにして失われ、だから「検証」は可能になったのかもしれなかった。

◆河野談話

第2次大戦中、朝鮮半島などの女性が旧日本軍の慰安所で性的被害を受けたとして日本に謝罪と賠償を求めている問題で、1993年8月、宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官が従軍慰安婦問題の政府調査に基づいて発表した。慰安所は軍当局の要請で設営され、管理や慰安婦の移送に軍が直接あるいは間接に関与したとして、元慰安婦に「心からのおわびと反省の気持ち」を表明した。歴代内閣が談話を踏襲してきたが、第1次安倍内閣では「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」との政府答弁書を閣議決定。談話の検証は、作成過程で韓国政府との間で政治的配慮による文言のすり合わせがあったかなどを有識者チームが調べ、今国会会期末の22日までに報告書を提出するとしている。

【河野談話の発表後に見つかった慰安婦関連の資料の一部と国内裁判の判決】

■インドネシア・バタビア25号事件についての連合国によるBC級戦犯裁判

組織的暴虐により懲役12年となったバリ島海軍第三警備隊特別警察隊長(A)への法務省スタッフによる聞き取り=1962年、国立公文書館所蔵

「私の一番恐れていた事件は、慰安所事件であった。これは慰安婦の中には、スラバヤから蘭軍下士官の妻君5人の外、現地人70人位をバリ島に連れて来た件である。(略)この外にも、戦中の前後約4カ年間に200人位の婦女を慰安婦として、奥山部隊の命により、バリ島に連れ込んだ。私は終戦後、軍需部、施設部に強硬談判して、約70万円を本件の工作費として貰い受け各村長を介して住民の懐柔工作に使った。これが完全に効を奏したと見え、一番心配した慰安所の件は1件も訴え出なかった」

隊長Aに対する慰安所管理者の尋問調書=46年、同

「Aによって、強制されて女性たちが慰安所に連れて来られました。彼女たちが強制されていたということは、彼女たちが車から降りて慰安所に入るときに泣いていたという事実から明らかでした。彼女たちは10人でした。彼女たちはAによって1人ずつ車から引きずり出されたので、服は引き裂かれていたほどでした。それ以降、彼女たちはこの家を離れることを許されず、おおむね監禁状態におかれていました」

■インドネシア・ポンチャナック13号事件についての連合国によるBC級戦犯裁判

強制売春などに問われた海軍大尉ら13人の判決文=48年1月、同

「多数の婦女が乱暴な手段にて脅迫され強制させられた」

■南京12号事件の連合国によるBC級戦犯裁判

強姦や婦女誘拐などに問われた陸軍中将の起訴状=46年12月、同

「娘を暴力をもって捜し出し肉体的慰安の具に供した」

■元慰安婦の在日韓国人女性が国に謝罪と補償を求めた東京地裁の判決=99年10月

「(原告は)泣いて抗ったが、軍医による性病検査を受けさせられ、営業許可後は、意に沿わないまま従軍慰安婦として日本軍人の性行為の相手をさせられた。原告がいやになって逃げようとすると、そのたびに慰安所の帳場担当者らに捕まえられて連れ戻され、殴るけるなどの制裁を加えられたため、原告は否応なく軍人の相手を続けざるを得なかった」

■元慰安婦の韓国人女性が国に補償を求めた東京高裁の判決=2003年7月

「控訴人は(略)数え17歳の春、10人位の日本人の軍人に、手足をつかまえて捕えられ、トラックと汽車を乗り継がされ、オオテサンの部隊の慰安所に連れて行かれた。慰安所では性行為を強要され続けた」

■元慰安婦の中国人女性が国に損害賠償を求めた東京高裁の判決=04年12月

「日本軍構成員によって、駐屯地近くに住む中国人女性(少女も含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為、いわゆる慰安婦状態にする事件があった」

【神奈川新聞】


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