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~関東大震災90年~ 復興を超えて(3)
未曽有に学ぶ〈34〉再生◆産業や都市化が進展

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神奈川新聞  2005年11月27日公開  

家々がつぶれた藤沢駅付近(藤沢市文書館提供、神田善四郎・芳蔵共同撮影)
家々がつぶれた藤沢駅付近(藤沢市文書館提供、神田善四郎・芳蔵共同撮影)

〈足柄茶はここに五十周年を迎える〉

40年ほど前の1975年に建てられた石碑は、その発祥と歩みが関東大震災の復興に深く関わっていたことを刻む。

木炭用の山林の崩壊、生活基盤だった田畑の埋没。都市部の横浜などとは大きく異なる被害の様相を呈した山あいの清水村(現山北町)で、生活再建の手だてとして練られたのは、酪農、こんにゃく、そして茶の栽培だった。

それぞれの先進地への視察を経て、村役場は報告書をまとめる。「有望ナル茶ノ栽培」。震災2年後の25年から種子の無償配布とまき付けが始まったが、定着するかは微妙だった。

石碑と同じ時期に編集された「足柄茶五十年史」に「足柄茶うみの悩み」と題した一文が載っている。

〈茶に対する関心は浅く、その肥培管理に徹底さを欠き、収入を得るには八年以上もかかる有様〉

それでも、率先して挑戦した農家の成功で徐々に定着し、産地も拡大。100年という大きな節目を前に担い手の高齢化と後継者の確保という課題がのしかかるなか、思わぬつまずきがあった。

2011年3月、福島第1原発事故。拡散された放射性物質が荒茶から検出され、出荷制限を余儀なくされた。解除後も風評被害に悩まされるなか、かつて栽培に従事していた清水地区の茶農家やお年寄りたちが足元の歴史を見つめ直す。

「このお茶があったからこそ、関東大震災に負けず復興することができた。原発事故の影響はあったけれど、それぐらいじゃへこたれない」。茶農家の細谷和子(82)たちが手作りしたのは、ちぎり絵の紙芝居。東日本大震災の直前から準備していたが、完成は12年になった。種の無償配布の時代から題材にし、茶摘みの風景や新茶が出来上がったときの喜びも表現。地元の子どもたちを招き、情感を込めて披露すると、伝わる手応えがあった。

グループの中には、関東大震災の体験者もいる。当時、小学校1年だった渡辺ツマ(97)。祖母と昼食中に激震に見舞われたあの日のことがいまも忘れられない。「お茶わんとお箸を持ったまま奥の納戸へ逃げた。とにかく怖くて、しばらく出られなかった」

そんな「原点」を先輩たちから聞かされてきた細谷は「嫁いできた昭和30年ごろは、お茶の収入だけで生活できた」と振り返り、次の世代に思いを託す。「いいお茶だから、何とか受け継いでいってほしい」

震災後の復興で生み出されたのは、産業だけではない。湘南では、地域そのものが大きく変容した。「町」だった藤沢や茅ケ崎、平塚が「市」へと発展し、都市の装いを整えていく礎になった。

現在の藤沢市域に当たる藤沢町と周辺の村々の人口統計を見比べた藤沢市文書館史料専門員の沢内一晃(41)が言う。「震災以前は転出者が転入者を上回る社会減が毎年続いていたが、震災を機に移り住んでくる人が2千~3千人ほど多くなった。5年後には、転入者が上回る社会増に転じている」。1923年の震災当時、4万3千人近くだった町村の合計人口は29年に4万9千人を超える。

一方、猛火に焼き尽くされ、約2万7千人の死者・不明者が出た横浜市では、44万人を数えていた人口が震災直後は30万人ほどに落ち込んだ。犠牲者を除いても、10万人余りが横浜を離れた計算になる。

沢内は読み解く。「被害の激しかった横浜から、親類などを頼って逃げてきた被災者が藤沢に定着し、人口増加につながったのだろう」

朝が早く昼食を終えていた農家が多かったため、横浜のような調理中の出火とその後の延焼火災がほとんどなかった藤沢の町村。復旧は早く、つぶれた東海道線藤沢駅が1年後に再建されたころには、周辺に家々が立ち並んだ。29年には小田急線が延伸。前後して道路や水道の整備、住宅地の開発などが具体化し、「社会増」の受け皿が整っていった。

既存の市街地が灰燼(かいじん)に帰した横浜は区画整理によって再生を図ったが、「湘南では、社会的なインフラが整っていないところに新たなまちを一から造っていくような形で復興と都市計画が進められた」と、お茶の水女子大教授の小風秀雅(62)。「湘南の現代は、ここから始まったと言えるのではないか」

都市計画法が制定されたのは、震災4年前の19年。「そうした制度や人材、組織ができていた上、震災によって計画が受け入れられやすい状況が生まれた。だから、復興や地域開発が加速したのだろう」と小風は分析する。

激しい揺れで山津波や山崩れが起き、多数の犠牲者が出た根府川や浦賀では、崩落した土砂を使って道を造った。震災を乗り越え、復興を遂げようと奮闘した人々の知恵と努力もまた、欠くことのできない要素だった。 =敬称略

【神奈川新聞】


復旧した1年後の家は境界より後退して建てられ、道路が拡幅された(藤沢市文書館提供、神田善四郎・芳蔵共同撮影)
復旧した1年後の家は境界より後退して建てられ、道路が拡幅された(藤沢市文書館提供、神田善四郎・芳蔵共同撮影)

足柄茶50年の足跡を刻む石碑=山北町山西
足柄茶50年の足跡を刻む石碑=山北町山西

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