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小さな新人王・東克樹(4)「影武者」が得た財産

ベイスターズ 神奈川新聞  2018年12月03日 02:00

愛工大名電高のグラウンド脇には、歴代OBのプロ野球選手を紹介したパネルがある。東の写真も今年設置された
愛工大名電高のグラウンド脇には、歴代OBのプロ野球選手を紹介したパネルがある。東の写真も今年設置された

(1)「プロは無理」言われ続けた
(2)「投手の他に何が面白いんや」
(3)独り立ち「名電に行くわ」

 名古屋駅から北東に約10キロ。そこにベイスターズの東克樹(23)の原風景が広がっている。

 愛知県春日井市にある愛工大名電高グラウンド。向かう車中、タクシー運転手は自慢げだった。「最近もプロのスカウトさんを乗せたんですよ」

 グラウンド横の選手寮には、イチローの高校通算打撃成績表や3年春に書いたという反省リポート、プロに進んだOB選手の新聞記事などが掲示されている。数々の“お宝”を前に「現役の選手がこれを読んで励みにしてきた」と、コーチ時代を含め指導歴37年になる監督・倉野光生(60)が教えてくれた。

 甲子園春夏出場21回の名門は、3学年合わせて部員50人足らずという少数精鋭。寮では全選手が大広間で寝起きする。初めての寮生活に不安があった東にとっては「3年生が抜けるまで毎日憂鬱(ゆううつ)って感じでしたね」というほろ苦い記憶だ。

影武者

 「東はずっと浜田の影武者でした」と倉野が切り出した。1学年先輩の浜田達郎(中日)は184センチの大型左腕。大谷翔平(エンゼルス)、藤浪晋太郎(阪神)と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれる逸材だった。

 最高の手本を前に、東は練習で常に行動を共にした。「打撃がいい。投手でも将来的に大学に行けるけどプロは厳しいか」。東の第一印象をこう見た指揮官は、167センチのヤクルト石川の著書を贈った。小柄なハンディを克服したすべを学んでほしいという思いを込めていた。


「もし左利きじゃなければ1番ショートで東を使っていた」と入学当初の東の印象を語る倉野監督
「もし左利きじゃなければ1番ショートで東を使っていた」と入学当初の東の印象を語る倉野監督

 投手陣は、寮から学校までの8キロをランニングして登校するのが名物練習だった。工藤公康(ソフトバンク監督)は下校時も走り、陸上部顧問に「走りすぎ」と注意を受けた逸話が残る。負けず嫌いの東も毎朝欠かさず走った。3年間で計4千キロに及ぶロードワークで足腰を鍛えた。

 しかし、粗削りだった東の登板は2年まで練習試合などに限られた。一つ上の“怪物”はいつも先発完投。2011年秋に準優勝した明治神宮大会では松坂大輔(中日)の記録を抜き、歴代2位となる40奪三振の大会記録を達成していた。

  ■ ■

 そんな浜田が翌年夏の大会前、突然の不調に陥った。「病院に行っても異常はない。投げすぎで肩が疲れてしまった」と倉野は言う。

 気力で投げ抜いた先輩左腕は2季連続でチームを甲子園に導いたが、初戦で浦添商(沖縄)に敗退。東に投げる機会は巡らなかった。この夏、甲子園を制したのは春に続き大阪桐蔭。くしくも中学時代に「NOMOジャパン」のチームメートだった森友哉(西武)が藤浪と抱き合っていた。

 倉野は新チームを始動するに当たり、30年以上前の教え子を思い返していた。身長168センチのエース東だ。

 名字や小さな体だけではなく、コントロールの良さ、性格まで克樹とそっくりだったという。そんな大先輩も浜田同様に肩を酷使。最後の夏は「打撃投手のように打たれてしまった」。

 倉野は腹を決めた。「大柄で頑丈だった浜田でさえ、消耗してしまった。体の小さな東に連投はさせられない」。克樹も思いは同じだった。「いい意味で勉強になった」。新チームのエース候補は偉大な先輩から、かけがえのない財産を得ていた。

 =敬称略

高田GMの言葉「ほれぼれするね」

 「ほれぼれするね。直球のキレ、変化球のブレーキ、コントロール、どれもいい。ほかの先発左腕3人とタイプも違う」
(2月の春季キャンプで東の投球練習を視察後に)

(5)反省、研究、そして修正


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