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ある中国残留孤児の夢(下) 言葉の壁越え懸け橋に

社会 神奈川新聞  2016年11月24日 09:36

23日に開かれた作品上映会であいさつする猿田さん=川崎市中原区の市国際交流センター
23日に開かれた作品上映会であいさつする猿田さん=川崎市中原区の市国際交流センター

 猿田勝久さん(73)は1981年秋に36年ぶりに「里帰り」を果たした後、すぐに永住帰国したわけではない。中国で結婚した妻が強く反対したからだ。

 「妻は純粋な中国人だったから、言葉も分からない、生活習慣も違う日本で暮らしたがらなかった。親兄弟とも離れ離れになりたくなかった」。猿田さんは3年間かけて説得した。

 85年7月5日、妻と4人の子どもを連れて永住帰国が実現した。山梨県大月市に住む母の弟に当たる叔父が身元保証人になってくれた。

 満州開拓という国策に国民を駆り立てた末、戦後も置き去りにし、早期に帰国させなかった国の責任は重い。戦争末期の混乱時に1歳半だった猿田さんは41歳になっていた。

 帰国後、間もなくして出生地の川崎市の幸区役所に足を運んだ際、終戦後に除籍された戸籍謄本を見た。新たな生存情報がなければ戦時死亡宣告という手続きで戸籍から消される制度だった。猿田さんは「生きていたのに。とても悲しかったよ」と話す。

 日本語は全く話せなかった。

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