1. ホーム
  2. 未曽有に学ぶ
  3. 未曽有に学ぶ〈42〉90年の成果(下)◆危機感胸に100年へ一歩 

語り継ぐ関東大震災
未曽有に学ぶ〈42〉90年の成果(下)◆危機感胸に100年へ一歩 

フォロー・シェアボタン

神奈川新聞  2004年06月06日公開  

災害史研究のあり方や成果の還元について話し合ったシンポ=4月5日、青山学院大
災害史研究のあり方や成果の還元について話し合ったシンポ=4月5日、青山学院大

 発生から90年を迎えた関東大震災がこれまでになく注目されたのは、東日本大震災が起きたからにほかならない。「過去に学べ」が合言葉となる中、展示や講演、慰霊の行事に人々は集い、足元で起きた災禍と教訓を見つめ直した。「関心の高まりを一過性のもので終わらせてはならない」。100年という次の大きな節目に向け、研究者や学芸員たちは地域や専門分野を超えた共同研究を視野に模索を始めた。手応えとともに「災害はすぐに忘れ去られてしまう」との危機感を抱いたからだ。

 4月5日、東京・渋谷の青山学院大に、近現代史や災害史の専門家、地震研究者、郷土資料館の学芸員、公文書館の担当者らが顔をそろえた。

 「歴史災害を伝える-“災害史”展示の現状と課題」と題したシンポジウム(主催・首都圏形成史研究会)。呼び掛け人の1人、横浜開港資料館調査研究員の吉田律人(33)によると、2011年以降、神奈川、東京を中心に少なくとも43の資料館や図書館、文書館で災害史の展示が行われた。その多くが昨年の関東大震災関連だった。 

■変わる意識
 災害史展示の裾野が広がったのは、90年の節目以上に東日本大震災によるところが大きい。「過去の津波被害を教えてほしいという問い合わせがかなりあった」と、大磯町郷土資料館学芸員の大石三紗子(30)は住民意識の変化を挙げ、本音を明かす。「娯楽要素のない災害史の展示はこれまでは企画しにくかった。危ない地域であるとの印象を与えてしまうし、生活している人に不利益な情報になりかねない」。それが3・11を機に「危険だと知った上で備えるという考え方に変わった」と肌で感じている。

 お茶の水女子大教授の小風秀雅(62)が言葉を継ぐ。「自治体史の編纂において、災害史は本格的に取り組まれてこなかった。被害を詳しく書くことで、例えば地価への影響などが懸念されたのではないか」
 小風が関東大震災関連のブックレットの編集に関わった茅ケ崎や藤沢では別の側面もある。「東京や横浜ほどの被害ではなかったため、市民が災害のイメージを持てていない。情報が提供されず、記憶が継承されてこなかったという問題がある」 

■資料限られ
 一方、大火の被害がよく知られている横浜でも、当時の状況を正確に描くのは難しい。教訓の継承を目的とした震災記念館は戦災などで短命に終わり、資料は散逸。震災死亡者の調査票など貴重な1次資料を保存する東京都慰霊堂のような公的施設もない。

 「当時の横浜市域は現在の10分の1程度。現在の視点で見れば、限られたエリアが展示の中心にならざるを得なかった」と振り返るのは、横浜での企画展の中心となった横浜都市発展記念館の主任調査研究員、青木祐介(41)。所蔵する資料や写真は現在の横浜港周辺が中心で「資料を発掘していく余地はまだある」と痛感させられた。

 例えば、当時焼失した県揮発油貯蔵庫跡(現南区)に関西府県連合の支援でバラックや病院、学校などが建てられた「関西村」については、その暮らしぶりを伝える貴重な写真帖が昨年初めて寄贈され、実態解明への期待が高まった。しかし、横浜に残されている記録は限られ、「支援した側の京都に行政文書があると展示後に知った」という。

 巨大災害の特徴である広域性。それは被災範囲ばかりでなく、支援の広がりも広範に及ぶという意味も併せ持つ。それゆえ青木は「自分たちの施設や地域だけでは災害史は組み立てられない」と実感している。

■垣根越えて
 シンポでは、自治体や研究分野の垣根を越えて連携していくとの方向で多くの研究者が一致した。寒川文書館主幹の高木秀彰(52)は「性格の異なる施設と連携すれば、違った内容を描ける」とみる。

 共同研究組織の立ち上げを視野に入れる墨田区立すみだ郷土文化資料館専門員の西村健(35)は「被害の深刻なところに注目しがちだが、災害の状況は地域ごとに違う。その点に目を配りながら過去の災害を捉え直し、防災に生かす実効的な研究が欠かせない」と今後を見据える。そこには、広域性とともに、地域性の視点もまた欠かせないとの問題意識がある。

 葛飾区郷土と天文の博物館の学芸員橋本直子(59)は別の視点を提示する。「住民に役立つ情報を提供するには、一つの災害を見つめるだけでなく、地形的な変遷も含め、その災害がどのような時系列の中で起きてきたのかを考える必要がある」。同博物館の1年半前の展示では新旧の利根川流域に広がる「東京低地」に被害をもたらした江戸時代以降の多様な災害を取り上げた。

 歴史研究の主流とされる政治史や経済史と比べ、災害史は日陰の存在だったと指摘される。その大切さが強調されるいま、第一人者として地道に取り組んできた北原糸子(74)は「私たちは災害の時代を生きている。その自覚を持って取り組まなければ」と思いを新たにしている。

◇手記など資料を横浜市に寄贈
 関東大震災の資料は90年を経たいまも、公的施設への寄贈が続いている。猛火に囲まれた横浜公園で傷ついた人々の救護に当たった日高帝(110)の手記や当時の県知事の表彰状も、家族から横浜市に提供された。被災者の思いや当時の状況が分かる貴重な資料として大切に保管されている。

 次女加藤紀子(73)が「手元できちんと保存していくのは難しい。90年という歳月の重みがある資料でもあり、何か役に立てるなら」と申し出た。昨年12月に横浜市史資料室が受け取り、保管している。

 手記は、げた履きでたどり着いた横浜公園の状況を記す。
 〈怪我人は老若男女、すでに公園の四方は火の海、大小の地震は絶えず続く〉

 そこでの献身的な救護の様子が神奈川新聞社の前身、横浜貿易新報に取り上げられ、震災翌年の1924年3月に県知事が表彰している。 日高の資料は昨年の横浜開港資料館の展示で公開された。市史資料室調査研究員の松本洋幸(42)は「歴史資料は失われる危険があるが、災害時はさまざまな立場の人が記録を残そうとする。今後も発掘される可能性がある」と期待している。=敬称略


寄贈された日高さんの手記や資料
寄贈された日高さんの手記や資料

シェアする