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刻む2018〈1〉西日本豪雨 生死の差は紙一重

社会 神奈川新聞  2018年12月16日 09:30

浸水した自宅でどうにか生き延びた経験を語ってくれた女性=8月、岡山県倉敷市真備町地区
浸水した自宅でどうにか生き延びた経験を語ってくれた女性=8月、岡山県倉敷市真備町地区

 「自宅の天井付近で溺れ死んでしまった人がたくさんいる。ハザードマップを確認して、どう行動すべきか自分で判断し、避難方法を決めてほしい」

 「平成最悪」となった災禍の教訓を端的に示す言葉だった。8月下旬、小田原市北部の富水地区。死者・行方不明者が230人を超えた西日本豪雨を受け、小田原市が開催した緊急住民説明会には、同じような被害を心配する住民が大勢詰め掛けていた。

 市の担当者が取り上げたのは、氾濫した河川の浸水で犠牲者が相次いだ岡山県倉敷市真備町地区。逃げるタイミングを逸し、自宅で巻き込まれた高齢者ら51人が命を奪われるという惨状が、被災地から伝えられていた。浸水の深さは5メートルを超えていたことが専門家の調査で明らかにされたが、それは倉敷市作製のハザードマップであらかじめ示されていた浸水の想定と一致するものだった。

 起こるべくして起きた大規模氾濫。その時、つなげなかった多くの命-。8月上旬、私はその現場を取材していた。

 泥や土で茶色くなったままの道路。時折漂う異臭。書店や図書館の駐車場には、がれきがうずたかく積み上げられていた。窓が開け放たれ、規制線が張られて出入りの禁じられた住宅が次々と目に入った。

 豪雨から1カ月余りが過ぎていたが、猛威を振るった濁流の痕跡が色濃く残っていた。

 2階建ての自宅を片付けていた女性(81)に声を掛けると、体感した恐怖をこう振り返った。「川の中にいるみたいだった」

 7月6日午後7時ごろ。訪ねてきた知人に避難を促されたが、雨の強さから逃げる必要はないと判断し、自宅にとどまった。防災無線の呼び掛けも耳に入ったものの、「水が入って来たとしても1階までで済む」と高をくくり、2階のベッドの上でやり過ごすことにした。

 日付が7日に変わってほどなく、階下を見ると、テーブルや冷蔵庫、テレビが漂っているのが視界に入った。怖くなって県外在住の息子に電話をかけると、119番通報するよう勧められた。

 その後も水かさは増していき、2階も浸水。「とても家にいるような気持ちじゃなかった」。身長150センチの女性は窓枠のそばで必死に背伸びをし、カーテンにしがみついた。首まで水に漬かり、「あと5分、10分で駄目じゃな」と諦めかけたころ、救助のヘリコプターが見え、ボートで助けられた。

 水は3日ほど引かず、2階も高さ180センチまで浸水していた。「ハザードマップを見たことはあるが、まさかこんなになるとは」。砂まみれになったわが家を見ながらつぶやく女性の姿に、リスクを現実のものと受け止めて行動することの難しさを痛感させられた。

 とはいえ、女性は一命を取り留めた。避難せず自宅で巻き込まれながらも、生き延びることができた人はほかにもいたが、同様の状況で命をつなげなかった人が大勢いるのだ。紙一重で生死が分かれる厳しさが災害だとあらためて思い知らされた。

 小田原市の富水地区は2級河川の酒匂川や狩川が流れ、県による最大級の洪水想定で浸水の深さは3メートル超と予想されている。真備町の被災を「わがこと」と捉えなければならない現状は「わがまち」にもある。

 その現実を伝えていくことはもちろん、市民としても行動に生かしたい。

覚悟と気概あるか


 その言葉には、覚悟と気概が宿っていた。

 「逃げる、逃がすという責任を行政の中でどこが持つべきなのか。それは市町村長しかあり得ない」

 西日本豪雨の教訓から避難対策の改善策を見いだそうと、政府・中央防災会議が設置した作業部会。10月半ばの初会合で、委員の一人、兵庫県豊岡市の中貝宗治市長が訴えた持論に、反論はなかった。「災害時の危機管理の意思決定は現場で行うのが鉄則。現場に必ずいるのは誰なのかといえば、市町村。だから市町村がやらざるを得ない」

 さらに、こう指摘した。「問題は、それにもかかわらず、市町村がその覚悟や腕を磨く努力をしてこなかったこと、あるいは国や県がその大変な意思決定をどのように補佐するかという仕組みをきっちりやってこなかったことだ」

 災害対策基本法は60条にこう定めている。

 〈災害が発生し、又(また)は発生するおそれがある場合において、人の生命又は身体を災害から保護し、その他災害の拡大を防止するため特に必要があると認めるときは、市町村長は、必要と認める地域の居住者等に対し、避難のための立退(たちの)きを勧告し、及(およ)び急を要すると認めるときは、これらの者に対し、避難のための立退きを指示することができる〉

 これが、台風や豪雨などの際に出される避難勧告や避難指示の発令主体を市町村とする根拠だ。中貝市長の発言は規定をなぞったものとも言えるが、2013年の伊豆大島土砂災害や15年の関東・東北豪雨など多数の犠牲者を伴った近年の災害では決まって、地元市町村の対応が問題視されてきた。災害対応に必要なマンパワーや専門的な職員が不足しているという課題もかねて指摘されている。

 中貝市長も豪雨時の対応を巡って批判を浴びた一人だ。

 台風の上陸数が観測史上最多となった04年。10月に来襲した台風23号で市内を流れる1級河川・円山川が氾濫した。周辺地域を含めて約4千棟が全半壊する深刻な被害に見舞われ、7人が犠牲になった。

 避難対応が後手に回った当時の反省を10年後の14年6月、全国の市長を対象とした危機管理のセミナーで明かしている。

 「いざという時にどう伝えるかをマニュアル化していなかった。伝え方を話し合っているうちに時間が過ぎてしまった」「多くの市民が『避難指示』という言葉のイメージから『避難勧告』より事態が和らいだと勘違いしてしまった。私たちは勧告と指示の違いをあらかじめ伝えていなかった」

 堤防を破って押し寄せた濁流が家々を襲い、取り残された住民から救助要請が殺到。しかし、「できることは何もなかった」。

 苦い経験をその後の避難対策の見直しにつなげた中貝市長だが、それでも直面し続ける課題を中央防災会議の作業部会で率直に述べた。「情報をより正確に把握して、より適切なタイミングで、より適切な言葉で伝える技を私たちは磨かなければならない。それを伝えられても逃げない人たちをどのように逃がすのか。そこが決定的に重要だが、答えは出ていない」

 試行錯誤を重ねつつ、災害対応の最前線に立つ覚悟と気概。私にはそれがあると言い切れる市町村長は、どれほどいるだろうか。


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