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集団的自衛権を考える(14)ずっと感じる「本土との温度差」 川崎沖縄県人会副会長・座覇光子さん

政治行政 神奈川新聞  2014年06月13日 13:30

「日本はいま戦争に向かおうとしている」と集団的自衛権の行使容認に異を唱える座覇さん =川崎市川崎区
「日本はいま戦争に向かおうとしている」と集団的自衛権の行使容認に異を唱える座覇さん =川崎市川崎区

「自分たちの憲法を壊して、戦争に向かおうとしている」-。女性の目には憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認へと突き進む安倍政権の動きがそう映る。川崎沖縄県人会副会長で市民団体沖縄民権の会代表、座覇光子さん(74)=川崎市川崎区。沖縄戦の悲惨な歴史を語り継ぐ沖縄2世はいま、米軍基地を温存したまま実現された沖縄返還が「間違いだった」とはっきり言える。「戦争は目の前という実感です」

記者会見に臨んだ安倍晋三首相は、憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認の必要性をこう訴えた。「口で唱えるだけで平和な暮らしを守ることはできない」

その日、5月15日は沖縄にとって特別な日だった。

敗戦後の日本が主権を回復しながら、本土と切り離され、米国の統治下に入った1952年4月28日を沖縄では「屈辱の日」と呼ぶが、本土復帰を果たした72年5月15日もまた、「もう一つの屈辱の日」と形容される。沖縄の人々が望んだ「核抜き・本土並み」という米軍基地の削減は実現しなかったからだ。

返還から42年すぎ、座覇さんは言う。

「ああ、やっぱり間違った復帰だったなあ、ということを確認するだけ」

思い出すのは70年代初め、本土復帰を願い、県人会の一員として川崎駅前で署名やカンパ集めに奔走していた日々。いよいよ復帰が目前となり、座覇さんは「返還反対・時期尚早」の立場に転じた。

周囲には不思議がられ、県人会内部からひんしゅくを買った。

「当時の国内にはまず復帰が先という思いが強く、中身はどうあれ、復帰してから考えればいいという空気が支配的だったから」

悲願の影で見過ごされた、東西冷戦下にあって沖縄に基地を温存しておきたい米国と、その抑止力に頼る日本の思惑-。

そして今、あの時、基地問題を先送りした結果、集団的自衛権をめぐる議論の芽を摘み残すことになったのではないか、との思いが胸をよぎる。

■温度差

国土のわずか0・6%の面積に、国内の米軍基地の約74%が集中する沖縄。本島から410キロ西に尖閣諸島はある。領土の危機が叫ばれ、日米同盟を強化し、抑止力を高めるべきだとして集団的自衛権の行使容認論が語られる。

だが、集団的自衛権とは同盟国が攻撃を受けた際、自国が攻撃されていなくても、反撃に加勢することを指す。領土に侵略があった場合は、個別的自衛権として武力行使することは憲法でも認められている。

沖縄は再び利用されようとしている-。

「昔はお互い、島の周辺の海で自分たちが食べる分だけの魚を捕っていた。それが今さら、どこの所属かだなんて…。争いになるくらいなら、尖閣なんて守らなくていい」

強い言葉が口を突く。

それはまた、戦争のなんたるかを知るからでもあった。「戦争は具体的で、すごく残酷なんです」

1940年、現在の横浜市鶴見区に生まれ、終戦後に川崎へ移った。郷土史研究をライフワークとし、両親の故郷を訪ね歩いた。20万を超える犠牲者を出した沖縄戦の体験談に耳を傾けてきた。

捕虜になるなら死を選べ、と教えられた人がいて、愛する家族に手をかけ、牧師になって懺悔の日々を送る人がいる。花火を見るたび、夜間の艦砲射撃を思い出す女性もいる。

「同じことを本土の人にさせていいのかと、沖縄はずっと問うてきたんです」

米国の戦争に加われば、その基地が集中する沖縄は相手国の攻撃目標になる。

「沖縄から戦闘機が飛んでいくさまが容易に想像できる。沖縄戦もひどかったが、今ならボタン一つで、もっとひどいことになる」

集団的自衛権という武力行使を前提として語られる「平和」への違和感。解釈を変えるというやり口で手が付けられようとしている平和憲法の軽さ。本土との温度差なら、しかし、ずっと感じてきた。

■防波堤

「戦争になれば本土も沖縄もない。私たち市民は同じようにやられるわけ。周りの政治家は誰も止めないでいいのかな、と」

諦めにも似た嘆息。一方で座覇さんは思う。

「政治家は戦争に行かないから、誰も止めないのかしら」

沖縄の悲劇の語り部として、小中学校、高校をめぐってきた。

ことし2月。京都府福知山市の中学2年生を前に「沖縄の中学生になったつもりで聞いてほしい」と切り出した。

「戦争はみんなのおじいちゃん世代のことだけど、生き延びた本土の人たちは、多くの犠牲を生み、本土の防波堤となった沖縄のおかげで存在している」

そして続けた。「(沖縄の犠牲の上にある)そんな子どもたちを将来、戦争に送ることになるなら、それは自分が戦争で死ぬよりもつらいことなの」。その時、沖縄は二度目の無駄死にを強いられることになる。

結局、誰も被害を受けた当事者に成り代わることはできない、ということなのだろうか。「東日本大震災と原発事故が起き、東北のために『何かしたい』という思いはあるけど、何かができているわけではない。本土と沖縄との関係もきっと同じなの」

国会会期末の22日に向け、憲法解釈変更の閣議決定をめぐる自民、公明の与党協議がヤマ場を迎えている。

「沖縄の人なら必ずと言っていいくらい身内や親戚に戦争で亡くなった人がいる。今、集団的自衛権が議論されているのはただただ、残念。言葉が見つかりません」

翌23日は沖縄戦が終結して69年、沖縄にとってやはり特別な一日、「慰霊の日」である。

◆沖縄戦と在日米軍基地

太平洋戦争末期の1945年春、米軍が沖縄本島と周辺離島に上陸して始まった地上戦。沖縄県民の4人に1人が死亡し、日米双方の犠牲者は20万人以上になった。組織的戦闘は6月23日、日本軍司令官の自決で終了したとされている。日本軍による住民への「集団自決」強要やスパイ容疑での住民虐殺が発生した。戦後は米国の統治下に置かれ、朝鮮戦争勃発後は米軍の最前線基地の役割を担った。住民の土地を強制的に接収し、基地が造られていくさまは「銃剣とブルドーザー」と形容された。沖縄は72年に本土復帰を果たしたが、「核抜き、本土並み」の方針は実現されず。全国の在日米軍専用施設の74%が集中し、米兵による女性強姦事件や米軍機・ヘリの墜落事故なども繰り返されてきた。

【神奈川新聞】


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