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消される? 負の歴史、関東大震災時の中国人虐殺名簿/神奈川

社会 神奈川新聞  2014年01月09日 11:02

関東大震災時、虐殺被害にあった中国人らの名簿
関東大震災時、虐殺被害にあった中国人らの名簿

ここに、名簿がある。「日人惨殺華工之調査」。関東大震災直後、被災地で虐殺された中国人について、当時、東大農学部で学んでいた王兆澄らが調査し、まとめたものだ。日本人が混乱に乗じて虐殺したのは、朝鮮人だけではなかった。それを示す第一級の史料は、外務省外交史料館(東京都港区)でひっそりと公開されている。だが名簿の存在はおろか、中国人虐殺自体について知る人も少ない。政府が負の歴史に目をつむる傾向にある中、研究者も逆風にさらされている。

名簿には、被害者の氏名、年齢、原籍、被災前住所などとともに被害の日時、場所、加害者、凶器、被害状況などが書かれている。死者には「死」、受傷者については「頭上四刀右腰一刀」といった詳しい状況も記されている。

日時は震災直後の9月2日や3日が多く、被害場所としては「大島町」を中心とした東京都内のほか、「神奈川縣」という記述も散見される。中国、特に地理的に日本と近い温州から来日した人たちが港湾労働者などとして多く働いていた地域だ。そのほか、横浜の居留地に暮らしていた華僑の職人たちも被害者として名が上がる。

■どう作られた

外交史料館に残る資料などによると、日本からの送還船「山城丸」に潜り込んだ王は震災翌月の1923年10月12日、上海に到着した。そして、被害を生き延びて送還された中国人労働者たちに、親類や友人で被害を受けた者がいないか聞き取り調査を始めた。名簿は現地の新聞でも連日、盛んに報道された。

翌24年、被害者が集中していた当時の中華民国・温州の知事が名簿を基に再調査を行い、被害者数は拡大。死者553人、傷者58人、行方不明者1人が判明した。

さらに在日中国公使館が確認作業を進めて情報を追加。これらの名簿は中華民国駐日公使館の印が押され、正式な外交文書として日本の外務省に渡された。資料は現在、外交史料館や台湾の中央研究院近代史研究所などで確認できる。

■なぜ埋もれた

正式に外交ルートで伝えられた事実が、なぜ日本社会の共通認識となり得ていないのか。

「中華民国政府は調査団を日本に派遣したが、日本政府は協力せず隠蔽(いんぺい)した。そしてそのまま戦争に突入してしまった」。こう語るのは、温州で被害者の子孫を支援してきた「中国・山地の人々と交流する会(旧『関東大震災の時殺された中国人労働者を悼む会』)」の神惇子さん(千葉県)だ。同会創設者の故仁木ふみ子さんは、名簿を掘り起こしたその人だった。

外交史料館の資料「在留支那人ノ罹災状況」によると当時、事態を重く見た外務省は中国人約3600人を保護し、上海に送還した。だが震災翌年の24年に日本政府が中国側と交渉する際には「誤殺」事件として責任者処罰も加害者処罰もしない方針を貫いたことが記録されている。そしてその後の日中戦争、太平洋戦争、敗戦-。

虐殺の真相を究明する動きは、70年代までなかった。研究者が出てきても、中国人労働者について本格的に取り組む者はいなかった。

大分県の国語教師だった仁木さんは80年代、上海で日本語教師として働いていた。その傍ら、中国の女性労働者について研究しようと現地の過去の新聞を調べた際、虐殺と名簿の存在を知った。帰国後、仁木さんは大規模な虐殺現場となった大島町に住み、調査を進めた。震災70周年の93年に「震災下の中国人虐殺」(青木書店)を出版。市民としての謝罪と償いの意味を込め、現地の支援活動も始めた。

■真相究明求め

「中国人虐殺の問題は、研究者がどうにかしなければいけない。追及する人が出てくればいいが」。関東大震災に関する著書もある横浜市立大の今井清一名誉教授(横浜市港北区)は、こう吐露する。一方、神さんは指摘する。「本当は、謝罪と償いは事実を認めた上で、民間でなくて政府がすべきだと思う」

だが現実は、逆に進んでいる。関東大震災時の朝鮮人虐殺については、東京都や横浜市などの教材で「虐殺」という言葉を「殺害」に変えるなどの動きが著しい。負の歴史の教育を「自虐史観」と批判する保守系勢力の動きが現場にじわじわと影響力を及ぼしつつある。

中国人虐殺問題についても、例外ではない。ある公的機関の研究者は、名簿の研究をとても公言できない雰囲気を口にする。「保守系議員などが裏から手を回し、研究予算を止めかねないとの思いがある」。負の歴史に関する展示をしただけで、苦情が寄せられることが常態化している。「いつか、落ち着いて研究ができる日がくれば。きちんと日本として、真相を究明すべき問題なのだから」

今後、研究は進められるのか。関東大震災時の朝鮮人虐殺に詳しい立教大の山田昭次名誉教授(埼玉県)は「安倍政権の姿勢が非常に影響している。このままだとこれらの問題は消されるのではないかと心配している」と悲観的だ。

昨年9月、都内で市民団体「関東大震災中国人受難者を追悼する会」(東京都江東区)が被害者の親族を招いて追悼集会を開き、声明を出した。こう訴えている。「日本政府に真相究明を求め、加害国家としての責任を果たすことを要求し、日本社会の集団的記憶として次の世代に伝えていく努力をしなければ」

◆関東大震災時の中国人虐殺 関東大震災翌日の9月2日ごろから中国人虐殺が始まった。3日昼ごろには、大島町(現東京都江東区)で日本人によって数百人が殺され、同じころ横浜でも中国人の虐殺事件が発生。中国代理公使が日本政府に抗議したが、政府はごく少数の「誤殺」のみ認め、中国人の集団的殺害を否定。また緊急勅令で言論を取り締まり、事件解明を訴えた10月7日の読売新聞の社説を削除した。だが同紙は11月24、25日に2日続きの社説を掲載し「其罪過が国辱であるよりも、之を改め得ぬ事が寧ろ大なる国辱である」と批判した。

【神奈川新聞】


外務省外交資料館で公開されている中国人虐殺に関する資料
外務省外交資料館で公開されている中国人虐殺に関する資料

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