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歴史と向き合う 記者の視点=報道部・柏尾安希子
時代の正体〈659〉元慰安婦映画上映会 右翼団体現れず

時代の正体 神奈川新聞  2018年12月12日 09:38

会場の入り口には、妨害行為をしないよう呼び掛ける張り紙が掲示された =8日、横須賀市
会場の入り口には、妨害行為をしないよう呼び掛ける張り紙が掲示された =8日、横須賀市

非暴力貫き市民勝利


 「右翼を完膚なきまでに近寄らせなかった。一人一人の思いが、これだけの成果を生んだ」

 8日、横須賀市で開かれた、旧日本軍の慰安婦にさせられたハルモニ(おばあさん)たちを追ったドキュメンタリー映画「沈黙-立ち上がる慰安婦」の上映会。終了後、実行委員の歴史研究家、北宏一朗さん(77)は、感極まった調子で話した。

 「私たち市民と、集まった弁護士たちの勝利だと実感した」

 上映会から一夜開けた9日、作品を制作した在日朝鮮人の朴(パク)壽南(スナム)監督(83)の娘で、プロデューサーの麻衣さん(50)は、こう振り返った。

 取材する目の前で右翼団体のメンバーが会場に乗り込んできた11月28日の横浜上映会を経験した私も、2人とまったく同じ思いだ。横須賀上映会に右翼団体は現れなかった。これは「勝利」だ。

 私たち市民が、右翼団体を止めた。拡声器を使って攻撃的な文言を公にまき散らすことで威圧し、特攻服で強圧的に脅しをかけてくるような暴力的な勢力を。非暴力を貫き、止めたのだ。

 近年、特に日本の負の歴史を真摯(しんし)に直視することにまつわる忖度(そんたく)や自主規制がはびこる。「従軍慰安婦」の問題をとっても、教科書からは記述が消え、横須賀市は今回の上映会を後援しなかった。また、直視する人たちへの攻撃は、インターネットではもはや日常茶飯事だ。こうした状況に社会は慣れすぎているように思えていた。

 だが、傍観せず、あきらめずに「不当だ」「そんなことは許さない」と声を上げることが、どれだけ大切なことか。情けないことに今回、改めて思い知らされた。

「一つの体験」


 麻衣さんは、横須賀上映会について、「不当な圧力や抗議を受けた場合、法律家の協力を得て乗り越えていけるという、一つの勝利体験をした」と捉えているという。

 実際、右翼団体を止めた背景には、上映会に先立つ今月6日、横浜地裁が横浜市戸塚区の右翼団体に対して出した上映妨害を禁止する仮処分決定の存在が、間違いなくあっただろう。神原元(はじめ)弁護士など、全国の140人以上が代理人となり、主催者代表の男性(68)が4日に申し立てていた。

 2000年ごろに小中学校や高校の教科書から慰安婦という言葉が削除され、若い世代が歴史的事実を知る機会が失われている。このことに危機感を抱いていた主催者代表は、横浜の映画館で同作品を鑑賞し、「若い人たちに見せたい」と上映会を企画した。「いろいろな意見は覚悟していたが、右翼団体が来る状況は予想していなかった。排外主義が吹き荒れる時代なのだと、身をもって自覚した」と打ち明ける。

 申し立てたのは、横浜上映会での妨害を知り「黙っているべきではない」と強く思ったからだ。神原弁護士も「日本の過去の加害責任を直視する映画を暴力や脅迫で押しつぶそうとしている。民主主義の根幹を揺るがす行為で許せない」と、強い口調で話す。全国から集まった弁護士も、その思いで代理人に名を連ねたという。

 裁判所が、仮処分を通して「これ(妨害)は違法だと社会に示した」(神原弁護士)のに要した時間は、わずか2日。このスピードは、今後起こるかもしれない同様の妨害や圧力を防ぐ際にも有効だろう。麻衣さんも「今回は良き事例」と話す。

