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立ちのぼる生命 宮崎進展(上)生命のメッセージ 死の風景にとどまらず

カルチャー 神奈川新聞  2014年05月28日 12:24

第3展示室。床置きの彫刻「横たわる」(手前)の先に「泥土」が見える=県立近代美術館葉山(山本糾撮影)
第3展示室。床置きの彫刻「横たわる」(手前)の先に「泥土」が見える=県立近代美術館葉山(山本糾撮影)

シベリアでの抑留経験などを主題に、さまざまな素材を駆使した絵画や彫刻作品に取り組んできた鎌倉市在住の宮崎進(しん)(92)。「立ちのぼる生命(いのち)」と題して県立近代美術館葉山で開催されている個展の見どころを3回にわたって紹介する。

今回の宮崎進展は、会場全体をあたかも一つの作品のように展示しようとする試みである。もちろん初期の作品もあれば、スケッチブックやエスキース(下絵)などの創作の秘密を教えてくれる資料類もふんだんに展示されている。しかし、エントランスに設置された、高さ3メートルを超える初公開の彫刻の大作、展覧会と同名の「立ちのぼる生命」(2003年)から、最後に展示される宮崎の言葉「虚空に浮遊していたいのである。」(02年、「13の言葉」から)に至る全てをひっくるめて一つの主題が浮かび上がるように綿密に計算されているのである。

惜しみなくあふれでる「生命」。会場を後にした人は、その息吹に全身を包まれたような印象を抱くのではあるまいか。

例えば、会場の最も天井が高い第3展示室。手前の空間の中央に、彫刻「横たわる」(01年)がごろりと床に置かれている。両脇の壁には、04年と08年に制作された二つの「花咲く大地」が飾られている。一見奔放と感じられるコラージュの大作が、共通のデッサンに基づいて構想されていることがはっきり分かる。とはいえ、大地そのものがそうであるように、機械的な反復からは縁遠い、いかにも自然な変奏の妙をそれらは湛(たた)えている。

奥の空間には、やや低い位置に「泥土」(04年)が掛けられている。宮崎は、この作品をサンパウロ・ビエンナーレで発表するために描きあげたとき、私のインタビューに答えて、この大作が戦争で体験した“死の風景”であることを説明してくれた。そこには動物や人間の死体や骨が混ざり合ったぬかるみが表現されていたのである。

驚くべきことに、当時80歳を超えていた宮崎は、この前段で、もう一枚「泥土」を描いていた。大きさとやや明るみを帯びた茶色のバージョンに満足できずに、もっと深刻な暗緑色で、より大きな寸法の新作を描いたのだ(本展にはこれら2点の「泥土」が展示されている)。

床に置かれた彫刻「横たわる」が、母親であると同時に嬰児(えいじ)であり、また、硬直した死者のようにも感じられる多様な意味を今回の展示で与えられたように、一連の「泥土」も、“死の風景”にとどまらない、新たな生命を育む沃土(よくど)という性格が、今回の展示によって浮かび上がってきた。それは21世紀の困難な時代にあって、画家がいま振り絞るようにして私たちに伝えようとする生命のメッセージゆえではなかろうか。

(県立近代美術館館長・ 水沢 勉)

【神奈川新聞】


「泥土」(2004年、県立近代美術館蔵)
「泥土」(2004年、県立近代美術館蔵)

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