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刻む2013(3) 福島原発集団訴訟、国の責任問う覚悟 原告団長・村田弘さん

社会 神奈川新聞  2013年12月25日 12:24

今なお収束が見えない福島第1原発事故。今年9月、国と東京電力(東京都)を相手にした県内避難者による集団訴訟が横浜地裁に起こされた。原告たちは、多くの人々のふるさとや生活を奪った責任を問う覚悟で訴訟に臨む。

厳しい暑さが残る9月、原発から20キロ圏内に位置する福島県南相馬市小高地区から避難を続ける村田弘さん(71)=横浜市旭区=は、声を震わせていた。

「問いたいのは、国の姿勢です」。集団訴訟の原告団長として、提訴後の会見で事故の責任をあいまいなままにする国や東電を厳しく批判した。先の見えない生活や、放射能への恐怖といった多くの避難者の苦しみに触れてきたからこその怒りがあった。

あれから3カ月。怒りはむしろ、大きくなっている。

政府は今月20日、原発事故の復興指針を公表。避難者の全員帰還の原則を断念し、早期帰還と移住の両面の支援に転換することを決めた。早期帰還者への賠償の上乗せや、被ばく線量の評価をこれまでの空間線量での管理から個人線量に改めることなどが打ち出された。

村田さんには、原発事故を過去のこととして封じ込めようという国の姿勢が露骨に現れていると映る。「本来は安全な状態にするのが先。それを、被ばくへの不安は変わらないのに、『帰りたい』という住民の気持ちを利用してルールを変えるのはおかしい」

訴訟の原告には、思春期の子への放射能の影響を恐れ、自主的に避難している母子もいる。「避難指示が解除されれば、避難者への風当たりは厳しくなるだろう。自主的に避難する人は、なおさらだ」。事故の風化も進んでいると、肌で感じている。置かれている環境に危機感を強めざるを得ない。

国の責任を問うた原点には、元全国紙記者として、国の不作為にあらがう人々と向き合った経験がある。

約45年前の駆け出し時代、熊本に赴任した。そこで出会ったのは、公害の原点である水俣病で苦しむ人々の姿だった。

企業城下町の水俣で、「(原因企業の)チッソにもの申すなんて、町民ではない」と、村八分になりながらも被害を訴える人たちを取材した。「しんどいなあ」。被害の苦しみ、そして責任追及の厳しさを知った。そしてそれは、当事者が背負う重い宿命を知ることでもあった。

公害訴訟の先駆けといわれる新潟水俣病の第1次訴訟が起こされたのは、ちょうどそのころ。第1陣で原告になったのは、わずか3世帯13人。その後、訴訟の動きは熊本水俣病にも広がり、患者の補償確立へとつながっていく。「十分な救済とはいえないものの、異議を申し立て、一つ一つ穴をあけてきた人がいたから、前に進んできた歴史がある」

公害に苦しむ人たちと、放射能禍に見舞われた自分たちはだから、重なって見えた。「事故の責任を追及することで、原発政策を転換させ、避難者全体の救済につなげる。そのためには、避難者自身が声を上げるしかない」。集団訴訟で県内避難者の先頭に立つのは、必然でもあった。

次女夫婦とともに、横浜で暮らす村田さんの手元には、南相馬での日々を記したカレンダーがある。

ふるさとに戻ったのは、2002年末に定年退職してから。東北にあっても温暖な気候を利用し、畑作業にいそしんだ。キャベツやアスパラガス、ニンニク…。「大抵の野菜は作れるようになった」。カレンダーには、その日の天候や気温、作付けの記録などがきちょうめんに書き込まれている。

毎年、年末には干し柿作りに追われた。「その後にはジャガイモを植えたりして、忙しくなる時なんです」。カレンダーの日付欄はしかし、避難指示が出た11年3月12日を最後に、真っ白なまま。先祖から受け継いだ土地を離れ3度目の正月を迎える。「絶対に帰る」と意気込むが、かの地で再び暮らせる見通しは立たない。

14万人に上る避難者にも、それぞれの日常があった。「被害とは、一人一人の生活がぶっ壊されること。だから、数字でくくることなんてできない。すごく具体的で、すごく悲惨で、すごく残酷なものだ」。訴訟を通して、それをできる限り伝えていくことこそ、重要だと感じている。

「自分たちが踏みにじられることへの抵抗は、時間がかかる。でもそれは、耐えるしかないですよ」

訴訟の第1回口頭弁論は、来年1月29日に開かれる。

◇◆◇

【記者の視点】訴えに目そらすな=報道部・川口肇

集団訴訟の原告団長を務める村田弘さんにあらためて取材をし、事故以前からの日常を過ごす人々と避難者との隔たりは、時がたつほど大きくなっていると強く感じた。

9月の提訴後の記者会見。放射能の影響を恐れ、事故当時に小学生だった娘と自主避難を続ける母親は、胸の内をこう明かした。「親として避難が正しかったのかと悩み、毎日が悲しい」

この一言に表れたのは、国や周囲の無理解が、弱い立場の人をさらに苦しめているという実態ではないか。自身、事故の大きさを前にして、そうした理不尽がまかり通る現状を否定するだけのエネルギーを持っていたとは言えない。自らを省みざるを得なかった。

原発事故は、その影響が広大だ。議論すべき点は、エネルギーをはじめとする国の将来の姿に及ぶ。しかし、事故で奪われたものの大きさを認識することは、議論の大前提となる作業だ、と言いたい。それに対する賠償を求めるのは、避難者として当然の権利だ。

村田さんは「弱い立場を切り捨てるのは、国の基本だ」と言った。だから、声を上げなければならない、と。

多大な被害に苦しみながら、なおも原因や責任の追及に力を注がなければならない当事者。その現実を直視することは、正直しんどい。でも、同じ社会で暮らすわれわれは、その訴えから目を背けてはならない。

◆福島原発集団訴訟 福島第1原発事故による県内への避難者が、国と東京電力(東京都)に生活やふるさとを奪われたことなどの損害賠償を求めて横浜地裁に提訴。事故から2年半となる9月11日に17世帯44人が、12月12日にも6世帯21人が原告に名を連ねた。自主避難者も加わる。請求額は、計約17億4千万円。

避難者に対しては、原子力損害賠償紛争解決センターの裁判外紛争解決手続き(ADR)での賠償が行われているが、訴訟では避難に伴う損害の「完全賠償」を目指すとしている。

同様の集団訴訟は全国13の地裁・支部で起こされている。

【神奈川新聞】


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