 「各地で同様のことが頻発するが、『私たちも右翼側に抗議中止を申し入れてみよう』という動きや、行政の萎縮に対して法的手だてを考えるという発想、弾圧されている者同士の体験共有、協力弁護士の連携が増えれば良いと思った」

全国から有志


 仮処分とともに、市民の動きも大きな力となった。横須賀上映会にボランティアスタッフとして集まった市民は90人以上に上った。「元慰安婦のハルモニや在日韓国・朝鮮人たちの踏みにじられた思いを、さらに踏みにじろうとする行為は許さない」(北さん)という思いを共有し、SNS(会員制交流サイト)などを通して集まった有志だ。

 県内はもちろん、新潟、東京、大阪と各地から集まり、開始前のオリエンテーションを行った会議室はいすが足りないほどだった。暴力的に言論を封じる動きや、在日韓国・朝鮮人への差別を許さないという人たちが、これだけ集まっている。その熱気に胸が熱くなった。

 右翼団体に対する警戒はもちろん、会場で騒ぐ恐れがあるネット右翼を見分けるため、ヘイトスピーチのカウンター活動を行ってきた在日コリアンの女性が入り口で目を光らせた。「差別を許すな」と記したプラカードを持って警戒にあたる人もいた。

 当初、朴監督は身の安全が確保できない可能性があるためトークショーを行わない予定だった。だが、これだけ集まった市民に「直接お礼が言いたい」と、会場に駆け付けた。

 到着した朴監督は「日本の方々の良心に命を支えられている気がする、それが希望」と話し、「日本はこういう人びとによって今後とも回復されていくのだろうと思っている」と続けた。

 インターネットには自身へのヘイトスピーチのような書き込みがされ、右翼団体の妨害にも直面した。

 「ここ数日、生きた心地がしなかった。日本で生きていけるだろうかと。でも、やっぱり日本で戦うしかない。日本の方々と共生関係にあると、この件を通して確信した」とほほえみ、「まだ作りたい映画がある。お金があればどんどん作りたい」と語ってくれた。日本人として、とてもうれしかった。

今後の対応は


 横須賀上映会の翌9日、東京・渋谷で開かれた上映会にも右翼団体は姿を現さなかった。だが、今後も同作品や朴監督母娘への攻撃、妨害は予想される。麻衣さん自身、「根本的に差別や歴史をねじ曲げようとする勢力が消えるわけではない」と不安を覚えている。その「勢力」とは、インターネットでの差別主義的な言論、右翼団体だけではない。政治家も含まれる。

 北さんは、上映妨害の動きは「横浜市の副読本問題と同じやり方だ」と指摘する。2013年、市が発行した中学校の社会科副読本について、市教育委員会が関東大震災時の朝鮮人の「虐殺」を「殺害」と書き換えた。「愛国保守」を名乗る勢力が記述を攻撃し、その主張を肯定的に産経新聞が取り上げ、自民党の右派が市議会で批判した末路だった。

 今回も、発端となった茅ケ崎上映会については同様の構図だった。ネットなどで批判が起こり、産経新聞が上映会を後援した茅ケ崎市と同市教委を批判。その後、自民党会派が市と市教委に抗議文を提出した。そして市や市教委は「騒ぎになるリスクを減らすため」と、今後は後援の運用を見直す方針であると明らかにしている。

 「あちこちの地方自治体が面倒くさいから会場を貸さなかったり、後援しなかったりし、市民側も騒ぎになるので企画しない」と、北さんは指摘する。だからこそ、「知る権利、知らせる権利を侵害し、人格をおとしめるような人たちを野放図にする世の中をどうにかしないといけない」と切実に感じているという。

 表現の自由を侵害する行為、歴史をねじ曲げる行為に、日本社会は慣れ、見て見ぬふりをしてきた。だが、ドキュメンタリー映画を上映することすら、命の危険を感じなければならない状況は、どう考えても常軌を逸している。その異常にもっと敏感にならなければならない。


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