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~関東大震災90年~ 復興を超えて(2)
未曽有に学ぶ〈33〉格差◆住まいの再建険しく

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神奈川新聞  2004年09月10日公開  

伊勢佐木町周辺の被災状況を俯瞰したパノラマ写真【1】(横浜市史資料室所蔵)
伊勢佐木町周辺の被災状況を俯瞰したパノラマ写真【1】(横浜市史資料室所蔵)

大正末期から昭和初期にかけての横浜の街並みが写し込まれた80枚ほどのガラス乾板。角度を変えながら撮影された一枚一枚をつなぎ合わせると、18枚のパノラマ写真になった。

東日本大震災が起きた2011年の夏。横浜市史資料室に寄贈された4200枚もの乾板の中から、1923年9月1日の関東大震災の被害状況と被災後の変遷を切り取った作品が見つかった。

撮影したのは、横浜に写真館を構えていた前川謙三。市の要請で廃虚にレンズを向け続けた前川の写真は、震災を知る貴重な資料として既に知られたものがあったが、時を経てよみがえったパノラマ写真はひときわ大きな意味を持っていた。

「兵隊山(現三春台)、野毛山、山手の3カ所から被災した街並みを俯瞰(ふかん)し、ほぼ1年おきに定点観測している。復興はかなり早く進んだようだが、地域格差も浮き彫りになる」。見比べた市史資料室調査研究員の松本洋幸(42)は価値を見いだし、昨年の震災90年に合わせた展示の目玉に据えた。

焼失だけで2万5324棟に上り、さらに5千棟以上の家屋が全壊した当時の横浜市。激しい揺れと大火で被害が集中した伊勢佐木町周辺を9月中に写した三春台からのパノラマは一面焼け野原だが、1年後は家々がひしめき、回復の速さを感じさせる。

しかし、松本は目を凝らす。「1年後に写された家は瓦屋根ではない。急ごしらえのバラックばかりだ」

被災した横浜の新聞社に代わる情報伝達手段として、市が発行した「横浜市日報」の第5号(9月15日付)は「臨時バラック建造」の見出しで市の対応を知らせる。〈大至急にて〉〈急設〉と迅速な着工を強調しつつ、横浜公園や根岸競馬場など10カ所を予定地に挙げ、〈約一萬(まん)人を收容する見込である〉。

バラックは県や工兵隊、財閥も次々と建てていくが、住民の自助努力も垣間見える。新聞発行を再開した神奈川新聞社の前身、横浜貿易新報が10月8日付の臨時第25号で伝えている。

〈横濱(よこはま)随一の繁榮地である伊勢佐木町通りの住民が奮起して横濱復興上に其(その)範を示さんとの申合せをなし耐久的バラックの建設を急ぎ〉

対して山手から関内方面を写したパノラマは、3年後の26年になっても更地が広がり、復興の険しさを浮き彫りにする。横浜都市発展記念館主任調査研究員の青木祐介(41)が理由を明かす。「海岸通りや日本大通りの周辺は防火地区に指定され、新築や改築の際に耐火建築とすることが求められた」

震災1年前の22年に同様の地区指定が山下町にされていたが、既存の街並みは大きく変わることがないまま震災が発生。延焼火災の苦い教訓から「不燃都市」の実現に向けた再指定だったが、財産を失った人たちには高いハードルだった。さらに「外国人居留地では、土地のあるじが遠方へ避難してしまったため、区画整理などを進められなかった」と松本は指摘する。

格差や課題を抱えながらも街並みは再生されていき、6年後の29年4月、復興事業が完了した横浜を天皇が行幸。市長として奉迎した有吉忠一は、震災から10年を前にまとめられた「横浜復興誌」の序文にこうつづった。

〈今日迄(まで)に復興した其(そ)の市民の獨自(どくじ)の努力と勇氣(ゆうき)とは、やがて來(く)る可(べ)き横濱の前途に一大光明を與(あた)ふる〉

一方で、復興の恩恵が庶民に行き届いていない実態も記した。〈各個人の住宅店舖は未(いま)だ完全に復興を告ぐるに到(いた)らず、災後の假(かり)小屋の觀(かん)あるものも少なくない〉

横浜ほど深刻な被害に見舞われなかった地域でも、住まいの再建は思うに任せなかった。当時の大磯町では、全壊家屋255棟のうち163棟が1年後も手つかずのまま。寒川村で570棟に上った全壊は1年で238棟が新築されたものの、半壊や傾いたままの家屋も少なくなかった。

被災地域には、天皇の恩賜金1千万円が配分されたが、寒川村が受け取ったのは5924円だったことが昨年寄贈された文書から判明。10キロの白米が3円ほど、貨幣価値が現在とは3千倍前後も違っていたとされる時代に被災者に配られたのは、死亡、不明で16円、全焼12円、全壊8円。負傷、半焼、半壊は4円だった。一方、寒川で恩賜金8円を受け取った個人の家に残る記録には、2階建ての母屋の再建に766円ほどを要したと書き残されていた。

資料を分析した寒川文書館主幹の高木秀彰(52)は推測する。「記録を見る限り、恩賜金のほかに公的な支援はなかったようだ。家を建て直すのは相当な苦労があったに違いない」。総じて順調に進んだとされる復興の詳細を見極める作業は、各地でいまも続く。 =敬称略

【神奈川新聞】


写真【1】と同じ場所から1年後に撮影された写真ではバラックが立ち並ぶ(横浜市史資料室所蔵)
写真【1】と同じ場所から1年後に撮影された写真ではバラックが立ち並ぶ(横浜市史資料室所蔵)

寒川文書館に寄贈された村助役の自筆とみられる恩賜金配分額のメモ
寒川文書館に寄贈された村助役の自筆とみられる恩賜金配分額のメモ

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