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  3. 都知事選が示す「脱原発」のいま 識者3人に聞く

原発即ゼロを掲げた細川護熙、小泉純一郎という元首相コンビの登場で注目を集めた都知事選は元厚生労働相で自民、公明両党が全面支援した舛添要一氏の圧勝に終わった。宇都宮健児氏=共産・社民党推薦=とともに脱原発陣営の敗北は何を示すのか。識者らに聞いた。

▼大声で主張 終わった

開沼博さん

3・11後の選挙で続いていることがまた起きた。2012年の総選挙、昨年の参院選、あるいは原発立地自治体をはじめとする地方選挙で原発は争点として意味をなしていない。毎回それが証明されるだけの不毛な繰り返しに陥っています。

ただ、少なくとも与党側はこの結果を利用して、脱原発が否定されたという前提で原発を再稼働しようとするでしょう。原発が争点だと主張して選挙を戦った以上、脱原発を訴えていた側もそれを引き受けなくてはならないとも言える。それが民主主義というものだからです。

福島出身者というより、原発と社会の関係を研究してきた者として、本質的で生産的な議論をすべきだと言い続けてきた。でも誰もしようとしないから、ここ1年くらいは呼び掛けるのをやめてしまった。結局みんな頭を使いたくないんだな、と。

今回もこれまで同様、選挙で負けた側は言い訳を探そうとするだろう。いかに原発が駄目なものかという話をまた延々と復唱しようとするだろう。だが、それは議論ではない。

脱原発を唱えるだけで何かが変わったためしなど1970年代から、ない。「原発がなくても電力は足りている」と言ったところで説得されない人がたくさんいる。だからこのような結果になっている。その確固たる事実を認めなくてはいけない。

自分たちは正しいことを言っているのに認められないという主張は、結果として現状の追認にしかならない。脱原発の立場を取る人は、この自己肯定の論理から抜け出し、自分たち以外の人々がなぜ異なる主張をしているのかということを考えないと、意見は世論に反映されていかない。逆もまたしかりで、原発推進側も選挙で勝ったからといって、何をやってもいいというわけではない。

主張を認めさせるために大声を出す時期は終わった。必要なのは当事者意識から始まる具体的な議論です。

例えば、自分たちのまちでは、コストが上がったとしても原発由来の電力は使わない。使用済み核燃料の最終処分場を引き受ける。原発に代わる産業がなければ立地自治体は現状維持以外に選択肢がないのだから、代替産業の育成を自分たちの税金を使ってでもやる。他人任せの思考停止から脱し、そうした実現のために何を負担するのかという議論を深めない限り、先に進むことはできないでしょう。

かいぬま・ひろし 1984年生まれ。東大大学院博士課程在籍、福島大うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。著書に「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」(青土社)など。

▼地道に取り組むべき

想田和弘さん

特定秘密保護法が強行採決された直後の選挙で、地方選挙とはいえ安倍政権の方向性の是非を問える機会でもあった。なのに投票率は46・14%と過去3番目の低さ。政治への無関心が広がる中、「熱狂なきファシズム」がじわじわと進行しているのでは、との疑念が膨らみます。

舛添氏が獲得した211万票は有権者総数の2割。その程度の信任で絶大な権力を与えてしまうのは、民主主義が健全に機能しているとはいえないのではないでしょうか。

私は脱原発を望んでいるので、2人の元首相が脱原発陣営に加わったことは歓迎する。ただ脱原発陣営では、細川氏が詳しい政策を発表する前から「勝てる候補に一本化するため、宇都宮氏は降りろ」との主張が幅を利かせました。みんな知名度に弱いんだなあと思いました。

普段、脱原発・リベラル派は「人気投票」や「シングルイシュー」の危険性を指摘し、「民主主義を成熟させるためには政策本位の選挙をすべきだ」と言っているのに、結局土壇場で頼るのはそこなのか、と。結果は宇都宮氏が細川氏を上回って次点だったわけで、「細川氏=勝てる候補」という主張すら単なる思い込みだったのです。

巨大な利権を生む原発は政・官・学・産・マスコミという日本の中枢をむしばむ根深い問題で、一つの選挙に勝ったからといって一朝一夕に解決するものではない。私たちはもっと地に足を着けて脱原発運動に取り組むべきでしょう。その意味では選挙を社会運動の一環に位置付け、政策本位の選挙に徹した宇都宮氏の健闘は大きな収穫でもあった。

宇都宮、細川両氏の得票を足せば舛添氏に肉薄する。争点化回避のためでしょうが、舛添氏ですら「将来的には原発に依存すべきでない」と選挙戦で述べた。安倍政権は都知事選の結果を「原発維持・推進が支持された」と解釈すべきではない。

でも、安倍政権は名護市長選で負けても辺野古移設を進めようとするくらいだから、原発再稼働を進めるでしょう。脱原発派は粘り強く抵抗するしかありません。

そうだ・かずひろ 1970年生まれ。ドキュメンタリー映画作家。代表作に「選挙」「精神」など。著書に「日本人は民主主義を捨てたがっているのか?」(岩波ブックレット)。

▼透ける否認と無関心

白井聡さん

細川・小泉連合は脱原発を十分に争点化できなかった。ソチ五輪や全聾(ろう)作曲家の別人作曲騒動などで選挙の報道も少なすぎたと感じます。

そもそも2人に1人は投票にすら行っていない。結局、電力を買う側が作る側のリスクについて何も考えていないということ。「原発は国政で扱う問題だから争点にすべきでない」という意見もあったが、買う人がいるから生産する。首都圏に住むわれわれは自分たちの買い物によってある地域を壊滅させてしまった。「こんなに不道徳な方法で作られたモノを買い続けるのか」が問われなければならなかったのに、多くは責任や罪悪感を感じていないことが証明されてしまった。

舛添さんは「東京五輪を成功させる」と強調したが、これは現実の否認です。敗戦を「終戦」と呼び換え、失敗の本質を考えず、誰の責任を問うこともなく経済成長に突き進んできたように、東日本大震災や原発事故をなかったことにして、閉塞(へいそく)感を打破したいという気持ちが透けて見える。五輪開催は現実否認のシンボルとして機能してしまっている。

福島の人々は怒りを感じているのではないか。細川さんの支援に回った南相馬市の桜井勝延市長が「(東京が)今まで使い続けた電力で、なぜわれわれがこれ以上犠牲にならなきゃいけないんですか」と訴えた。この演説は心に突き刺さるものがあった。でもほとんど報道されなかった。

原発という争点を隠したいというのが政治や経済のエリートたちの本音です。国家の根幹に関わる重要なことを「おまえらに決めさせるか」と。われわれは徹底的にばかにされているんです。

予想できた結果ではあるが絶望的な気持ちになる。なぜ、政界を引退した76歳の細川さんが立候補したのか。裏を返せば、中道リベラルといわれる現役世代の政治家は日和見主義者にすぎないということ。知的な劣化だけでなく、民意を背負って立ち上がったり、報道したりする度胸や勇気といったものが欠けてきているという、リベラルの倫理的衰退を表してもいると思います

しらい・さとし 1977年生まれ。文化学園大助教。近著に、現代日本を敗戦の総括を避けた戦後の出発点からひもといた「永続敗戦論-戦後日本の核心」(atプラス叢書04)。

【神奈川新聞】


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