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五輪の歓喜を被災者と分かち合いたい 前回の東京五輪伝える神奈川新聞保存の榎本さん/相模原

社会 神奈川新聞  2013年10月01日 22:48

2020年に再び開催が決まった東京五輪。相模原市緑区の榎本雪夫さん(68)は、前回の東京五輪の熱気を伝える1964年の神奈川新聞を自宅で保存している。日本全体が歓喜に包まれた当時の紙面を読み返すほどに、榎本さんはある願いを強める。復興を進め、今なお収束の見えない原発事故の被害にあえぐ福島の被災者と、あの喜びを分かち合いたい-。

例えば、開会式の様子を伝える1964年10月11日の紙面の見出しはこうだ。

「“ふるえちゃった”最高!聖火点火の一瞬」「世界しっかり一つに ほこらし気、胸をはって行進」

年月の移ろいを感じさせる色あせた紙面をめくりながら、榎本さんがふとこぼした。「時代の熱狂が伝わってくる。だから20年の五輪も、また皆で楽しめるようにならなければならないね」

時代の節目の新聞を保存してきた榎本さん。9月8日に東京開催が決まり、「多分取ってある」と物置を探したところ、ポリ袋に包まれた東京五輪時の新聞が見つかった。14日間のうち11日間分あった。

高度経済成長をけん引し、戦後復興の象徴でもあった東京五輪。紙面は五輪に沸く人々や、選手たちの躍動を伝えていた。

五輪は紙面だけでなく、個人としても「良き記憶」として刻まれている。

榎本さんは相模原で生まれ育ち、10代から金属加工会社などの工員として働きづめだった。塩をなめ、玉の汗を流し、電気炉の保守などにあたった日々。「きつい仕事だったが、働けば働くほど給料は良くなった。いい時代だった」

隣接する東京都八王子市を通った聖火リレーも見に行った。

当時の紙面を見返すほどに、放射性汚染水漏れなど深刻な状況が続く東京電力福島第1原発の存在が脳裏をかすめた。

震災前の2010年、自宅をオール電化にした記念として、榎本さんは東京電力から福島第2原発の見学に招かれていた。「通された訓練施設ではことごとく安全を強調され、自分もそれを疑いもしなかった。だから事故が起きた時、ひとごととは思えなかった」と明かす。

「五輪のために、福島や東北の復興にかかる人出や予算が削られてしまってはならない」と榎本さん。また、列島全体が五輪の歓喜に包まれる日は訪れるか。

紙面に目を細めながら榎本さんはしみじみ語った。「五輪を楽しみたいと思う気持ちをしまい込んでいる福島の人々も多いはず。なぜそうなっているか。現状にうつむく人々の存在を忘れてしまってはならないと思う」

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